医学界新聞


向川原 充氏に聞く

インタビュー 向川原充

2023.03.20 週刊医学界新聞(通常号):第3510号より

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 「もしこの国に生まれていたら恐らく今日まで生きていられなかっただろう」。医学生時代に訪れたカンボジアでこう直感し,医療格差是正に向けた研究を進めるべく,現在は米ハーバード大学政治学部博士課程に在籍中の向川原氏。同課程を修了した医師は世界的に見ても数人しか存在しないという。異色のキャリアを歩む向川原氏に,その原点とめざす未来について話を聞いた。

――沖縄県立中部病院での内科・感染症科研修,そして宮古島で離島・僻地医療の経験を積んだ後,公共政策について学ぶため米ハーバード大学ケネディ行政大学院へ進学。現在は同大学政治学部博士課程に在籍されています。医師でありながら上記のキャリアを歩むようになった背景を教えてください。

向川原 英語を生かして仕事をしていた両親の影響もあり,幼少期から海外で働きたいと考えていました。とりわけ外交官になりたくて,国際政治に興味・関心がありました。

 転機が訪れたのは小学生の頃。当時,青森県に住んでいた祖父ががんで亡くなったことでした。「都心に住んでいれば治療がうまくいったのではないか」との気持ちがどうしても残った。医療技術が発達した日本でも医療格差が存在するのではないかと考えるようになり,何よりもまずは現場を見るべく医師をめざすに至ったのです。しかし国際政治への興味関心は捨てきれず,両立できるキャリアはないかと,医学部入学後も模索していました。

 次なるターニングポイントは,大学生の頃にカンボジア・プノンペンを訪れた経験です。結核に関連したフィールドワークをカンボジアで行うとの話を偶然伺い,現地調査のメンバーに加えていただきました。

――どんな出来事があったのでしょうか。

向川原 自身と同じ年頃の方が目の前で命を落としかけている姿に衝撃を受けました。幼少期の私は体が弱く,入退院を繰り返した時期もあったために,「もしこの国に生まれていたら恐らく今日まで生きていられなかっただろう」と直感し,「医療格差をなくしたい」との想いを強くしたのです。その一方で,途上国で医療を提供する一人の臨床医として活動するのでは,助けられる数に限界があるだろうとも思いました。そこで,格差をなくすという「政策レベル」から医療にかかわれないかと考えるようになったのです。

――大学生の頃にはWHO本部でのインターンも経験されたそうですね。グローバルヘルスの最前線ではどのような学びがありましたか。

向川原 WHOでは,どの地域やプロジェクトにどれだけの予算を分配するか,どの人材をあてがうべきかなど,自身がこれまで想像していた「医療」の枠組みを越えた議論が展開されていました。言わば,医療が国際政治の中に組み込まれていた。医療は人類が共通して考えなければならないイシューであることに疑いようはないものの,政治に翻弄される姿を垣間見ました。こうした経験を経て,将来の進学先として視野に入ったのが米ハーバード大学ケネディ行政大学院でした。

――なぜ「行政」大学院だったのでしょう。「公衆衛生」大学院に進学する選択肢もあったように思うのですが。

向川原 基本的に公衆衛生学は「医療」という枠組みの中で物事を考えます。しかし行政大学院で主に学ぶ公共政策学の場合,安全保障や財政などの数ある政策の中で「なぜ医療に重点を置かなければならないのか」が焦点になります。すなわち議論の起点が異なるのです。どちらを学びたいかと天秤に掛けた私は,公共政策学を選択しました。

――学生時代に志を抱きつつも,卒業後に一度臨床の道へ進まれています。何か狙いがあったのですか。

向川原 医師として最前線で経験を積み,一人の独立した臨床医になりたかったからです。沖縄県立中部病院での臨床研修中は研修に専念していましたが,休暇を利用し医療ボランティアとしてインドやタイ,さらには紛争中のシリア国境に近いヨルダンの難民キャンプを訪れました。

 宮古島での離島医療では,高齢にもかかわらず今まで医療機関をほとんど受診したことがない方に出会うなど,医療格差の一端とも呼べる光景がありました。医療格差に対する“治療法”を見つけられればとの思いを胸に抱き,2019年にハーバード大学ケネディ行政大学院公共政策学修士課程に進学しました。

――留学して間もなくコロナ禍に突入しました。渡米当初のイメージとのギャップはありましたか。

向川原 渡米後は,自身がマイノリティだと認識する機会が多々ありました。特にパンデミックの初期は,アジア人に対する目は必ずしも優しいとは言えず,差別を受けるかもしれない立場に置かれたことで,価値観に大きな影響を受けました。

 実は,渡米前は修士課程を修了したら国際機関で働こうと考えていましたが,パンデミックの経験を通じ,一転してハーバード大学政治学部博士課程への進学を決めました。

――COVID-19の経験が進路を左右したのですね。昨年はNature Medicine誌に,COVID-19の出口戦略に関する論文1)も発表されました。政策提案も現在の仕事の一つなのでしょうか。

向川原 そうです。ただ,私がメインワークとしているのは,国家間,または国家と国際機関などとの関係について研究を行う国際関係論や,政治家や外交官が行う意思決定が何に由来しているのかなどを研究する政治心理学,そして統計分析や解析手法の開発を行う応用統計学です。

――これまでの臨床医としての経験が生かされていると感じますか。

向川原 ええ。最前線の現場を通じて感じていた問題意識がリサーチクエスチョンに直接結びつくことがまず一つ。もう一つは,問診の考え方が,先ほど説明した政治心理学の考え方につながっていることです。

――どういうことでしょう。

向川原 問診では,患者さんの日常生活が具体的に想像できるまで子細に病歴聴取を行い,疾病罹患の構造的要因を考えます。政治心理学でも,政治家や外交官,官僚,あるいは国民が,政治や政策に関する情報に対して何を思い,どう行動するのかを事細かに納得いくまで分析します。目的は異なるものの,問題を具体的に,そして納得できるまで突き詰めていく姿勢は臨床医と変わりません。医師としての経験は役立っていると思います。

――ロールモデルとする方はいますか。

向川原 医師かつ経済学者であり,私の指導教官の一人でもあるMarcella Alsan氏(ハーバード大学ケネディ行政大学院公共政策学教授)と,全米医学アカデミー(NAM)の会長を務めた経験もあるHarvey Fineberg氏(ハーバード大学公衆衛生大学院医療政策・管理学名誉教授)の 二人です。

 Alsan氏は,医療格差の経済学的分析における第一人者です。彼女の研究の中でも特筆すべきは,有効な治療法が存在するにもかかわらず黒人の梅毒男性患者に無治療で経過観察を行ったとして悪名高いタスキーギ梅毒実験()にまつわる成果です。同実験において,高齢黒人男性の医療受診行動に与えた影響を研究し,実験の存在が黒人男性の医療不信を強め,平均余命を短縮させていることを明らかにしました2)。つまり,臨床実験が長期的な医療アクセスの問題にも影響することを示したのです。医師として,直面した健康格差の構造的要因に着目し,十分な科学的根拠を持って学際的な視点から証明した本研究は,大変貴重だと考えます。

 もう一人のFineberg氏は,医師としてハーバード大学ケネディ行政大学院で公共政策学修士号を,そして同大学政治学部で博士号を取得しており,私にとっては貴重な大先輩とも言うべき存在です。現在でも彼は,米国の医療政策に関して提言をするなどの活動を続けています。私個人としても,研究を通じてエビデンスを発信する中で,今後政策提言などの活動に少しずつかかわることができればと考えています。

――今後の目標を教えてください。向川原 今まで着目されてこなかった医療格差の原因と結果に注目し,それを科学的な視点を持って研究に結びつけ,世界に発信していきたいです。医師かつ政治学者として,当初の問題意識である医療格差の是正をできるところまで突き詰め,論拠を持ってアプローチしていくことが目標です。


:米アラバマ州タスキーギで,1932~72年にかけて行われた黒人の梅毒男性患者に対する臨床実験。同研究は,梅毒を治療しなかった場合,どのように病状が進行するかを追跡評価したもの。研究中である47年には有効な治療法であるペニシリンが存在していたにもかかわらず,その後も無治療で観察が続けられた。倫理的な問題を大いに孕んでおり,97年には,当時の米国大統領であったビル・クリントン氏が臨床実験の非を認め,公式に謝罪した。

1)Nat Med. 2022[PMID:35383313]
2)Q J Econ. 2018[PMID:30505005]

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ハーバード大学政治学部博士課程

2013年東京医歯大卒業後,沖縄県立中部病院で初期研修,内科(感染症)後期研修を修了。沖縄県立宮古病院にて離島診療にも従事する。19年に渡米。米ハーバード大ケネディ行政大学院公共政策学修士課程を修了し,21年より同大政治学部博士課程に在籍。専門は国際関係論,計量政治学,公共政策学,グローバルヘルス。NEJMのClinical Problem-Solving(PMID:32877587)やJAMAをはじめ,トップジャーナルに症例報告が複数掲載された経験から,そのノウハウをまとめた書籍『トップジャーナルへの掲載を叶える ケースレポート執筆法』(医学書院)が発売中。

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