医学界新聞


末梢神経障害診療に学ぶ症候学の重要性

対談・座談会 神田隆,三苫博

2022.10.24 週刊医学界新聞(通常号):第3490号より

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 多数の患者が症状を訴える末梢神経障害はcommon diseaseと言える一方で,診療に苦手意識を持つ医師は多いのではないか。では,なぜ末梢神経障害の診療を難しく感じるのか。末梢神経障害を専門とし,このたび『末梢神経障害――解剖生理から診断,治療,リハビリテーションまで』(医学書院)を上梓した神田隆氏は,日常診療での症候学の重要性を説く。さらに長年医学教育に尽力を続ける三苫博氏は,近年の医学教育の在り方に問題点を指摘する。対談から見えた両氏の真意とは。

三苫 神田先生,ご無沙汰しております。このたびは書籍の刊行おめでとうございます。

神田 ありがとうございます。学生や若手脳神経内科医,他科の医師の「末梢神経障害の診療は難しい」「検査をしても診断がつかない」との声をよく耳にします。そこで上梓したのが『末梢神経障害――解剖生理から診断,治療,リハビリテーションまで』です。

三苫 企画の背景にどのような問題意識があったのでしょうか。

神田 脳神経内科が広範な領域を担う一方,多くの施設では少人数で領域全体の診療をカバーしている現状です。その中で,患者さんが多いcommon diseaseであるにもかかわらず,対応が特に不十分になりやすい領域が末梢神経障害だと私は考えています。標準的な診療を学ぶためには教科書の存在が欠かせませんが,これまでは臨床での実用に耐え得る日本語の教科書がありませんでした。欧文ではDyck先生による『Peripheral Neuropathy』が最もスタンダードであり,網羅的に書かれた良書です。しかし実践的ではないと感じていたのです。

三苫 簡単な総論が冒頭にあり,以降に疾患の各論が並ぶような書籍は,辞書としては活用できますが読み物にはなりませんよね。ただ疾患を羅列されたのでは面白くありませんから。

神田 その通りです。ただ一方で,「教科書はいま本当に求められているか?」との疑問を持っています。近年はWeb上で簡単に情報を入手できることもあり,教科書が買われませんよね。その中でこれからの教科書の役割や,末梢神経障害を含む神経内科学をどのように学ぶか,あるいは指導すべきか考えたいと思い,ご施設で医学科長を務めるなど,医学教育に造詣の深い三苫先生をお呼びしました。

神田 教科書が売れない理由をどう分析しますか?

三苫 長年学生と接する中で,そもそも医学生の目標が私たち教員の考えとは異なるように感じています。われわれは医学を学ぶことそのものや,患者さんを診る実践的能力の獲得を彼らに期待しますが,近年の学生の多くは医師になること自体を目標とします。医師国家試験(以下,国試)に受かるための勉強をするとの意識が強いのが一因ではないでしょうか。

神田 なるほど。以前,私は国試の試験委員を務めていました。国試は詰まるところ,単なる暗記ではなく疾患の進行や治療法選択の根拠,つまり「なぜその解答になるか」の背景を理解している学生が正答できることをめざし,委員が丁々発止の議論を重ねながら問題を作成します。しかし,国試の解説本では「この診断基準に該当する,診断基準を知っていれば解ける問題」などと解説されてしまうのです。

三苫 当然,学生側はわかりやすいその解説を受け入れ,「知っているか,知っていないか」の学習を継続してしまいますよね。卒後も同様で,近年は専門医資格の取得が目標となり研究をしなくなっていると聞きます。設計者の意図とは異なり試験や制度がひとり歩きし,「資格が取れればいい」との文化ができつつあるのではないでしょうか。

神田 資格取得を最終目標に据えていれば,教科書を用いず効率よく勉強しようとの発想は合理的とも言えます。2004年に導入された医師臨床研修制度をはじめ,医学教育で実践が強調されすぎた弊害と言えるでしょうか。

三苫 そうですね。それ以前の本邦の卒前・卒後の医学教育は知識偏重だと指摘されていたので,その反動だと思います。ただ,今度は反対に「この症状があればこの疾患」「この手技が必要」と,「臨床ですぐに役立つ」ことが錦の御旗となり過度に強調されている気もします。その結果,胸痛があれば虚血性心疾患や大動脈解離,肺血栓塞栓症を考える。そして,左肩に放散痛があれば心筋梗塞,移動性の痛みならば大動脈解離と,症状と疾患を直接結びつけるよう教育されがちです。

神田 同様に,症状をとにかく診断基準やガイドラインに“当てはめる”ことも多いですね。しかし,ガイドラインにも診断基準にも作られた背景や思想があります。完治・寛解の見込める疾患であれば,治療のチャンスを増やすために広く患者さんを捕捉できるよう基準を作る。一方,予後が悪く慎重に診断すべき疾患であれば患者さんを広く捕捉するのは不適切で,診断基準は狭められます。

 診断基準やガイドラインが整備されるのは重要なことです。けれども「何を根拠に作られたのか」「その診断基準は何を目的としているのか」「なぜその治療を選択するのか」といった背景を体系的に理解して用いなければ,次のステップには進めません。

三苫 教科書には著者が蓄積した経験が落とし込まれているので,その体系的な理解に有用なはずです。臨床医学は文学のように自由に解釈できるものではないので,どう診療を組み立てるかの考え方も最初は真似しなければなりません。そこで,単に事実を羅列するのではなく,その考え方の定石を提示することがこれからの教科書の役割だと思います。実際に,欧米で用いられる教科書は著者の考え方が記されていますよね。若手が読まないのも課題ですけれど,作り手側にも問題があるでしょう。名著には,やはり工夫があります。

神田 同感です。ネットで情報が得られる時代ですが,一貫した物事の考え方が背後にある書籍は,体系的な理解を促す導きとして,存在価値が残り続けると思います。それらを利用して実践偏重の傾向を打開することが,これからの医学教育の課題になるでしょう。

三苫 神田先生の書籍は症候についての記載があり,そこが病態生理の解説の役割を果たしているのが特徴ですね。総論と疾患各論の間に症候学を置いて構成された点に,神田先生の思想や哲学が反映されています。末梢神経障害の領域で,よくこれだけの症候をおまとめになったなと感嘆しました。

神田 ありがとうございます。あえて言えば,書籍の内容は末梢神経障害を診る際に最低限押さえていたいものです。脳神経内科は膨大な領域を相手どる学問で,丸覚えで対処すると必ず破綻します。そこで,各疾患の概要を教科書的に解説するだけでなく,鑑別を行う際に必要な観点も加えることで,実際に診療を行う際の基本的な考え方を併せて身につけられる書籍を作ろうと企画し,執筆者の先生方がその思いに応えてくれました。

 例えば末梢神経障害は,通常手よりも脚で筋力低下が顕著です。では反対に手の症候が強い場合には何を考えるべきか。患者さんの症状をきちんと観察し,その背景にある病態生理や解剖学の理解を基盤に原因や病態を考えながら,根拠を持って鑑別していく症候学が非常に重要だと考えています。

三苫 近年はmolecular medicine,すなわち各疾患の病因論の発展に伴い,症候学が注目されなくなりましたね。しかし,ベッドサイドで患者さんと相対する時,医師はまさに症候を診るのです。いま指摘された「観察と思索」によって,基礎医学と臨床医学を統合することが真に臨床の実践を重視することにつながると考えています。もちろん病因論とどちらか一方ではなくバランスが重要ですが,症候学にいま一度スポットを当てる必要があるのではないでしょうか。

神田 同感です。患者さんの困り事に共感し,対策を立ててあげるのが医師の基本的な役割のはずです。患者さんは「この遺伝子の具合が悪い」と病因論で困るのではなくて,「右手が動かない」ことに困っています。患者さんの症候を観察し適切にとらえることから医師と患者さんとのコミュニケーションが始まるのです。そうして良好な人間関係が構築されていけば,診断も治療もよい方向に展開していくはず。症候学を身につけることは医師として必須だと思います。

神田 本日挙がった実践の偏重や症候学が注目されないなどの課題は,背景にある基礎知識の理解を徹底して指導してこなかったわれわれ指導医に責任があると考えています。特に若手に対して,その重要性をどのように伝えていくべきだと考えますか。

三苫 われわれの役割は,いかに面白いと感じさせるかでしょう。彼らには学習する能力があり,中でも面白く感じたことには集中して取り組みますから。そして,「目の前の患者さんの症状は症候学ではこう説明できて,molecularレベルではこういう異常がある」と,学習したこと同士がつながる実感を持てれば面白いと感じるはずです。その体系的な理解を促すために,やはり教科書です。卒前の場合は,ベッドサイドで「観察と思索」を行う習慣を身につけるための手がかりとして教員が成書を示す。卒後の指導も同様です。さらに書籍だけで不足する実践は,ベッドサイドで共に患者さんを診ながらの指導も欠かせません。

神田 その機会の一つが回診です。近年は無意味だとの指摘があちこちから上がっていて,とりやめた教室もあるように聞いています。私は無意味だとは全く思いません。「患者さんの現在の状況をどう考えるのか」を主治医や学生に聞くことで,彼らの考えや理解度の深さを把握し,それに対してフィードバックを行うための貴重な機会だととらえています。形式的に行う大名行列は無意味です。しかし,リアルな病状に対して,指導医が要点を的確に突いた診察を見せてあげる機会は必要です。

三苫 特にコロナ禍を受けて教授回診が制限され,また学生は実習の中で患者さんと触れ合う機会が減りました。そうして患者さんに触れていない中で,実践が推奨されて「とにかく病棟に行け」「患者さんを診ろ」と言われる。たしかに見学ばかりでは経験不足に陥るかもしれませんが,そもそも前段階として,エキスパートがどう患者さんを診察するのかを見せてあげることが必要ですよね。私もお話していて気がつきました。

神田 ええ。本当に症候学を学べる機会は,おそらくベッドサイドだけです。例えば筋炎の患者さんで,CK値が正常で大腿四頭筋などの四肢近位筋にも筋力低下がみられなければ,真の原因がわからないまま治ったと判断されることがあります。そうではなく,「患者さんは体をよじってベッドの柵を持たないと起き上がれないよね。でも大腿四頭筋に力は入っている。では,どこが弱いのか」と彼らに聞いて考えさせ,「この患者さんは筋炎で体幹筋が弱っていて,まだ全く治っていないんだよ」と伝える。その指導をベッドサイドで実際に患者さんを診ながら行って初めて,研修医や学生は症候と真に向き合えるのです。

三苫 指導医の能力が問われますね。指導を通して症候学の面白さを伝えるためには,指導者自身がもっと研鑽を重ね,深く考えて診療に当たらなければなりません。

神田 思い返せば,私が学んだ頃の東京医科歯科大学には,神経解剖学者の故・萬年甫先生をはじめ,神経系の大家の先生が多くいらっしゃいました。そこに居るだけで圧力を感じるような(笑)。同学年80人のうち4分の1近くが神経関連の領域に進んだのは,そういう先生の影響が大きいと思います。

三苫 私も授業の内容は忘れてしまっても,研鑽に裏打ちされた彼らの凛とした佇まいや文化的な雰囲気は今でもはっきり覚えています。ご自身が血のにじむような格闘をしながらも楽しんで研究を続けてきた人生そのものが醸し出す,言語化されないメッセージに学生や研修医は影響されるのでしょう。

神田 むしろ,そうした姿を見せることこそが指導者の本当の役割なのかもしれませんね。

神田 末梢神経障害は国内におよそ1000万人の患者が推定され,common diseaseと言えます。他科との連携も欠かせません。また脳神経内科医に比べて整形外科医が多いこともあって,ファーストタッチの多くを整形外科医が担います。最後に,他科の先生にどのように啓発すべきかを議論できればと思います。

 近年は,画像検査の発達により手の痺れならばすぐに頸の,脚の痺れであればすぐに腰の画像検査を行います。国内でのMRIを含む画像検査の普及は幸せなことである反面,原因がわからない場合に加齢による腰の湾曲を痺れの原因とされてしまうことが往々にしてあります。

三苫 脳神経内科と他科の症候学には,文化の違いもありますね。他科では症状があればすぐ鑑別診断を行います。比べて脳神経内科の症候学では本日お話ししたように,症状を徹底的に観察し,「患者さんが今どういう状態か」を基礎医学の観点から思索します。つまり病態を中心に考え,その症状は脳や脊髄,末梢神経のどのシステムが障害されることで起こるのかによって疾患に当たりをつけていく局在診断のステップがあります。

神田 ご指摘の局在診断のステップを要する点が,まさに他科の先生が末梢神経障害の診療を苦手とする一因だと思います。頸椎・頸髄障害などの整形外科的疾患であれば画像検査で客観的に病像をとらえられますが,末梢神経障害は神経伝導検査を行ったからといって病態が全て把握できるわけではないですから。末梢神経障害の診療で,患者さんのどの部位にどのような症状があるかを観察し,さらに経時的に診なければならない点は,他科の先生からすると高いハードルになります。もちろん整形外科の先生の立場では,画像所見による判断で施術の要否を決定するので,重要視するのも当然です。

三苫 ええ。ただ,脳神経内科的な症候学の視点は,他科にも応用できるものです。実際に他科の先生でも,優れた医師は必ず病態をとらえて「観察と思索」を行うワンステップを置きます。例えば息切れに対してすぐに疾患を挙げるのではなく,呼吸不全がどの程度なのか,呼吸生理や循環生理を考え,基礎医学の知識を根拠に客観的に判断を行っていくわけです。

神田 「その検査の所見で,患者さんの症候を本当に説明できるか」を考える症候学の作業が,末梢神経障害を診る際には重要になりますね。他科の先生方にも,ぜひ末梢神経障害の可能性を念頭に置き,このたび上梓した書籍に記したような症候を押さえて診療に当たっていただければと思います。

神田 これからはAIの時代になりますが,それだけで診療が完結することはありません。中でも症候学はAIが太刀打ちできないもので医師の技術として残り続けるはずですから,身につければ診療科を問わず大きな武器になるはずです。末梢神経障害は症候学を身につける上でも有意義な分野です。その学習に本書を活用していただき,末梢神経障害の「いい診療」に役立てていただければ幸いです。

(了)


1)Brain Nerve. 2013[PMID:24018743]

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山口大学医学部 神経・筋難病治療学講座 特命教授

1981年東京医歯大卒。米南カリフォルニア大神経学教室リサーチフェロー,米バージニア医大生化学・分子生物学教室研究員,東京医歯大神経内科講師,助教授などを経て,2004 年山口大医学部神経内科教授。22年より現職。博士(医学)。診療の傍ら,『医学生・研修医のための脳神経内科』(中外医学社)の執筆や神経内科専門医試験,医師国家試験の試験委員を務めるなど,後進の育成に尽力する。近著に『末梢神経障害――解剖生理から診断,治療,リハビリテーションまで』(医学書院)。

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東京医科大学 副学長・医学科長/医学教育学分野 主任教授

1985年東京医歯大卒。89年同大大学院医学研究科修了後,同大神経内科に入局。三菱化学生命科学研究所研究員を経て,2006年より東京医大医学教育学分野兼任教授。16年同大医学教育推進センター教授,17年同センターセンター長。18年より同大医学教育学分野主任教授。21年より現職。専門は神経生理学。博士(医学)。医師国家試験対策の病態生理の視点からの教材を作成し,「医師国家試験のカリスマ」として知られるなど,長らく医学教育分野での尽力を続ける。

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