医学界新聞


成育歴からひもとく,患者が抱える「生きづらさ」

対談・座談会 青木 省三,小林 桜児

2021.06.21 週刊医学界新聞(通常号):第3425号より

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 「医療者は現在という『点』ではなく,人生という厚みのある『面』で患者をとらえる必要があります」。対談の中でこう述べたのは,精神科臨床に長年従事し,このたび『大人のトラウマを診るということ―こころの病の背景にある傷みに気づく』(医学書院)を上梓した青木氏だ。

 「心の傷」であるトラウマは,さまざまな精神疾患の病像と経過に影響を与える。医療者は,どのようなポイントに留意しながら患者の診療や生活支援に臨むべきか。本対談では,同様の問題意識を持ってアディクション臨床の現場で診療を行う小林氏と共に,トラウマ診療の現在地について議論を交わした。

青木 この10年ほどで,精神科臨床で診る患者さんの病像や経過の変化を感じています。伝統的な診断の枠組みから定型的にとらえられる統合失調症やうつ病の患者さんが減少している一方で,非定型の疾患が増加している印象です。そしてその背景を診ると,さまざまなトラウマが潜んでいることを多く経験します。

小林 一方,トラウマは日常臨床で扱うべき事柄ではない「パンドラの箱」とみなす医療者は少なくありません。診療の難しさはどこにあるのでしょうか?

青木 さまざまな要素が考えられますが,まず1つは医療者との関係が不安定となりやすいことが挙げられます。多くの場合,トラウマを抱える患者さんには他人に対する不信感や恐怖心があり,安定した治療関係や信頼関係を継続することが困難です。加えて自傷行為や自己破壊行動なども起こりやすく,トラウマを診る難しさに拍車をかけていると言えます。

小林 それらがトラウマを日常診療から遠ざけ,専門技法によって診るべきというイメージにつながるのですね。

 他方,医療者の中には「トラウマ体験=PTSDを引き起こす,生命に危機を及ぼす重大な出来事」と認識している方もいる印象です。しかしこの範囲にとどまらないトラウマ体験もあるのではないでしょうか。

青木 ええ。私はトラウマ体験を「患者さんが抱える生きづらさ」として広くとらえています。日常診療で診る多くの患者さんは,生死にかかわるとまでは言えなくても,自身にとっては重大な心の傷を抱えています。これに気づき適切に配慮することで,精神疾患に対する治療や支援の道筋が見えてくると考えています。

小林 伝統的な精神医学では,精神疾患の徴候を中立的に観察するスタイルが重視されてきました。青木先生の臨床スタイルはそこにとどまらず,内面のトラウマに目を向けることで,患者さんがこれまで生きてきた人生全体を俯瞰するものと言えそうです。

青木 ありがとうございます。とはいえ,もちろん客観的な観察によって精神症状を理解することには,大きな意味があります。「症状を理解すること」と「患者さんの内面を理解すること」は臨床における車の両輪であり,どちらかが欠けてもうまく機能しません。精神疾患は単独では存在し得ず,患者さんの日々の生活から連続した延長線上にあるのです。そこに潜むトラウマ体験を丁寧に診ることで,病状の理解につなげられると考えています。

小林 同感です。これまで患者さんがどのように生活し,その中でどのようなトラウマを体験してきたかを知ることで,客観的に記述された病像と全く異なる姿が立ち現れることをしばしば経験します。

 例えば私は成育歴を確認するに当たって,「患者さんが過ごしてきた人生を追体験すること」を心掛けています。具体的には「両親はどのような人でしたか?」などの,回答をはい/いいえに限定しない「開かれた質問」を通じて,患者さん目線のナラティブを時間軸で再構築しています。それによって理解の解像度を高めているのです。青木先生は診察においてどのようなポイントを重視していますか?

青木 トラウマや発達障害,双極性障害や解離性障害など,複数の疾患を念頭に置き,多角的な視点を持つことです。それによって,「Aの視点からはこう見える,Bの視点からはああ見える」のように患者さんに対して複数の仮説を立てられます。もし1つの視点しか持っていなければバイアスがかかった見方に陥り,治療や支援につながり得る重要な情報を見逃すかもしれません。

小林 そうですね。単一的な視点は,「この精神疾患を呈する患者さんには,この薬物を投与する」のように,他の可能性を考慮しないマニュアル的な診断につながります。医療者は常に複数の可能性を念頭に置きながら,相対主義的な診察を心掛けるべきです。

青木 自身の初診時の見立てにこだわりすぎないことも大事です。長期間診ている患者さんでは,時間の経過で病状が変化し診断名が変わることもあるでしょう。病状が変化するたびに,当初の仮説を更新し続けることを厭うべきではありません。そのためには,他の人と話し合い,意見をもらうことは重要です。私自身,若い医療者と話すことで,新たな視点に気づくことが多々あります。

小林 精神科医は客観的な立場から,さまざまな人の「見方」を統合する役割を担っていると言えます。例えば患者さん自身や家族,他の精神科医,行政・福祉の担当者など,それぞれの立場から見る「患者像」は当然異なります。これらの見方を総合的に判断した上で患者さんにとって蓋然性の高いモデルを構築し,絶えず修正することは精神医学のダイナミズムであると言えます。

青木 そうですね。医療者は現在という「点」ではなく,人生という厚みのある「面」で患者さんをとらえる必要があります。成育歴やトラウマ体験に目を向けることは,医療者の患者さんに対する理解を深めるのです。

 患者さんの姿は時間の中で,そして生きている場で移ろい,見方によってさまざまな形を映し出します。特定の見方や考え方に固執することなく柔軟に考えることは,精神科臨床には欠かせない姿勢だと思います。

小林 精神科臨床,とりわけアディクション臨床では,トラウマは病状の理解に不可欠な要素です。例えばアルコール依存の患者さんでは,現病歴は生活に支障を来す飲酒や自傷行為などの問題行動が発生した時からスタートするでしょう。しかしそれはあくまでも,患者さんの長年の問題がその時点で噴出して表面化したに過ぎません。

青木 発症の現病歴だけでわかる患者さんの生きづらさは氷山の一角でしかなく,水面下で脈々と流れるトラウマ体験がアディクションの経過に影響を与えていることもある,と。

小林 ええ。次のステップとして「なぜ,その問題行動に至ったのか?」という背景を考える必要があります。

 2015年5月~16年8月に神奈川県立精神医療センターで実施した調査結果を紹介します。本調査ではアルコールと薬物のアディクション患者さん346人を対象に,15歳までに受けた逆境体験(複数回答可)を聞き取りました。結果としては,全体の51.4%が「学業不振」,50.0%が「補導」,45.4%が「厳しいしつけ」,41.3%が「いじめ」を経験していました1)。学校や社会にうまく適応できない逆境体験などのトラウマが,アディクションの展開に強い影響を与えていることが見えてきます。

青木 いずれの数値も驚くべき高さです。しかし同様の逆境体験を経てもアディクションにならない人も多く存在しています。何がアディクション患者さんとそうでない人の分水嶺になるのでしょうか?

小林 最も重要なファクターは「孤立感」だと考えています。ある衝撃的な体験をした時に,誰かを頼って相談できれば,そのインパクトは和らいだはずです。しかしそれを誰にも話せなかったり,話しても冷たく扱われたりすると,「わかってもらえない」孤立感が生まれます。結果,その体験はトラウマ化して,他人に対する不信感を持つようになります。そして他人を信頼する代わりに,アルコールや薬物などの「物質」や,ギャンブルなどの「単独行動」のアディクションに溺れていくのです。私はこれを「信頼障害仮説」2)と呼んでいます。

青木 大変興味深い説です。さらに言えば,体験を通じて抱いた孤立感を本人がどこまで深刻に受け止めるかという,主観的な感受性の問題も関係しているように思います。

 幼い頃からの体験の積み重ねが感受性を構築します。問題が起こった時に他人が手を差し伸べてくれた体験がなければ,「どうせ助けてもらえない」というネガティブなフィードバックに結び付きます。そしてその後もネガティブな解釈を生み出し続ける「負の連鎖」につながるのです。次第に人に期待することを諦めて,SOS自体を発信しなくなるでしょう。

小林 アディクション患者さんが陥っている負の連鎖を断ち切り治療計画につなげるには,まずは医療者がアディクションを「生得的な問題」として単純化するのではなく,トラウマ体験を「サバイブするプロセスで不適切に学習された生存戦略」としてとらえることが欠かせません。そうすることで初めて,医療者は患者さんがアディクションに頼らずに済む手段を模索するスタート地点に立てるのです。

青木 同感です。「信頼障害仮説」の考え方は,生活の中で累積したトラウマ体験から他人との信頼関係を築けなくなっている,多くの患者さんに通底します。医療者にはトラウマ体験やそれに基づく信頼関係のメカニズムを意識した上で,精神疾患の患者さんの回復と成長を促進する支援が求められていると言えます。

小林 患者さんの支援に当たっては,医療者との信頼関係を基盤として語られるトラウマ体験にどう向き合うかを考える必要があるでしょう。青木先生が心掛けていることはありますか?

青木 医療者の言動,治療や支援によって患者さんの昔のトラウマを刺激して再トラウマ化させたり,新しくトラウマを生み出したりしないようにすることを肝に銘じています。これらを意識してかかわることで,患者さんを不用意に傷つけない治療が可能になります。とはいえ恐れるあまり患者さんとかかわることを躊躇してはいけません。医療者は「治療行為とトラウマ化は表裏一体であり,紙一重である」と認識した上で患者さんにとって良いかかわりをめざすべきです。

小林 仮に医療者の意図が誤って伝わり患者さんを傷つけてしまっても,真意を伝えて謝罪することで,トラウマ化を回避して影響を最小限に抑えることができると思います。トラウマ化には体験自体が持つ衝撃の大きさ以上に,発生時に周囲の振る舞いから患者さんが抱いた孤立感の大きさが関係しているからです。

青木 ええ。気をつけておかなければならないのは,トラウマは時として「地雷」のようなものになり得るということでしょう。一見するとどこに埋まっているかわからないけれども,医療者が不用意に触れたら爆発して周りや自分に大きな影響を与えます。トラウマ体験を尋ねるに当たって,医療者は無理に聞き出すのではなく,患者さんの意思を尊重して丁寧かつ慎重な姿勢で臨むことが必要です。小林先生は何か工夫していますか?

小林 事前に家族関係や学校生活,職歴などを丁寧に聴取し,どのようなトラウマを持ちやすいか仮説を立てた上で,それを避けながらかかわることです。例えば威圧的な父親に虐待を受けた患者さんであれば,それを想起させる医療者のパターナリスティックなかかわり方がトラウマに基づく反応を引き起こしやすいと予測できます。

青木 なるほど。しかしながら,どれだけ気をつけていても初診で患者さんの機微に触れてしまうことや,患者さんから怒りをぶつけられることは,精神科臨床では避けられないと言っていいでしょう。

 むしろ治療の長い流れの中では,そのようなトラウマに基づく反応は治療を進展するきっかけになり得ます。その反応が生じた理由を見いだすことで,新たな治療的展開につなげられます。

小林 地雷を踏むことをネガティブなだけではなく前向きにもとらえる,刺激的で示唆に富むメッセージですね。具体的にはどのように転機に結び付けるのでしょうか。

青木 例えば過去の記憶が鮮明に思い出されるフラッシュバックを通じて,過去と現在がつながります。それはとても苦しいものですが,過去に起こったトラウマ体験を手当てする機会にもなります。フラッシュバックはさまざまな意味を持つ警告信号と言えます。

 トラウマを抱えた患者さんの変化は,安心安全なかかわりの中からしか起こりません。医療者には諦めることなく,粘り強く患者さんとかかわり続けてほしいと思います。

青木 患者さんとのかかわりを維持するためには,「今,目の前にいる患者さんに本当に必要な支援は何か?」という目線が欠かせません。診察室における診療にとどまらず,実際に患者さんや家族を取り巻く環境を見聞きして感じることで,生活における具体的かつ現実的な問題点を深く理解できます。そして患者さんと治療計画を立てる際には,公的なサービスや福祉制度の活用を視野に入れた生活支援を組み込むことが大切です。

小林 そうですね。訪問看護師やヘルパー,ソーシャルワーカーなどの多職種が連携することで,他人を信頼せず支援の手を払いのけるトラウマ患者さんをすくい上げるセーフティネットを構築できるでしょう。

青木 生活支援によって日常生活が安定することで,フラッシュバックや悪夢などのトラウマに基づく反応が和らぐことは多いです。めざすべきは,「症状よりも生活を診ること」であり,これは精神疾患の背景にあるトラウマを診る大切さにもつながります。

小林 まずは多職種で「患者さんが安心できる居場所」を作り,生活を向上させることがベースです。トラウマを診る専門技法は,この基本の上に立脚するものと言えます。

青木 その通りです。また多職種ネットワークは,医療者が支援を継続するためにも重要です。多職種がお互いのバックアップとなることは,医療者の孤立感・疲弊感の軽減や燃え尽きの防止につながります。医療者は特定の担当者に負荷が集中して多職種ネットワークに綻びが生じないように,常に気を配る必要があると思います。

小林 同時に私は患者さんが抱えるトラウマを知ることが,ネットワーク強化につながると考えています。患者さんが背景に持っているトラウマを垣間見ることで,患者さんの攻撃的な言動に疲弊していた看護師やヘルパーの目の色が変わり,治療や支援に意欲的に乗り出すことをしばしば経験します。

青木 トラウマを抱えた患者さんの治療と支援は,決して容易ではありません。しかし多職種で患者さんを支援し,同時に多職種同士が支え合うことで,粘り強く心と生活を支援するネットワークの構築が可能になります。

 今こそ多職種による支援の発想に基づいて,根気強く「日常診療でトラウマに気づく」ことが求められているのではないでしょうか。

 

(了)


1)板橋登子,他.物質使用障害患者の小児期逆境体験を分類する試み.日アルコール・薬物医会誌.2017;52(6):249-63.
2)小林桜児.いわゆる「パーソナリティ障害」症例におけるアルコール・薬物問題をどのように認識し,対応するか―Khantzianの「自己治療仮説」と「信頼障害」という観点から.精神医学.2012;54(11):1097-102.

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慈圭会精神医学研究所所長/川崎医科大学名誉教授

1977年岡山大医学部卒。同大病院で研修後,90年英ロンドン大精神医学研究所へ留学。93年岡山大助教授,97年川崎医大精神科学教室主任教授を経て,2018年より現職。40年以上にわたり精神科臨床に従事。『大人のトラウマを診るということ―こころの病の背景にある傷みに気づく』(医学書院),『ぼくらの中の「トラウマ」―いたみを癒すということ』(ちくまプリマー新書)など,編著書多数。「心の傷は目に見えないですが,いたみ(傷み/痛み)に気づき,包帯を当てる気持ちで接したいです」。

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神奈川県立精神医療センター副院長/同センター医療局長

1993年慶大文学部哲学科卒。R.D.レインやH.S.サリヴァンの著作に触れ,精神科医を志す。2000年信州大医学部卒。横浜市大病院で研修後,09年国立精神・神経医療研究センター病院などを経て,13年神奈川県立精神医療センター依存症診療科。18年より同センター医療局長,21年より同センター副院長を兼任。近著に『人を信じられない病―信頼障害としてのアディクション』(日本評論社)など。「問題行動の陰にトラウマあり。困った時は成育歴を再確認してみてください」。

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