医学界新聞

インタビュー 田倉 智之

2021.06.28 週刊医学界新聞(看護号):第3426号より

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 「お金」の話を中心に,経済をテーマとする議論は医療界で避けられやすい。一方で,以前にも増して病院の経営状態,ひいては医療費を捻出する国の財政事情は悪化の一途をたどる上,COVID-19の流行が追い打ちとなり,一医療者であっても医療経済の問題を無視できなくなっているのが現状だ。

 そうした状況において,医療経済学を専門とする田倉氏は「財源確保がめざされる中で,私は医療経済的な観点から看護の将来を危惧しています」と語る。発言の真意はどこにあるのか。理由とともに看護師が医療経済学を学ぶ意義を聞いた。

――医療分野における「ヒト・モノ・カネ」といった資源の効率的な活用をめざす医療経済学に,医療者の注目が集まっています。

田倉 総医療費の増加に起因する国の財政逼迫により,「お金」の議論を避けられなくなったためでしょう。医療経済学を平たく表せば,医療分野を支える医療者と患者(国民)と企業の三者がそれぞれWin-Winとなるような,持続性のある医療サービスを提供するためのエコシステムづくりのことです。このシステムのハブとなるのが病院であり,その経営基盤が強固でないと,医療の世界そのものが倒れてしまうのです。私はこの体制を維持させるべく,医療技術の評価や病院経営に関する研究を進めてきました。

田倉 そんな中で気付いたのは,提供する医療サービスの価値,価格の意義です。医療の場合,診療報酬を軸にした公定価格が定められており,仮にこの価格が低く設定されていれば,企業が新しい薬や医療機器を創る意欲も,医療者が患者に最善の医療を提供する意欲も失わせてしまいかねません。逆に,あまりに高額な設定をしてしまうと医療財政は持たなくなります。適正な価格を見定めることを念頭に,現場の医療者をはじめ関係分野と議論しながら日々研究を進めているところです。

――とはいえ,今指摘されたような日本の医療財政の逼迫について漠然とした危機感を抱きながらも,直面する現状を正確に把握している医療者はあまり多くないと思われます。田倉先生の見立てを教えていただけますか。

田倉 日本の医療の現状を論じるためには,豊かさにかかわる国民の実感などを代弁する経済基調を考慮すべきだと考えます。この経済基調を表す指標にはさまざまありますが,医療分野であることを念頭に置くと,国内総生産(GDP)や国民総所得(GNI)を踏まえた議論が必要になるでしょう。

 GDPが右肩上がりであった1990年代中盤までは,たとえ高額な医療技術が登場し社会保障給付費が増加しても,社会保険料による収入も同時に増加するために,財政的には収支のバランスが取れていたのです。しかし,その後GDPが伸び悩み徐々に収支に差が生まれてしまいました。

――つまり,医療に回せる財源が相対的に少なくなってしまったのですね。

田倉 ええ。そのため毎年国債もあてにしながら財源を補完してきた面もあります。国債発行の是非については生命・健康の問題ですから「借金をしてでも」という点は,ある程度国民のコンセンサスを得られるとは思います。けれども医療費の伸びはとどまるところを知らず,これ以上の借金は厳しいとの見方もあるようです。

 また少子高齢化も相まって,財源を支える現役世代への負担も同時に考慮しなければなりません。そんな危機的な状況の中でのこのコロナ禍です。医療費が減少する領域もありますが,想定外の財政出動が必要となりました。いわば現在は,同水準の医療提供体制をこのまま維持できるかどうかの分水嶺です。

――財源確保のめどはいかがでしょう。

田倉 一つは数年来議論されてきた医薬品や医療機器に対する費用対効果評価の導入による財源の捻出です。しかし医薬品においては削り代がなくなってきているのも事実で,製薬企業の中には開発・生産にメリットを見いだせず撤退するところも出てきています。

――では,次はどの部分から費用を捻出する可能性があるのでしょうか。

田倉 長い目でみると,看護師の人件費に相当する入院基本料も対象にされると考えています。看護師は医療分野の就業人数の大半を占めるために,わずかな削減でも高い効果を発揮します。

――近い将来,診療報酬改定に関する議論の際に取り上げられるようになるとお考えですか。

田倉 はい。実際,すでにこれらの懸念は顕在化しつつあります。1件1日当たりの入院料等()について平均的な価格の変動を表す消費者物価指数で補正を行うと,2004~08年は平均1265点/日であるのに対して,2014~18年は平均1114点/日となり,9.82%の減少が認められます()。この事実は,看護師全体の診療報酬上の評価が目減りしてきていることを暗示しているのです。財源確保がめざされる中で,私は医療経済的な観点から看護の将来を危惧しています。

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 消費者物価指数で補正した1件1日当たり入院料等の水準の推移〔『医療の価値と価格――決定と説明の時代へ』(医学書院)より〕
医療財政や病院収入で大きな割合を占める1件1日当たりの入院料等(註)について消費者物価指数で補正(2004年の値を1として診療報酬金額を補正)を行うと,2004~08年の平均1265点/日に対して2014~18年は平均1114点/日となり,9.82%の減少を示す。この事実は,看護師全体の診療報酬上の評価が目減りしてきていることを暗示している。

――暗い未来を防ぐための策はあるのでしょうか。

田倉 まずは今述べてきたような日本が置かれている医療経済の現実を直視し,看護師自身の存在価値をアピールしていく活動が求められるでしょう。誰しも価値が見いだせないモノに対してはお金を払いたくありませんよね。すなわち,看護師による実践がどれだけ患者さんに貢献しているのかを,医療経済学の知見も交えてエビデンスを構築し,発信していくべきだと考えます。医学領域に比べ,看護分野ではそうしたアピールがまだまだ少ない印象です。この状態が続けば,数年以内のうちに看護師だけでなく病院経営そのものにも影響が及ぶはず。経営にも携わる看護管理者たちは特に意識せざるを得ない問題でしょう。

田倉 医療経済学の知識は,中堅の看護師や専門的なキャリアを歩み始めた若手看護師にも必要と考えています。

――それはなぜでしょう。

田倉 自分たちが将来提供したいと考える看護の形を実現する際,経済的な要因に悩まされないためです。例えば,患者さんのために在宅ケアに取り組みたいと決意したとします。最新の文献等を検索し方法論を学んだ後には,在宅ケアを実現するために必要なコストの計算や診療報酬の算定方法,人材の確保をはじめとした経済活動に取り組むことになります。要するに,いくらケアを手厚くしたいと看護のことだけを考えていても,経済学の議論を避けて通ることはできないのです。今回上梓した『医療の価値と価格――決定と説明の時代へ』(医学書院)は,そうした議論に参加するための医療における価値論・価格論の紹介を軸に構成しました。ぜひ本書を通して医療経済学に関する学びを深めてもらいたいです。

――一方で,医療経済学の知識をすぐに現場で生かすことは容易ではありません。明日からの第一歩としてまず意識すべきことは何ですか。

田倉 日々取り組む看護の実践レベルの向上に努めていただくことです。当たり前に聞こえるかもしれませんが,これには理由があります。

 ここまで話してきたように,医療経済学の分野でもエビデンスが重視されるようになり,臨床現場の課題意識をもとにしたエビデンスの構築が求められています。そのため日々の臨床で実践していることをより良くするにはどうすべきかを常に考え,行動を続けていただきたいです。

 その上で,提供する良い実践を感覚的なレベルでも構わないので検証してもらいたい。例えばケアを行った翌日,患者さんの顔色が良くなった,調子が良さそうだったなど,工夫して取り組んだ実践がどのような結果を生んだのかを評価してほしいのです。

――そうして見つかった優れた実践が,看護界全体で共有されるようになるとさらにいいですね。

田倉 その通りです。ポジティブな改善が認められれば,院内のプロトコールにしたり,看護研究として広く発信したりするなど,他の看護師にも波及していくと好循環を生むでしょう。国際的には患者目線のアウトカム評価によって看護が提供しているケアの意義,有用性を可視化しようとする動きが活発化しており,これからは日本でもより一層この点を突き詰める研究が求められると考えます。

――ただ,好事例ではあるものの,コストが掛かり過ぎて導入を断念してしまうというケースはよく見受けられます。こんな時はどのように考えればよいのでしょうか。

田倉 提供するケアに価値があると考えるのであれば,コストを掛けてでも取り組むべき実践と言い換えられます。その実践を阻むハードルとして経済的な制約が発生しているのならば国民皆保険制度を支える国民の意思に反することになるため,「価格が不適切」であると判断せざるを得ない。つまり,障壁を取り払うための議論が必要になるのです。この次元に来ると,各種学会や看保連等を通じた国との折衝が必要になるかもしれませんが,ステークホルダーへ働き掛け,改善を試みる努力をすべきだと考えます。例えば日本でも褥瘡研究において費用対効果等のエビデンスを示して加算を獲得した事例もあります。このような事例に続けるよう取り組むことが必要でしょう。

田倉 抜本的な財政の改善が見通せない中,看護師の皆さんには近い将来,自分たちが考える価値と価格とのギャップを埋めるための取り組みがより一層求められる時代が訪れるはずです。来るべき日に活躍できるよう,少しずつでも構いませんので,医療経済学の知識に触れていただき,それを踏まえた看護実践をめざしてもらえれば望外の喜びです。

 

(了)


:診療報酬点数表における「第2部入院料等」を対象に,患者1人に対する1日当たりの入院料等の平均を算出。入院料等は,診療報酬点数表の入院基本料,入院基本料等加算,特定入院料,短期滞在手術等基本料を範囲とする。

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東京大学大学院医学系研究科医療経済政策学 特任教授

1992年北大大学院工学研究科修了後,シンクタンクや戦略系コンサルティングファームにて厚生行政や医療産業の研究,事業に従事。その後,阪大,東大と,アカデミアに籍を移し,医薬品や医師技術の経済性評価,病院経営の機能強化,医療産業論などの研究を進める。近年は医療ビッグデータとAIを応用した医療・介護の臨床成績や財政負担の改善,予測モデルの開発を行う。2017年より現職。博士(医学)。中医協費用対効果評価専門組織委員長。近著に『医療の価値と価格――決定と説明の時代へ』(医学書院)。

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