医学界新聞

寄稿 田辺将也,高橋稚菜

2022.08.22 週刊医学界新聞(通常号):第3482号より

 わが国における業務上疾病のうち,腰痛は全体の約6割を占めます。医療・介護職種においては約8割を占め,職場での予防的対策が急務です1)。これらの状況に鑑み,日本理学療法士協会が「2020 職場における腰痛予防宣言」を企画。医療・介護施設での理学療法士による腰痛予防の取り組みを募集しました。同施策の金メダル施設として認定された,当施設のノーリフティングケアを取り入れた腰痛予防の取り組みを紹介します。

 ノーリフティングケアは,近年認知が広がっている概念で,「持ち上げない・抱え上げない・引きずらないケア」を指します。リフト等の福祉用具の積極的な利用による,介護を受ける側と行う側の双方に負担の少ないケアの実施が狙いです。オーストラリアの看護師団体が取り組みを始め世界中に広まりました。

 ノーリフティングケアと私(田辺)との出合いは,以前勤務していた榛名荘病院でのことでした。ある日,共に働いていた看護師さんが,日々の激務がたたり,手術患者として目の前に現れたのです。手術後の理学療法を担当する中,なぜ腰を痛めるまで仕事を続けたのかを伺うと,「他にも腰を痛めながら働いている職員はいるし,患者さんのことも好きだから,腰が痛くても頑張ってしまった」と返ってきました。

 その言葉を聞き,「患者さんのために」との思いが強いあまり,医療・介護従事者が自分自身のことを二の次にしてしまう状況を痛感しました。そこで,腰を痛めて手術が必要になってから初めてかかわるのではなく,医療・介護従事者が健康に働き続けられるように早期から支援できることはないかと模索した結果,ノーリフティングケアにたどり着いたのです。

 その後,異動した介護老人保健施設あけぼの苑は,構成する通所・一般棟・認知症専門棟の全てにリハビリ部門がかかわります。当初は人力によるケアに依存し,腰痛や肩こりなどの身体症状を抱えながら勤務する職員が多く,身体を壊し離職する職員も後を絶ちませんでした。そこで,共に働く仲間が健康に働き続けられる職場を目標に,ノーリフティングケアの導入に施設全体で取り組み始めました。

 まず,看護師・介護士・理学療法士から構成されるノーリフティングケア推進委員会を発足し,現場の声を業務に生かせる仕組みを作りました。また,理学療法士が中心となり,腰痛予防講習会と題してノーリフティングケアに関する講習会を開催し(写真1),職員全員にノーリフティングケアの理解を促しました。

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写真1 腰痛予防講習会の様子
福祉用具を用いた移乗など,負担の少ないケアを推進委員会メンバーが職員に指導した。

◆施設内のリスク見積もりと改善

 日本理学療法士協会が推進する「2020 職場における腰痛予防宣言!」では,職場で日々行う業務のリスク見積もりと改善提案が推奨されていました。そこで推進委員会のメンバーから,日々の業務で負担となる動作や環境を抽出してもらい,改善策を一緒に考えました。改善策実施後には,毎月開催する委員会で様子を共有し,効果判定を行いました。他の棟での取り組み状況を共有し互いに学ぶことで,次の改善に生かすことができました。

 また,事務長とも課題を共有したことで,スライディングシートやスライディングボードなどの物品の購入がスムーズに進みました。入浴用リフトやスタンディングリフトなどの導入ハードルが高い高額機器を,助成金や補助金を活用し導入できたケースもあります。職員の問題意識への熱量が低下しないうちに行動を起こせる環境を構築できたことで,職員の悩みや意見が表出されやすくなりました。

◆ノーリフティングケア大発表会の開催

 それまでの取り組みを報告する発表の場を設けました(写真2)。各棟で取り組んだ改善例を共有することで,職員を大切にする施設で働いていると実感してもらうとともに,委員が行ってきた活動を知ってもらうことが狙いです。

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写真2 大発表会の様子
各棟の取り組みを施設全体に共有。良い取り組みについては賞状が授与される。

 取り組みを始めてから2年間で,腰痛有訴率が導入前の55%から43%に減少したことが,アンケートの結果より明らかとなりました。また,副次的な効果も多数見られています。福祉用具を用いたケアを全職員が実施できるようになり,多様な介助量の利用者の受け入れが可能になりました。また,現場の困りごととして挙がった入浴介助時の負担を軽減するために導入したリフト浴により,利用者の身体機能に合わせて一般浴,リフト浴,機械浴と,きめ細やかな入浴方法を選択できるようになりました。

 当施設の介護士からは「移乗介助に苦手意識があったが,深い理解を得られたことで恐怖心を感じることなく実施できるようになった」との感想があり,福祉用具を活用した移乗に対する自信が高まっている様子がうかがえます。今後は移乗が安全・安楽にできる職員を増やし,1人にかかる業務負担の軽減を図りたいと思います。また,施設長からは「ノーリフティングケアに全職員が取り組むことは,風通しの良い職場づくりに一役買っている。利用者や職員に安心感を与え,当施設と地域の明るい未来のためにこれからも貢献してほしい」と期待が寄せられています。利用者,職員双方に安全で安心したケアが行えるように,今後も継続して取り組んでいきたいと思います。


1)厚労省.業務上疾病発生状況等調査(令和2年).2020.

公益社団法人日本理学療法士協会事務局 事業部職能推進課

 医療・介護現場の労働者が健康に働き続け,人員維持や生産性の向上にもつながることを目的として,本会は2020年度より,腰痛予防・労働安全に取り組む「職場における腰痛予防宣言!」事業を実施してまいりました。2022年度も,2022年9月1日~2023年3月24日の期間で本事業を実施いたします。わが国における業務上疾病では災害性腰痛が最も多く,中でも医療・介護職種を含む「保健衛生業」において,腰痛の発生が増加傾向にあります。こうした災害性腰痛に対し,2022年3月に「職場における転倒・腰痛等の減少を図る対策の在り方について【提言】」を厚生労働省が発出しました。提言の中では,腰痛等予防の取り組みを推進するに当たっての具体例として,「腰痛予防に知見がある理学療法士等リハビリテーション専門職を活用すること」が明記されています。そこで,本会会員である理学療法士が,まずは自身の職場で保健衛生業種の腰痛予防に取り組もうというのが本事業の狙いです。

 本事業では,本会会員が3段階のMissionに取り組むこととしています。Mission1は,本会が作成した啓発ポスターを職場に掲示すること。Mission2は職場で腰痛予防のための講習会を企画・実施すること。Mission3は職場の腰痛リスクを調査し改善提案をすることです。Mission2や3を達成して本会に報告すると,参加特典の進呈,また本会Webサイト上にも施設名が掲載されますので施設のPRも行うことができます。

 昨年度までに,Mission2を130,Mission3を60の施設が達成しました。Mission2の腰痛予防講習会は,看護師や介護士を中心に計5645人と多くのご参加をいただきました。本年度もこの流れを止めず,腰痛予防の活動を全国に広めたいと考えています。

 こちらのURL(https://www.japanpt.or.jp/pt/function/healthpromotion/#a5)から,事業の詳細や,昨年度の成果についてご確認いただけます。本会会員はもちろん,多くの方に本事業への興味をお持ちいただければ幸いです。

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群馬パース大学リハビリテーション学部理学療法学科 助教

2014年群馬パース大卒後,榛名荘病院に勤務。18年に一般社団法人健康労働支援協会を設立し,労働者が健康的に働き続けられるための支援活動を展開。20年より現職。理学療法士。介護老人保健施設あけぼの苑にてノーリフティングケアを導入し,利用者と職員の両方を大切にした職場づくりをめざす。

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一般財団法人榛名荘 介護老人保健施設あけぼの苑

2017年高崎健康福祉大卒。理学療法士。19年より現職。榛名荘病院にて脊椎脊髄疾患患者のリハビリテーションに従事した後,介護老人保健施設あけぼの苑にてノーリフティングケア推進委員会の運営を担当。

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