Beck先生と認知行動療法のこれまでの歩み
寄稿 大野 裕
2021.12.20 週刊医学界新聞(通常号):第3450号より
2021年11月1日午前5時に,認知行動療法の創始者であるAaron T. Beck先生が100歳で亡くなりました。7月18日に,ゆかりのある十数人でZoomを利用してBeck先生の誕生会をしたばかりでした。Beck先生の死は大きな反響を呼び,Twitter上で彼の死を報告した私のツイートのインプレッションは一晩で20万近くに達しました。
悲しいお知らせですが、先ほど、認知行動療法の創始者で私の恩師のAaron T Beck博士が亡くなったと、娘のJudy Beckからメールが入りましたので、ご報告申し上げます。
— 大野裕 (@yutaka_ono) November 1, 2021
100歳でした。
冥福を祈りつつ、これからもCBT発展のために力を尽くしたいと思っています。
私は米コーネル大留学中の1986年に,『精神疾患の診断・統計マニュアル(第4版)』(DSM-IV)作成委員長で恩師のAllen J. Frances先生に勧められて,担当した患者の面接記録を基に上級者から助言を受けながら認知行動療法を身につけるスーパービジョンを始めました。その時のスーパーバイザーであるBaruch Fishman先生の紹介で訪問したのが,Beck先生との最初の出会いです(写真)。
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大野氏の帰国直前(1988 年)にBeck 先生のオフィスで撮った1枚。
質素なオフィスで,Beck先生から日本での認知行動療法の状況を尋ねられた私は,日本ではまだ十分に知られていないと答えました。それに対して先生は,「私も一人で始めたんだ」と穏やかに言いました。その言葉で私の気持ちはとても楽になりました。相手の心に寄り添いながら不安を希望に変える,認知行動療法の素晴らしさに触れた瞬間でした。認知行動療法がこれだけ発展した背景には,Beck先生が極めて科学的な視野を持っていたのに加えて,こうした人間的な温かさを備えていたことがあるでしょう。
私がBeck先生に出会ったのは,認知行動療法が20数年かけてようやく精神医療で認められ始めた時期でした。人間の情報処理のプロセスである認知に焦点を当てたこのアプローチは,情報処理科学の進歩とともに発展しました。その後エビデンスに裏付けられた精神療法として,さまざまな精神疾患に加えて,身体疾患に苦しむ人への心理的支援や日々のストレス対処,ウェルビーイング向上の手段としても用いられるようになっています。
Beck先生は亡くなるまで後進の指導や研究を続けていました。最近の関心は,重篤な精神疾患のために長期入院している患者に対するリカバリーを目的としたRecovery-Oriented Cognitive Therapyでした。今年1月に成果をまとめた書籍『Recovery-Oriented Cognitive Therapy for Serious Mental Health Conditions』(Guilford Press,2021)が発刊されています。その中でBeck先生が重視しているのが,「身近な夢や憧れ」を意味する「アスピレーション(aspiration)」です。入院生活の中でアスピレーションを一つひとつ実現することで,患者は退院後の生活に希望を持ちながら先に進んでいけるようになるのです。
Beck Institute for Cognitive Behavior Therapy所長でBeck先生の娘のJudith S. Beck先生は,昨年公開したAllen J. Frances先生との対談(https://bit.ly/3oV7TIH)の中でこう語っています。「認知行動療法がアスピレーションの概念を取り入れたことで,外来の診療はもちろん私たちの日々の生活でも,夢を持って自分らしく生きていける手立てを提供できるようになった」。Aaron T. Beck先生が残した大きな遺産は,現在でも発展し続けています。
![3450_2_02.jpg](https://www.igaku-shoin.co.jp/application/files/5916/3944/0836/3450_2_02.jpg)
大野 裕(おおの・ゆたか)氏 一般社団法人認知行動療法研修開発センター理事長
1978年慶大医学部卒。同大精神神経科入局。85~88年米コーネル大,88年米ペンシルバニア大に留学。留学中にAaron T. Beck氏と出会い,認知行動療法の奥深さに触れる。帰国後,89年慶大精神神経科講師,2002年同大教授。日本認知療法学会理事長や国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長などを務め,15年より現職。ストレスマネジメントネットワーク代表などを兼任。
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