医学界新聞

書評

2022.02.14 週刊医学界新聞(レジデント号):第3457号より

《評者》 東京藝大教授・美術解剖学

 解剖学における「骨格筋」研究の新たな到達点,ともいえる本が登場した。

 解剖学の歴史において,新しいムーブメントが起こった時に,その傍らには優れた美術家がいた。解剖学の父アンドレアス・ヴェサリウスの著『ファブリカ』(1543年)では,ルネサンスを代表する画家ティチアーノの弟子カルカールが解剖図を描いた。『解体新書』(1774年)における解剖図は,蘭画家・小田野直武の手によるものである。

 本書『人体の骨格筋 上肢』は,日本の肉眼解剖学研究の第一人者である坂井建雄氏(順大特任教授)の下,希代の美術解剖学イラストレーターである加藤公太氏(順大助教)が解剖体標本の作成を行い,その成果をまとめたものである。

 医学教科書などに掲載されている,よく整理された解剖図などに見慣れると,「解剖して皮膚を剥がしたら,そこにはこんな筋肉たちが現れるのだろう」と想像しかねない。しかし実際の解剖体は,筋肉に血管や神経が絡まり,脂肪や筋膜の断片が混在し,筋肉の輪郭や走行もはっきりしない。ほとんど混沌ともいえる解剖体の光景が目に入る。いったいどこを見ればよいのかと途方に暮れる。

 そこを,美術・デザインを学んだ経験のある加藤氏が,大変な集中力と根気,そして磨き上げた美的センスによって,明快な解剖標本にすることに成功した。私も加藤氏が解剖した筋肉標本を目にしたことがあるが,ほとんど芸術作品とも思える,それまで見たことのない解剖体の光景に息をのんだものである。

 それらを写真に記録し,まとめることで,この人体筋肉図鑑ともいえる本は出来上がった。ここには解剖学者・坂井建雄とその弟子・加藤公太という二人の異才による共同作業なしでは生まれることのなかった世界がある。特に本書の第一の特徴は,単離筋標本の写真が充実していることで,これだけ明快な,かつ人体の全てにわたる筋標本が掲載された解剖書というのは類がない。

 「本当の骨格筋をまだ誰も知らない」。

 本書の帯には,そう書かれている。解剖学というのは,すでに完成した古い学問で,もう新しい知見など出てくることはない。そんなイメージすら抱かれている分野である。しかし,本書のページをめくり,その解説に目を通していると,帯の文にある通り,今まで見たことのなかった知見の筋肉によって構成された,新しい人体像が浮かび上がってくる。

 本書は「上肢」編で,この後人体の他の部位を扱った続編も出るらしい。楽しみだ。その第一弾が,「上肢」であることも意義深い。二足直立をするヒトにとって,腕や手指は,最も複雑な動きをする部位であり,動きを作り出しているのは,その筋肉だからだ。まずは本書で上肢の筋肉の複雑で精妙な構成を知り,それが人体というものの驚くべき仕組みを再発見する始まりとなるだろう。

 本書は,医学はもちろんのこと,スポーツ科学や造形芸術など広く人体にかかわる者にとって,座右に置き,いつもそのページをめくり,筋肉の形態と構造を知るための最高の手引きとなるであろう。


《評者》 熊本リハビリテーション病院サルコペニア・低栄養研究センター長

 目次を眺めたら我慢できなくなり,寝食を忘れて最後まで一気に読んだ。時が経つのを忘れるほど読書に熱中したのは久しぶりだ。著者の一人である福原俊一先生は過去の自著『臨床研究の道標』(健康医療評価研究機構,2013年)の中で,臨床の「漠然とした疑問」を「研究の基本設計図」へ昇華する方法を説いた。本書は実質的にその続編に位置する(と私は思う)。臨床研究を行っている,あるいはこれから行おうとしている医療者への鋭いメッセージが健在である。

 「すべての疑問はPECOに構造化できる?」「新規性=よい研究?」「『後ろ向き』なコホート研究?」「横断研究は欠陥だらけ?」「比較すれば問題なし?」「バイアスって何?」「多変量解析は万能?」「P値が小さいほど,効果が大きい?」などなど……。

 偉い先生の演台上からの回りくどいレクチャーよりも,ひたすら現場目線のまるで同僚から発せられるような身近な疑問を丁寧に解説する書面作りがありがたい。なによりテーマの立て方が俊逸だ。私や同僚がしょっちゅうつまずいて苦労している臨床研究の「勘違い」を見事に言い当てており,これは私(や同僚)に向けて書かれた本なのでは,と大いなる「勘違い」をしてしまう。

 臨床研究に対する私の大いなる勘違いの一つに,「臨床研究を始めるにはまずは統計を理解しなければならない」というものがあった。本書はこの勘違いを気持ちがいいほど切って捨ててくれる。統計学の知識やスキルはもちろん重要だが,研究デザインはそれ以上に重要だ。臨床研究の本質は,自身の日常診療から発生した疑問と,それを解決するための研究デザインを入念に推敲することである。

 本書に登場した言葉の中に私の心に刺さって離れないものがある。「一度きりの『出会い』を大切に」だ。人生は一度きり,人との出会いも一度きり。人生を大きく切り開くのは多くの場合において自分ではなく他人だ。もちろん出会いは自分で選択できる。優れたメンターとの出会いも一度きりかもしれない。臨床研究も出会いだ。身近な疑問を質の高い臨床研究に昇華することができれば,一つの出会いが大きな扉を開くことになる。

 というわけで,私はこの本を読んでいる間ずっと,「ああ,次の臨床研究をやりたいな」とばかり思っていた。なにしろ臨床研究が対象の話で,本の中にいくつものクリニカルクエスチョンやリサーチクエスチョンが登場するので,一度やりたいと考え始めると,生唾が出てくるくらい次の臨床研究をやりたくなってくる。臨床研究をやりたい,そんな純粋かつ熱い思いがこみ上げてくる。だから臨床研究はやめられない。


《評者》 聖マリアンナ医大川崎市立多摩病院准教授・総合診療内科学

 臨床研究や論文執筆に取り組む上で,避けて通れない「壁」がある。この壁はさまざまな場面で,姿かたちを変えて繰り返し出没してわれわれの心を折ろうとする。私自身,研究に取り組み始めた当初から,数えきれない壁を経験した。研究テーマ探し,文献検索,研究計画書作成,データ収集,統計解析,論文の書き方,投稿先探し,rejectに心が折れる経験,意地悪な査読の対処,そもそも忙しくて研究が進まない! など,多岐にわたる。思い返すと,それらの場面で壁を乗り越える手助けを常に誰かがしてくれた。それは指導医・メンターに限らず,仲間,後輩,時に書籍であったりもした。このように,初心者が臨床研究を論文化するまでは手取り足取りの指導が必要な場面だらけである。

 本書は臨床医でありながら50編近くの原著論文を筆頭著者として世に送り出し,さらに多くの後輩の研究を指導してきた辻本哲郎先生による,気持ちがいいまでの「実践の書」である。臨床研究デザインや統計解析,論文作成に関する本は多数存在するが,本書の特徴を端的に表すと「身近で面倒見の良い先輩」である。研究初心者がつまずく壁一つひとつについて,具体的にステップを示してくれる。特にコラムが秀逸で,臨床研究の現場のリアルがそこにある。臨床現場の一隅で隙間時間に取り組む研究の場で,面倒見の良い先輩が失敗談やコツを共有し,曖昧だった概念の理解を助け,次に何をしたら良いか具体的に示してくれる,そんな頼れる先輩を常に座右に置いておけるような一冊である。

 本書のもう一つの(おそらく目立たない)特長は,第1章「臨床研究をしよう」で扱われる,臨床研究をする上で押さえるべき基本情報の洗練度合いにある。研究デザインごとの要点や交絡因子とは?,リサーチクエスチョンの作り方など,サラリと記載されすぐに読める。ところが,中身は極めてガチである。ガチをわかりやすく伝える,これは誰でもできることではない。私自身,海外の公衆衛生大学院でそれなりの労力を割いて統計学や疫学を習得したため,皆さんには本書のお得感を強調しておきたい。

 本書は,研究に取り組みたい/取り組んでいるが研究計画が具体化できない,次に何をすれば良いかわからない,すぐ相談できる指導者がつかまらない,といった医療者に特にお薦めできる。さらに,研究指導の実践に悩む全ての指導者にとっても,指導ポイントや研究指導全体の流れを盗む意味でお薦めである。本書を座右に,臨床研究や論文作成の楽しみを味わうことのできる医療者が一人でも増えるのを期待している。

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