医学界新聞


普及と啓発活動の好機をとらえる

寄稿 千住秀明

2023.01.30 週刊医学界新聞(通常号):第3503号より

 日本の呼吸リハビリテーションは,津田稔氏(九州労災病院,当時)が1965年に「日本胸部臨床」誌に報告した論文「慢性肺気腫のRehabilitationの実際」から始まった。その後,日本呼吸器学会が『COPD(慢性閉塞性肺疾患)診断と治療のためのガイドライン』(以下,ガイドライン)初版を1999年に発刊し,4~5年ごとに改訂を重ね,2022年には第6版1)が上梓された。1999年の初版ではCOPDは「治療の反応性に乏しい疾患」であると記載されていたが,2000年代になって第3版で「予防と治療可能な疾患」と改変された。変更の背景にはCOPDの治療薬の変遷がある。キードラッグである気管支拡張薬の開発が急速に進み,短時間作用型β2刺激薬(SABA)から長時間作用型抗コリン薬(LAMA),長時間作用型β2刺激薬(LABA)まで,喘息合併例で併用する吸入ステロイド薬(ICS),それらを組み合わせた合剤など,新薬が次々と開発され,多くの患者の自覚症状の改善や生存率の向上に寄与してきた。しかし,COPDはいまだ完治する疾患ではなく,患者はCOPDと共に長く生きていくことを余儀なくされる。

 ガイドライン第6版では,安定期COPDの管理目標を「症状およびQOLの改善,運動耐容能と身体活動性の向上および維持」,将来のリスク低減を目標とした「増悪の予防,疾患進行の抑制および健康寿命の延長」としている。その目標を達成する有効な手段として,薬物療法と呼吸リハビリテーションの併用が推奨されている。

 わが国の呼吸リハビリテーションの定義は「呼吸器に関連した病気を持つ患者が,可能な限り疾患の進行を予防あるいは健康状態を回復・維持するため,医療者と協働的なパートナーシップのもとに疾患を自身で管理して自立できるよう生涯にわたり継続して支援していくための個別化された包括的介入である」2)とされている。その効果は運動能力の改善,呼吸困難感覚強度の減弱,健康関連QOLの改善,入院回数・在院日数の減少およびCOPDに伴う不安と抑うつを減弱することである。効果に関しては「科学的根拠が強い(エビデンスA)」とGOLD(Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease,)委員会が2006年に明示していた。しかし,薬物療法の実施率が90%以上であるのに比して,国内外のCOPD患者への呼吸リハビリテーション実施率はいまだに5~20%を推移している。治療薬は各製薬会社が社の存続を賭け,積極的に学会や医療機関に効果・効能などの広報活動を行っているが,呼吸リハビリテーションの広報活動は乏しいのが一因だろう。

 発表される論文数の減少からも,呼吸リハビリテーションの効果は既に確立されていることが見て取れる。効果の検証はこれ以上必要なく,論文としての新規性が薄れているのだ。例えばPubMedで「COPD rehabilitation」をキーワードに検索をかけると,2020年は214論文,2021年は168論文,2022年は131論文と年々減少する傾向にあり,研究者の関心が失われつつあることがわかる。

 これだけエビデンスが構築されているのになぜ呼吸リハビリテーションは普及しないのか,長年理解に苦しんでいた。そのような時にガイドライン第6版は一筋の光を与えてくれた。それはガイドライン第6版の「呼吸リハビリテーション」関連の項目を読むとよく理解することができる。

 ガイドライン第6版作成委員会委員長の福島県立医大・柴田陽光氏は,「安定期COPDの治療に関しては,クリニカルクエスチョン(CQ)を設定し,最新のエビデンスをもとに各CQに対するシステマティックレビューおよびメタ解析を実施し,現時点でのベストアンサーを模索しています」と述べている3)

 これを示すかのように,CQ12では「安定期COPDに対して,運動療法を含む呼吸リハビリテーションプログラムを推奨するか?」を取り上げ,「運動療法を含む呼吸リハビリテーションプログラムを行うことを強く推奨する」「エビデンスの確実性:(A)強い」と明記している。具体的には,息切れの指標であ...

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びわこリハビリテーション専門職大学 教授/理学療法士

1974年九州リハビリテーション大学校(当時)理学療法学科卒。85年長崎大医療技術短大講師,2001年長崎大医学部教授などを経て,22年より現職。博士(医学)。専門は呼吸リハビリテーション。10年に第20回日本呼吸ケア・リハビリテーション学会学術集会長を務めた。