医学界新聞

睡眠外来の診察室から

連載 松井 健太郎

2022.04.04 週刊医学界新聞(通常号):第3464号より

 2020年2月初めのことである。中国のまだ若い医師が,新型コロナウイルスにより亡くなったというニュースを目にした私は恐れおののいていた。名古屋での講演のため,新幹線移動が控えていたからである。

 私は感染症のことは何ひとつわからない。「新型コロナウイルスの初期症状は感冒症状と見分けがつかない」と聞き,非常に強い恐怖を感じた。まだ死ぬのは時期尚早である。そこでネギや生姜を積極的に摂取したり,部屋の加湿をしたり,ちょっとでも不安なときはすぐに葛根湯を飲んだりと医師らしくない対処をし,気持ちを強く保っていたのであった。

 感染症のことは何ひとつわからないのだが,そういえば私は睡眠の専門医なのであった。睡眠と免疫といえば,われわれの業界においてポピュラーな実証研究があるのだ。「睡眠不足だと感冒罹患リスクが向上する」という報告である(Sleep. 2015[PMID:26118561])。

 それはライノウイルスを健常被験者の鼻に滴下する,というアグレッシブな実験であった。ライノウイルスを滴下する7日前からの睡眠時間が,その後の感冒症状の出現と関連したのである。睡眠時間が7時間以上をコントロール群とした場合,6~7時間睡眠では感冒への罹患しやすさに有意差はないが, 5~6時間睡眠だと感冒罹患のオッズ比が4.2倍,5時間未満だと4.5倍と,いずれも有意に差がでる。ざっくりいうと「睡眠時間が6時間を下回ると風邪を引きやすくなる」ということだ。6時間というカットオフ値が非常にリアルというか,なんとも絶妙で,若めの勤労世代に刺さる。そのため市民公開講座では鉄板のネタである。夜更かしして日々の気晴らしをしないとやっていられない私にとっても耳が痛い。

 命は気晴らしに替えられない。私は上記の知見に感謝しつつ,たくさん寝ることにした。子どもと一緒に22時前には床に就き,7時過ぎまで寝ようと試みたのである。ウイルスに曝露する7日前は,たったいま始まっているかもしれないでしょう?

 早寝を始めてしばらくは何も問題がなかったが,1週間ほど経つとなんだか寝付きが悪くなってきた。毎日,布団に入ってから30分以上も寝付けないのだ。むむ,これは入眠困難の基準を満たしている。また,夜中の3時ごろに目覚めてしまって,その後なかなか眠れない日もあった。毎日ではなかったが……。これは睡眠維持困難である。

 要は連日長時間,臥床し過ぎたのである。22時前には床に就き,7時過ぎまで寝ていたので,9時間以上臥床していたことになる。アラフォーの私の適切な睡眠時間は約7時間と推測される(Sleep. 2004[PMID:15586779])。単純に引き算しても,差し引き2時間分は寝られなくてつらい時間である。当初難なく寝られたのは,連日の睡眠不足によって睡眠負債が蓄積していたためであろう。

「眠れないと免疫力が下がると聞いて心配」

 不眠症の患者さんからこう言われて,私は上記のエピソードを思い出したわけである。なお,私はダメ人間なので今日も夜更かししてこの原稿を書いている。

 不眠症に関して言えば,不眠症患者では免疫機能の変調が生じることが以前から報告されている(Psychosom Med. 2003[PMID:12651988])。しかし不眠症(およびその重症度)が実際に易感染性に関与するかどうかは,私の知る限り検証されていない。

 結局は「そこはあまりわかってないんですよねえ……」と患者さんに曖昧な返事をすることになる。ただし不眠が不安だからと臥床時間を延長すると,先ほどの私のケースのように,不眠症状が増悪,もしくは慢性化する一因となる。そのため「無理に長く寝ようとはしないでくださいね」と,ちょっと強気に指導するのであった。

 ちなみに名古屋での講演は2020年2月半ばだったが,当時は参加者の誰もマスクをしていなかった。今となっては隔世の感がある。ノーマスクでフリーダムな日々に戻れるのが待ち遠しい限りである。


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国立精神・神経医療研究センター病院臨床検査部睡眠障害検査室医長

2009年東北大医学部卒。博士(医学)。東京女子医大病院,睡眠総合ケアクリニック代々木などでの勤務を経て,19年より現職。専門は睡眠障害。多数の学術論文の執筆をはじめ,広く睡眠障害に関する知見の発信を続ける。

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