睡眠外来の診察室から
[第12回] 「ぐっすり寝た感じがない」
連載 松井健太郎
2023.03.06 週刊医学界新聞(通常号):第3508号より
私は自他共に認める冷え性である。
健康オタクの母は以前から私の「冷え」を心配していた。冬のある日,「家庭用電位治療器の勉強会があるので一緒に行かないか」と言う。敷布団タイプの商品で,加温機能でぽかぽかと温かく,母が購入しとても良かったらしい。親孝行と思って参加してみることにした。
地域のお布団屋さんが会場であった。がらがらっと戸を開けて中に入ると,若い女性が「お腹の温度測りますからね」と言う。その手には非接触式の体温計。なぜかお腹に向けてピピッとやる。「はい,25℃。後で使いますからね」と紙を渡される。
むむ? これは10数年前の話である。コロナ禍で大活躍の非接触式体温計だが,当時はメーカーの人が勤務先の病院に営業に来たとかそういう時分の話で,世間の皆さまにとっては見知らぬデバイスと思われた。しかしこの中途半端な「お腹の温度」は明らかに外気の影響である。さっきまで外にいたんだもん。
次に登場したのはマスター・ヨーダのような雰囲気のご年配の女性であった。東洋医学的見地から「冷え」がいかに身体に悪いか,といった話を優しく解説していく。医学的には「ん?」と思われる話もあったが,いちいち指摘するのは野暮である。周りを見れば,母の世代の方々ばかり。明らかに私は浮いている。
ぼんやり聴講していると「さて皆さん,入り口で測ったお腹の温度,いかがでしたか?」とヨーダが言う。きた! クライマックスだ!
順番が来たので私は「25℃でした!」と元気よく発言したが「まあまあね」と言われそれきりだった。ところが私の次のおじいさんの「お腹の温度」は15℃だったため,「冷えがすごい」とヨーダや周囲の方々からさんざん言われ,おじいさんは沈鬱な表情になってしまった。入り口での違和感は確信に変わりつつあり,「外気の影響ですよ!」と指摘し全てをぶち壊すことも頭をよぎったが,怖かったのでニコニコうんうんしておいた。
その家庭用電位治療器はめちゃくちゃ高額なのである。かわいそうな隣のおじいさんは冷えによる健康被害に怯えて購入したのだろうか。こんな勉強会だったので,また母がナゾの健康グッズに大枚をはたいてしまったのか,と真顔で帰宅することになった。
後日母から連絡があり,例の家庭用電位治療器を追加購入し,私の自宅に送ったという。私は「うわあ……」と思ったが,せっかく買ってくれたので,律儀にそれをベッドの上に敷き,全く期待せずスイッチを入れて眠りについた。そして翌朝驚愕と共に目覚めた。これまでの人生史上経験したことないくらい,気持ちよく眠れたのである。
これは「ライトサイド」であったと言わざるを得ない。それにしてもどうしてあんな販促をしているのか。
「ぐっすり寝た感じがない」
これは睡眠外来を通院する患者さんの悩みの中でもそれなりの割合を占めると思う。ぐっすり寝た感じがしないことを「熟眠障害」と呼ぶ。
私が精神科医になった時には,「不眠症の主要な4症状は『入眠困難,中途覚醒,早朝覚醒,熟眠障害』だよ」と習ったものだが,このうち熟眠障害は現在,不眠症の診断基準から外れてしまった〔『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院),『睡眠障害診断分類第3版』(ライフ・サイエンス)〕。これは,熟眠障害そのものが不眠症以外の理由(例えば慢性疲労,疼痛,閉塞性睡眠時無呼吸等)で生じやすいためである。
とはいえもちろん不眠症患者にも熟眠障害はしばしば生じるし,臨床的にも重要である。先ほど挙げた入眠困難,中途覚醒,早朝覚醒,熟眠障害のうち,「熟眠障害」のみが1~2年後の抑うつの予測因子になった,との報告がある(Depress Anxiety. 2022[PMID:35377954])。さらに,勤労世代では短時間睡眠と熟眠障害の組み合わせが,高齢者では長時間臥床と熟眠障害の組み合わせが,それぞれ将来の致死リスクを予測する,との報告もある(Sci Rep. 2022[PMID:34997027])。
残念ながら,熟眠障害の改善に,これだ,という介入法はない。原因の絞り込みと適切な対処が重要なので,睡眠ポリグラフ検査を実施することにしている。寝床の状況や生活習慣についてもしっかり確認し,修正できるものがあれば指導していく。
私が感動した家庭用電位治療器は熟眠障害の改善に良いのかもしれないが,効果には個人差が大きい気がするので,周囲に勧めはしていない。そもそもとんでもなく高額だ(よくぞ息子に送りつけるほどの確信を持てたな,と思う)。
ヨーダの謎セミナーからはだいぶ月日が経ったが,母からもらった家庭用電位治療器は今でも愛用している。娘は「おとうちゃんのお布団はあつい」と嫌がっている。
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