医学界新聞


若手からベテランまで長く働き続けられる体制の構築を

対談・座談会 舩越拓,山上浩,千葉拓世,佐藤信宏

2022.12.05 週刊医学界新聞(レジデント号):第3496号より

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 今後ますます救急医療の充実が求められる日本において,救急医の確保は重要な検討課題と言える。しかし救急医は,ミッドキャリアである40代を契機に,さまざまな理由から救急医療の現場を離れていく。救急医が現場を離れず長く働き続けるには,いったいどうすればよいか。「ミッドキャリアを迎えた救急医が長く働き続けられることを下の世代に見せるのが重要」と語る舩越拓氏を司会に,まさにキャリアの中盤に差し掛かった同世代の救急医4氏が救急医を続けていくための可能性を探った。

舩越 本日はお集まりいただきありがとうございます。救急医は40代を境に救急医療の現場を離れる傾向にあります。そのため,他診療科に比べ平均年齢が低く,50代以上の年長者が少ないことが特徴です(表・図1,2)。ここ数年で,私の周りでも同世代の救急医が現場を離れていきました。救急科は夜勤・当直が多いことから,年齢を重ねて体力が低下するとついていけないと感じる人が多いのも一因でしょう。私も含め本座談会の出席者は全員40代であり,夜勤のつらさが段々と身に染みてきている頃ではないでしょうか。40代というのは臨床スキルの面では成熟し,仕事のやりがいや面白さを改めて見つめ直す年代とも言えます。そこで今回は,そうしたキャリア中盤に差し掛かる同世代の救急医4人で,ミッドキャリアクライシスを乗り越えて救急医を続けていくためのヒントを考えていきたいと思います。

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 主たる診療科別にみた医師数および平均年齢(文献1をもとに作成)
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 主たる診療科別にみた医師の年齢構成(文献2をもとに作成)
救急科は他診療科に比べ50代以上の割合が低い。2006年のデータ。

舩越 救急医療の専門性に対する他の診療科の無理解,あるいは救急医療自体が外傷診療から内科的診療・高齢者診療にシフトしたことなどによって,自身の専門性に疑問を感じてモチベーションを保てなくなる人がいます。皆さんはどうモチベーションを保っていますか。

佐藤 他にも,外来で対応が難しい患者が続くと,モチベーション維持がきつくなる時がありますね。それでも維持できているのは,故郷のために貢献したい,自分の働いている地域を良くしたいとの気持ちからです。

山上 私は皆さんのような大学院進学や留学などの経験はなく長く臨床現場にいますが,それでもモチベーションを維持できていると感じます。「自分は内科疾患から外傷まで全身を診られる救急のスペシャリストとして診療している」と考え,他者評価を気にしないことがよいのかもしれません。「救急医は研修医10年目」などと心無い人から揶揄されることも承知していますが,私自身は全くそう思っていません。救急医の仕事の本質を知らない人からの意見は気にする必要がありませんし,私が迷い始めたら後輩たちも迷ってしまう。研修医にも自身の信念を必ず伝えるようにしています。

舩越 私も山上先生と同様に,下の世代を教える使命感が自分を支えている気はします。

山上 それに,適切な初療を行うのは実は難しいし,高度な専門性ですよね。私はもともと循環器内科に興味があり内科研修をしていたのですが,自身の診療で患者に迷惑を掛けてしまったことがありました。この経験から,初療をきちんと行える医師になりたいと救急医を志したのです。

千葉 強い意志を持って救急医を志望されたからこそモチベーションが保てているのですね。

 私は誰かの助けになりたいとの思いから医師を志し,「優しい医師であること」が仕事を続けるモチベーションになっています。救急搬送されてきた患者を診て,緊急性が低いからと帰宅させるのは医学的には正しいかもしれませんが,その場合でも患者に寄り添いたいと思っています。

舩越 患者に寄り添いたいという気持ちは,米国への留学でより強まったと感じますか。

千葉 ええ。米国では違法薬物などに手を出す患者が一定数いて,彼らは社会的な問題を抱えていることが多かったです。そうした気付きから臨床中毒学に興味を持ち,現地で勉強し始めました。すると,私のメンターは中毒の知識だけでなく,患者サポートの方法まで教えてくれました。一歩先まで踏み込んで何かできることはないかと,患者に懸命に向き合う姿勢に感銘を受けたのです。

 また留学時に感じたのが,海外の医師は自分で自分を労うのが上手ということです。そうやって仕事の価値や意義を見いだしやすくなれば,救急医を続けるモチベーションを維持できるかもしれません。2019年に日本救急医学会が「働き方改革アクションプラン」3)を発表し話題になったように,学会レベルで現場の救急医を応援するメッセージが出されるのもよいと思います。

舩越 中堅の救急医が減ると,若手が増えづらい悪循環に陥ります。学生や研修医が将来的な専攻を検討する際に,中堅になってキャリアを変更していく先輩たちを見ると選択しづらくなるのは当然です。

佐藤 医療を支えるという点でも問題が出てくるはずです。40代は医師として脂の乗っている時期。そうした人材がいなくなるのは組織にとっても痛手です。人数が減ると現場の負担がさらに増えますよね。モチベーション以外で救急医がキャリアを断念する理由は何が考えられるのでしょう。

舩越 「救急医としてのセカンドキャリアの少なさ」が考えられます。救急医は一度現場を退くと開業医になったり在宅医療に進んだりと,救急医として復帰する人が少ないです。体力的に夜勤がつらくなってくるのも大きい要因でしょう。

佐藤 ちなみに皆さんは現在,月に何回くらい夜勤がありますか。

舩越 私は月5,6回くらいです。当院だと22時から翌日の8時までが夜勤の勤務時間なのですが,40代になって少しきつくなってきたなと感じます。

山上 私も多い時は月6回で,17~23時の準夜勤も5,6回入っています。その分,日中は部門の管理業務が中心です。

千葉 当院は医師のバーンアウトに配慮して,月3回くらいです。その代わり,16時から翌日の8時までと少々長めです。

佐藤 それはそれできつそうですね……。

千葉 事前に寝られないまま診療すると翌日はへろへろです(笑)。

舩越 10年後,20年後も今と同じ回数の夜勤をこなしていくのは厳しいと考える救急医は少なくない中で,皆さんは救急医を続けていくことをどう考えていますか。

佐藤 当科のセンター長はもうすぐ60歳になりますが,いまだ現役バリバリで他の救急医と同様に夜勤をこなしています。そうした姿を見るとこれからも救急医を続けていくことにあまり不安は感じていません。

舩越 60歳でも夜勤をこなしているのはすごいですね。

佐藤 当院の夜勤には救急外来と病棟管理があります。病棟管理は途中で仮眠できる日もあり,年長者は病棟管理が多く割り当てられることも続けられる理由の1つだと思います。

千葉 米国でも60歳になっても第一線で働く救急医がいました。やはり年長の救急医は日勤がメインで,夜勤は若手が入っていましたね。米国では勤務開始時間を少しずつずらしながらシフトを組む病院が多いです。日本でも同じことができればよいのですが,実現できるのは規模の大きい施設のみでしょう。

山上 夜勤は若手優先となると若手医師の疲弊につながりそうです。われわれが50,60歳になっても救急医として働ける体制をつくっていくには,救急医の絶対数を確保してシフトが組めるような施設を増やしていくことが求められます。

舩越 日本はER型救急の歴史が浅く,50代以降になってもロールモデルとして活躍する救急医が全国にそう多くいません。ER型救急を開拓した最初の世代の代表が寺澤秀一先生(福井大)であり,その後に林寛之先生(福井大)らが続きます。そして,ER型救急が徐々に発展し,われわれの世代がボリュームゾーンになってきたのだと思います。救急医を増やすには,下の世代も継続して働ける仕組みを整備することに加え,「救急医を続けられること」を見せていくのが,われわれの大事な役割なのかもしれません。

舩越 救急科志望の若手を増やすには,救急医療の面白さを知ってもらうのが一番です。私は,救急医療の面白さは病院や地域の救急体制をデザインできる点だと考えています。さまざまな課題を発見し解決して,その病院もしくは地域を良くしていく。そうした活動を経て救急医として一段ずつステップアップしていくと,存在意義を感じ続けられ息の長いキャリアにつながるはずです。皆さんが感じる救急医療の面白さや,救急医として働く魅力を教えてください。

山上 現代社会のニーズに合わせて提供する医療を自分たちでつくっていける点ではないでしょうか。かつて,救急搬送されてくる患者の多くは交通事故で外傷を負った方でした。しかし,現在は高齢者や社会的な問題を抱えた方がほとんどです。対象患者が変容し,提供する医療がすぐには確立しないからこそ,自分たちでつくっていける面白さがあると感じています。

舩越 蘇生できる診療能力は救急医のボトムラインとして重要ですが,診療方針の構築においては救命至上主義でなく患者の価値観に合った医療を提供することが救急医に求められていますよね。救急医療が社会的弱者と向き合わなけなければいけない中で,救急医に求められるのは社会が要請する診るべき患者を“診たい患者”にする力かもしれません。関心のある領域を限定しないことは,救急医療のやりがいを考える上では重要です。

佐藤 同感です。例えば,「三次救急で重症患者を診たい」という気持ちが強すぎると軽症者を診たくなくなってくる。救急医を志すならば,「こういう医師になりたい」という気持ちを強く持ち過ぎないほうが良いと思っています。

 また,救急医は基本的にシフト制勤務のため,オン・オフの切り替えがはっきりとしています。これは救急医として働くメリットと言えるでしょう。他にも,家族や友人など自分の大切な人たちに何か起きたときに,とっさに判断・対応できるところも魅力の1つかもしれません。

千葉 私生活が充実しないと仕事にも集中できないので,オフの時間をうまく使えるかは重要です。私の場合,休日は子育てに注力しています。

舩越 子育てが忙しい時期は時短勤務にして,落ち着いてきたらフルタイムに戻すという働き方を取り入れやすいですよね。私も今子育て中ですが,これから先,子どもが少しずつ親離れして子育てに時間がとられなくなると考えたときに,再度仕事の比重を上げたいと思う時がやってくるのかと予想しています。救急医療は常に現場に立っていないと実力が落ちる領域ではないと思いますので,フレキシブルに働けるのも魅力の1つです。

千葉 フレキシブルな働き方を全国で推進する上で,解決すべき課題もありますよね。

山上 施設によって状況はさまざまです。産休,育休が取得しやすいことから女性の救急医が集まる施設もあれば,慢性的な人員不足のところもあります。救急医が偏在している現状を解決しなければいけません。

千葉 たしかに3人救急医の病院が10か所あるよりも,10人救急医の病院が3か所あったほうがシフトはうまく回ります。

舩越 救急医療を集約化して一施設当たりの救急医が増えれば,高いパフォーマンスを発揮できます。そうすれば一人当たりの負担も減り,救急医が長く働き続けられる体制が構築できそうです。そうした施設の整備も必要でしょうね。

舩越 ここまで救急医を続けていくためのヒントを話し合ってきました。最後に救急医をめざす研修医や,これからミッドキャリアに差しかかる救急医の後輩たちへメッセージをお願いします。

山上 救急医療は社会のニーズに合わせて在り方が変化していくため,まだ多くの課題があります。私自身はそれらの課題を1つずつクリアしていくのも仕事を続けるモチベーションになっています。めざすロールモデルが少ないからこそ自分がなるつもりで,ぜひ救急医療を楽しんでください。

千葉 若い先生方が救急医をめざしたくなるように,われわれ世代の救急医が自分たちの背中を見せて,「救急医療が楽しい」と思わせなければと,今日の座談会を経て思いました。ぜひ一緒に救急外来で楽しく働ける日が来ることを願っています。

佐藤 救急医療に限った話ではなく,自分のやりたいことにこだわり過ぎるとどうしてもやりたくないことが出てきてしまいます。自分に何が求められているのかを感じながら医療を支えていってほしいです。

舩越 今日の座談会を通じて,お互いの心境を話して励まし合える仲間がいることが何より大切だと改めて感じました。20年後に再度この4人で集まって,「楽しく救急医を続けられているよ」と飲みながら話し合えるように,頑張っていこうと思います。今日はありがとうございました。

(了)


1)厚労省.令和2(2020)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況――表4 主たる診療科別にみた医療施設に従事する医師数及び平均年齢.2022.
2)厚労省.平成18年(2006)医師・歯科医師・薬剤師調査の概況――統計表5 医療施設従事医師・歯科医師数及び構成割合,年齢階級・診療科名(主たる)別.2006.
3)日本救急医学会.働き方改革アクションプラン.2019.

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東京ベイ・浦安市川医療センター 救急・集中治療科(救急外来部門)部長 / IVR部門長=司会

2005年千葉大医学部卒。市中病院での初期研修中に救急医療の面白さに気付く。07年国保松戸市立病院(現・松戸市立総合医療センター)救命救急センターで後期研修。千葉大病院総合診療部などでの勤務を経て,12年新設の東京ベイ・浦安市川医療センターの立ち上げに参加。17年より現職。

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湘南鎌倉総合病院 救命救急センター長

2003年福井大医学部卒。当初は循環器内科医を志すも,患者をジェネラルに診療することの必要性を感じ,06年より湘南鎌倉総合病院救急総合診療科にて後期研修を行う。13年同院救急総合診療科部長を経て18年より現職。

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国際医療福祉大学成田病院救急科 講師

2004年九大医学部を卒業後,亀田総合病院での初期研修中に救急医を志す。08年より福井県立病院救命救急センターで勤務した後,14年米マサチューセッツ大にレジデンシーとして留学。17年米ハーバード大でクリニカルフェローとして中毒の臨床および研究に取り組む。19年より現職。

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新潟市民病院救急科 副センター長

2005年新潟大医学部卒。患者急変時にうまく対応できなかった初期研修時代の経験から,新潟市民病院の救急科で後期研修に励む。福井大救急部などで臨床経験を積みつつ,13年東大大学院医学系研究科公共健康医学専攻(公衆衛生大学院)修了。16年新潟大大学院医歯学総合研究科地域疾病制御医学専攻で博士号を取得する。18年より豪モナシュ大にリサーチフェローとして留学。20年より現職。

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