医学界新聞


海野信也氏に聞く

インタビュー 海野信也

2022.10.24 週刊医学界新聞(通常号):第3490号より

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 過去10年で約20万件減と国内の分娩件数が減少する中,これまで諸外国に比べて著しく少なかった無痛分娩の実施件数は年々増加する傾向にあり,安全な無痛分娩の実施に関するコンセンサス形成が求められていた。そうした状況を受け,2017年以降厚労省,関連専門学会は,無痛分娩関係学会・団体連絡協議会(JALA)の設立を含めた体制の整備を進めてきた。その歩みについて,JALA総会議長である海野氏に話を聞いた。

――2017年に安全な無痛分娩提供体制の整備に向けた動きが始まりました。きっかけは何だったのでしょうか。

海野 メディア報道に伴う社会的関心の高まりです。無痛分娩中に母体の状態が悪くなり寝たきりになった方,亡くなった方の事例が繰り返し報じられたのが大きく影響しました。また,日本産婦人科医会をはじめとする関係学会・団体では,2010年から妊産婦死亡報告事業に取り組み,妊産婦死亡事例の再発防止策を検討して,「母体安全への提言」1)として解析結果を毎年公表していますが,その中でも,無痛分娩の安全性への懸念が指摘されました。

――本格的な体制整備の動きよりも以前から,妊産婦死亡事例に関する調査が行われていたのですね。

海野 ええ。国内の妊産婦死亡事例は,2010年から現在に至るまで,おおよそ年間数十件です。総分娩件数は100万件前後で推移していますから,規模の大きな分娩施設でも妊産婦死亡に出合うことはまれ。いざ目の前で妊産婦死亡が起きたとして,その理由は自施設だけで考えていてもなかなかわからないわけです。妊婦さんが亡くなるのは大変な悲劇であり,少しでも減らすための方策が必要でした。そこで改善の方針を立てるため,国内の死亡事例を集めて検討し,原因を見極める妊産婦死亡報告事業が始まったのです。

――事業を通してどのような問題が見えてきましたか。

 2010年当初の分析でまず問題として挙がったのは産後の大量出血でした。ただこれは医療体制が整備されるにつれ徐々に減ってきた。そうした中,2017年になって,帝王切開や無痛分娩の麻酔が妊産婦死亡に関連する可能性が指摘されました。もちろん当時は実際に因果関係があるのか定かでなかったのですが,麻酔を使用した分娩,とりわけ無痛分娩の安全性を確認・検討する必要があることは明らかでした。そうした検討が開始される時期に,無痛分娩の死亡例の報道が相次いで起こった,という事の次第です。

――その頃の無痛分娩の診療体制は,どのようなものだったのですか。

海野 当時は診療体制に関して,学会のガイドラインなどの基本的な大枠さえ存在していませんでした。そもそも,無痛分娩がどこで,どのように,どのくらい行われているのかという基礎的なデータすら把握できていない状況でした。ですから,まずは現状を知ることが必要だったのです。その成果が日本産婦人科医会の「分娩に関する調査」2)です。分娩施設約2000のうち無痛分娩を行う施設は500ほど。全分娩件数に占める無痛分娩の割合が約6%で,その割合は増加傾向にあることが明らかになりました。一方で,無痛分娩と妊産婦死亡との間に明確な関連性はみられませんでした。もちろん関連がないとは言い切れませんが,調査結果に鑑みると無痛分娩そのものを危険視するほどではない,との結論に至りました。

――つまり無痛分娩の安全性に問題点はなかったということでしょうか。

海野 必ずしもそうではありません。子宮破裂や出血過多であれば麻酔が原因で起こったのかはっきりとはわかりませんが,全脊椎麻酔に関しては明らかに硬膜外麻酔の合併症です。厚労省の研究班が把握した範囲では,10年間で約50万件と推定される無痛分娩のうち4例で全脊椎麻酔による死亡・脳障害事例が報道事例だけでも確認されました。現実を正確に反映した数字であると直ちに言うことはできないにせよ,約10万件に1例という割合は,無視していい数字ではないと考えました。単純比較はできないものの,米国では100万件に1例ほどですから。

――全脊椎麻酔による死亡・脳障害を防ぐことは難しいのですか。

海野 全脊椎麻酔への対処のためには,適切な体制の整備,医師およびスタッフの訓練が必要です。局所麻酔が効きすぎることで呼吸困難に陥った状態ですから,気管挿管し人工呼吸器につないで全身麻酔に切り替えることができれば,重大な後遺障害の発生を防げると考えられています。

――死亡につながった例があるのはなぜなのでしょう。

海野 無痛分娩が手術室ではなく分娩室で行われることが理由の一つとして挙げられます。分娩室は手術室に比べて設備面でのビハインドがあります。また,硬膜外麻酔下でも意識はあるので,無痛分娩中に全脊椎麻酔が起こると,酸素が足りなくなって苦しむ産婦さんが興奮して暴れてしまう事態も起こり得ます。大抵のケースではうまく対処できるものの,事前に想定した上で準備をしておかなければ,緊急の対応に手間取ってしまう可能性を拭いきれません。危険性が著しく高いと言うほどではないけれど,相応のリスクを伴う。それが硬膜外麻酔による無痛分娩です。

――リスクへの備えとして,どのような体制整備を行ってきたのですか。

海野 まず,無痛分娩関係学会・団体連絡協議会(The Japanese Association for Labor Analgesia:JALA)を発足しました。この組織は,「無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言」3)を受け,賛同した日本医師会,日本看護協会,日本産科婦人科学会,日本麻酔科学会,日本産婦人科医会,日本産科麻酔学会によって2018年7月に設立されました。安全な診療体制実現に向け,大きく3つの方策を講じています。

――具体的に教えてください。

海野 一つ目は,研修体制の構築です。先ほど申し上げたように,無痛分娩では状態が悪くなった際にいかに対応できるかが安全性の鍵を握ります。そのためには,無痛分娩に携わる医療者全員が,起こる可能性のある事柄と対処法を共有する必要があります。JALAでは4つの区分の講習会を指定し,自身の職域に合わせた内容を定期的に受講するよう呼び掛けています。

 二つ目は,一般の方・医療者双方に向けた情報公開です。無痛分娩の様式やリスクといった基本的な情報を提供するとともに,無痛分娩実施施設の検索ができるデータベース4)を公開しています。現在,事業に参画,同意した施設約400のうち,199の施設の情報を公開しています。登録内容は,情報の正確性を担保するため,各施設のWebサイトに掲載されている情報と一致することを条件にしています。

 三つ目は,有害事象の収集です。無痛分娩との関連は問わずにインシデント・アクシデントを収集し,分析を行います。こちらはまだ十分な数の事例が集まっていないこともあり,今後本格化していく予定です。

――今後の無痛分娩の在り方はどうなっていくとお考えでしょうか。

海野 どのようなお産をするかを決めるのは産む当事者だというのが,JALAの基本的な考え方です。お産をする全員が,安全性の高いと考えられる大病院を受診するかというと,そうではありません。お産には生活・文化としての側面があるのです。各人の暮らしや考え方が先にあって,それに沿う形で行われている。無痛分娩がその中にどのように組み込まれていくか,なのだと思います。もちろん無痛分娩には先に述べたリスクがありますし,そのことを把握していない一般の方も多いです。無痛分娩を選ぶ上で最低限の知識を持っていただくことは必要です。正確な知識があれば選ばなかった,という方もおられるでしょうから。

 JALAが現在行っているのは,そうした選択のための前段階の整備です。無痛分娩を選択したい人が選択できるよう,基本的な枠組みを作っているわけです。1人ひとりがどのようなお産をするのかを選び,その選択の集積の結果として無痛分娩を含むお産の在り方が定まっていくのではないでしょうか。

――最後に,無痛分娩に取り組む医療者にメッセージをお願いします。

海野 今,全体としてお産の数が減っている一方で,無痛分娩を希望する方は増え続けています。各施設の経営上の課題もあり,無痛分娩に対応してほしいというプレッシャーが,妊産婦さんからも経営側からも,病院・診療所を問わずにかかっている状況があるのだと思います。ニーズに対応することも重要ですが,まず考えていただきたいのは,安全性を確保することです。安全でない無痛分娩は,わが国の社会には許容されません。安全な無痛分娩の提供体制を構築するために,JALAの発信する情報を活用していただければ幸いです。

(了)


1)日本産婦人科医会.母体安全への提言.
2)日本産婦人科医会.分娩に関する調査.2017.
3)「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築についての研究」研究班.無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言.2018.
4)JALA.全国無痛分娩施設検索.

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JALA総会議長/JCHO相模野病院周産期母子医療センター顧問

1982年東大医学部卒後,同大病院産科婦人科学教室入局。焼津市立総合病院等を経て,94年米コーネル大獣医学部生理学教室客員助教授。帰国後は東大産婦人科講師,長野県立こども病院産科部長,長野県総合周産期母子医療センター長等を歴任し,2004年北里大産婦人科主任教授,12年同大病院長などを経て,22年より現職。18年よりJALA総会議長,19~21年日本産科麻酔学会理事長。

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