医学界新聞

書評

2021.02.01 週刊医学界新聞(通常号):第3406号より

《評者》 聖隷三方原病院副院長・緩和支持治療科

 「あいつ,かしこいですよ~」「スマートですよねぇ……はあっ♡てなります」「なんか癒やされる~」「ビッケに似てる!!」……僕の周りの,著者(田代志門)に対する評判である。ビッケというのはスウェーデンのアニメの主人公で,見た感じもなんとなく似ているが,「行く先々で降りかかる困難を知恵と勇気で見事に乗り越えていく」というキャラ設定も重なりそうだ。こうあるべき! から少し離して,「それって,こういうことじゃないですかね?」とさわやかに整理してくれるのは,社会学者という専門性と性格があいまってなせるわざだろう。

 さて,本書,細かいルールはちょこちょこ変わるので,背景にある大きな考え方を共有したい,という著者のポリシーに貫かれた1冊である。どこをどう読んでも,自分の研究,臨床と研究の曖昧なところの悩みの背景にある大きな概念が浮かんできて,ああそうだったのか,と気付く。

 著者の関心領域である,診療と研究の境目にある診療を研究とみなすべきかについて論じた前半部分は圧巻である。行為を,手段として確立している/いない×目的が患者にベストなことをする/一般化できる知識を得る,の4区分に分け,診療と研究の別を明確にしていく。そして,「手段として確立していないが目的が患者にベストなことをする行為」に対して,著者は,あえて1つの正解を持ってこない。臨床として扱う,研究として扱う,独自の第3のカテゴリーとして扱うべきとの意見がある,とまとめてくれている。そうなのか――専門家の間でも唯一解があるわけでもないのか!

 患者が研究を理解する点について語る中盤部分では,何を患者は理解するべきかという点から,「研究は自分のためにベストなものを見つけてくれたものである」という“治療との誤解”と,「効果を希望を持ってちょっと(より多く)見積もっている」という“治療の誤評価”とに分けて説明する。そして,後者については,ある程度の幅で患者の誤解は許容されるという立場もあるといってくれる――幅があるっていいなぁ……。

 後半の研究の社会的価値に関する検討でも,真理追究の学問(天文学)を対比させることで,医学研究は有用性の学問としての価値に意識せずに基づいていることを気付かせてくれる。そこで,社会的価値が不足しているから研究として認めないとする立場の是非を,「基本的な価値観をめぐる対立でもありますし,そう簡単に合意できない部分」と言い切る――うんうん,価値は一つに決めないほうが生きやすいよね!

 「議論の最前線に行けば行くほど百花繚乱で,そうそう一致した見解があるわけではない」――本当にその通りで,「何とか研究のチェックリスト」に○をつけるのは楽しくないが,自分で考える楽しさ,自分でルールをつくることの楽しさを感じられる本だと思う。研究者はもとより,臨床と研究の間で,「何とかチェックリスト」ではない本質的な課題を楽しみながら考えてみたい読者,おでんの具よりも“だし”に目がいく人にお薦めです。


《評者》 医療法人社団徳仁会中野病院薬局

 僕は書店が好きだ。書棚にずらりと並ぶ本の背表紙を眺めているだけで,新しい世界との出合いの予感に胸が躍る。装丁に惹かれた書籍を実際に手に取って,ゆっくりとページをめくってみると,紙面に並ぶ言葉たちを通じて自分の知らない景色を垣間見ることができる。手に伝わってくる本の重量は,それが大きなものであれ,小さなものであれ,重さを超えた概念の質量を宿している。

 一冊の本との出合いは,物の見方や考え方を大きく変えることがある。その変化の過程に能動性,あるいは主体性というような意識や感覚はなく,ただ自分と本との関係性だけが世界を編み変えていく。このような経験こそが質の高い学びを駆動する一つのきっかけなのかもしれない。

 誰かから「勉強しなさい」と言われても,必ずしも主体的に勉強をするようになるわけではない。もちろん,それがきっかけで継続的な学びにつながることもある。しかし他方で,誰に言われるでもなく無我夢中で勉強してしまうこともあるだろう。能動的あるいは主体的な学びと言ったとき,それは学習者の意志の強さというよりはむしろ,学びを欲することに対する自身の応答なのかもしれない。少なくとも,主体的な学びは指導者の一方的な教えの中にあるのではなく,指導者と学習者の関係性の内にあるように思える。

 本書は人材育成指導法の一つであるメンタリングについて,医療者に向けて書かれた実践書である。メンターは指導する(能動的な)立場,メンティーは指導される(受動的な)立場というイメージが一般的かもしれない。しかし,メンタリングの具体的な方法論についてあらためて考えたとき,その行為が能動/受動という概念では収まりきらないことに気付く。学びは指導者と学習者の関係性なしでは成り立ちようがないからだ。だからこそ,メンタリングの大切さを理解していたとしても,自分がどうあるべきなのか,あるいは具体的にどのような仕方でメンタリングを行えばよいのか,当惑してしまうことも少なくない。

 メンターとして,そしてメンティーとして,双方がどのような仕方で関係性を構築し,またその関係性の中で何を学び,成長の糧としていけば良いのか,本書はメンタリングの具体的なフレームワークを論じている。数々の実践可能なアドバイスは,メンタリングを円滑に進める上で有益な指針となってくれるだろう。さらに,巻末には豊富な参考文献や図書の紹介が収載されており,メンタリングのアウトカムが実り豊かになることを必ずや助けてくれるはずだ。


《評者》 船橋市立医療センター代謝内科部長

 正直に書きます。この本を読み終わった私は,深い感銘とともに,糖尿病に関する本も出版させていただいている末席の一人として少々嫉妬も覚えました。

 本書は,編著者のお一人三澤美和先生が「まえがき」に書かれている通り,以下の4つを全て満たした本です。

・明日から現場で使える情報,ツールにこだわった実践的な内容
・患者さんや家族の心理社会的背景を知るためのノウハウがつまった内容
・糖尿病専門医とプライマリ・ケア医をつなぐ,架け橋になるような内容
・糖尿病と生きる患者さん,そのご家族が手にとってくださることがあっても理解が深まるような内容

 糖尿病に関する本は,医学専門書店にも一般書店にも数多く並んでいますが,これら4つ全てを満たしている本は,今までなかったように思います。

 これは,家庭医療専門医と糖尿病専門医の両方を取得されている三澤先生と地域医療教育学の専門家岡崎研太郎先生のお二人が編著者だからこそ可能だった本といえるでしょう。執筆陣も,糖尿病専門医と家庭医療専門医がバランスよく分担して書かれていますし,もちろん薬剤師・訪問看護師・管理栄養士の方々も執筆されています。

 目次を見ていただければわかりますが,本書は「診療の心構え―治療法を考える,その前に」,「診療のその前に:患者との出会い」から始まっています。この2項目はとても重要です。

 「継続外来“必ず押さえる”基本編」では,症例も提示しながら,具体的なポイントを明記しています。生活療法,薬物療法,慢性合併症,糖尿病の救急,フットケアはもちろん,こう品,海外渡航時の対応,災害への備え,サプリメント・健康食品,社会保障制度についても記載されています。本当に素晴らしいと思います。

 また「継続外来“覚えておきたい”応用編」として,挙児希望の女性,小児・思春期の患者,高齢の患者,ポリファーマシーに陥りそうな患者,精神疾患を抱えた患者,がん治療中・がんサバイバーの患者にまで内容が及んでいます。

 さらに「ケースカンファレンス」として,在宅で患者を診るときのポイント,治療に前向きでない患者へのアプローチについて,さまざまな職種の立場から書かれているので大変参考になりました。

 そして最後に,多職種協働と多施設間でのスタッフ教育,地域医療連携の推進という,今後ますます重要となる項目についても書かれています。

 本書は,まさにタイトル通りの『かゆいところに手が届く! まるわかり糖尿病塾』です。プライマリ・ケア医や研修医はもちろん,糖尿病専門医,各種メディカル・スタッフの方々,さらには患者さんとそのご家族にも,幅広くお薦めできる一冊です。


《評者》 堀川内科・神経内科医院理事長

 脳神経内科医として診療していると,医学を越えた問題に毎日出合う。まだ軽微な症状しかない初診の患者に,やがて進行する神経難病の徴候を認めたとき,どう伝えたら明日からの暮らしに,少しは希望を持ってもらえるか。進行期のパーキンソン病患者の,もう少しよく動きたい思いを受けて抗パーキンソン病薬をわずかに増量しただけでも,精神的な多動や攻撃性が増して介護負担を大きくしてしまうとき,患者と介護者間の公平性をどう保つべきか。

 医学書院が『BRAIN and NERVE』誌の増大特集として編纂した「神経倫理ハンドブック」は,臨床医の抱えるこうした問題を,倫理学の切り口で検討することを援ける,貴重な1冊である。「座右の書」としてそばに置き,困ったときに何度でも読み返してほしい。

 西澤正豊氏は,脳神経内科医のプロフェッションが,次世代へ矜持として伝えるべきことは,診療対象の障害を持つ人々が,地域で当たり前の平凡な生活を再構築することを当然の権利とするノーマライゼーションの理念であり,臨床医をめざす学生が最も身につけるべき素養は,クライアントの思いに,共感する力(empathy)だと説く。

 長年患者と対峙して悩み,その解決を求めて倫理学を学んだという荻野美恵子氏が,その基礎を概説している。本質的には治癒困難な患者にトータルで益を成すためには,医学的知識や医療技術だけでは足りず,医学の進歩で増えたさまざまな選択肢を患者にどう選択し適用するかも,主治医がその場で考え,悩み,その時点での最良の判断を模索するしかない。しかし脳神経内科医に求められる問題は多く,遺伝性神経難病の患者への告知時の配慮,近年アクセスが容易になった遺伝学的検査時の倫理的規範,疾患進行期の胃瘻や人工呼吸器など処置の選択,患者の自己決定権と,自己決定能力の低い患者への主治医と家族による協働意思決定の必要と医師の説明責任,救急現場でのトリアージや,脳死,臓器移植の判断,認知症患者や重度障害患者への尊厳を重視した地域での医療,介護連携の構築など数え切れない。

 問題に出合ったときの倫理学的検討の方法として,臨床倫理の4原則(自立尊重,無危害,善行,正義・公正)に反しないかの検討,症例をより多面的に検討する際のJonsenの4分割表の使い方も述べている。施設内,地域内での医療倫理コンサルテーション,倫理委員会設置の意義と運用方法にも諸氏が言及しており学べる。板井孝壱郎氏はALS患者の人工呼吸器使用の開始,不開始の問題を,事前指示書(advance directives)を書いた4人の症例の,自身の思いの変遷と書換え,家族の思いへの配慮,主治医や看護・介護サービス連携の支援などを経て選択していく過程を通して述べている。正解は1つではなく,方法も多様にある。あえて胸の内を詳しく語らない人の思いも大事にし,独善的に踏み込むことを戒めている。生命維持治療の中止に関する法的な問題と留意点は,稲葉一人氏が症例をもとに詳述している。

 下畑享良氏をはじめとした本特集の執筆者が,臨床現場で一人ひとりの患者のために悩み,長い間支え続けて来られたその思いが,どの章でも行間に溢れ,読者の心を打つ。「私たちの精一杯の個別の熟慮と議論が,社会の見えない天井を押し上げ,すべての人々が難病や障害を抱えようとも,多様な生を生きる希望の持てる社会を創ることを期待する」と書く笹月桃子氏に共感する。


《評者》 東京女子医大教授・消化器内視鏡科学

 インターネット社会となり,若手内視鏡医はネットで好きな時に興味がある領域だけ勉強すればよい時代となった。なってしまったというほうが表現は正しいかもしれない。大勢の前で内視鏡所見を読影するドキドキ感は縁遠いものとなり,貴重な症例を勉強できる勉強会へ積極的に参加しようという意気込みのある若手内視鏡医は絶滅危惧種になりつつある。

 さらに追い打ちをかけるように誰もが予想だにしなかった新型コロナウイルス感染症のパンデミックに襲われ,勉強会に参加するどころか開催もされない状況となった。時間はあるのに,勉強会に参加できない。学会に参加できない。そういう若手内視鏡医が増えているように思える。

 こういう時こそ「紙媒体」で勉強するのだ!! それが数年後に必ず実を結ぶ。「全集中の呼吸」で紙媒体(本)を読むのだ! 完全に流行りものの『鬼滅の刃』に便乗してみたが,自分自身は見たこともないので今ネットで「全集中の呼吸」を検索してみた。「骨身を削りながら修練を重ねる以外に習得方法はない」と記載があった。適当に言った割には,結構今回の書評の文脈と一致していた。

 時を戻そう(これもまた流行りの芸人を参考にした)。

 私自身も時間を持て余し,久しぶりに気になる本を数冊ネットで購入して読んでいる。その一冊が今回書評を書かせていただいている,長浜隆司先生・竹内学先生編集の『上部消化管内視鏡診断アトラス』である。決して書評の依頼書とともに本が送られてきたから目を通したわけではない。

 咽頭・食道・胃・十二指腸の症例がきれいな内視鏡写真と病理写真とセットで,シンプルで読みやすいスタイルで一冊にまとめられている。私が最も気になったのは,食道壁内偽憩室症である。これは今まで何回か出合ったことがあったが,何だかよくわからず無視した記憶がある。内視鏡診断とはそういうものである。知らなければ診断できないし,アトラスでたくさんの症例を頭にインプットしている内視鏡医は診断できるわけである。あー,早く食道壁内偽憩室症に出合いたい。そして,みんなの前でサラッと診断したい。そういう欲望に駆られるのは私だけであろうか。

 とにかく,名前さえ知らない里吉症候群の内視鏡写真から,今流行のラズベリー様の腺窩上皮型胃癌まで網羅されているのである。最も気持ち悪くて夢にも出てきそうなのが,十二指腸の単元にある回虫症の内視鏡写真(p.201)である。乳頭部に迷入した回虫を内視鏡的にとらえた奇跡の一枚である。回虫もこのタイミングで写真を撮影されるとは思っていなかったに違いない。ぜひこのアトラスを手に取って,ご覧いただきたい一枚である。このアトラスを一冊全部頭に入れておけば,若手内視鏡医は数年分,いや数十年分の勉強を数時間でできるのである。

 さらに,今回のこのアトラスの特徴は本のサイズである。A5サイズで小さく,持ち運びやすい。それなのに内視鏡写真・病理写真のサイズは見やすく枚数も十分である。わが家のペット犬のチョコちゃんの餌を計る計量器に乗せると474 gであった。これは『五木食品タカモリナポリタン3食入』と同じ重さである。かつて内視鏡アトラスといえば,大きくて重くて分厚くて,表紙は固い紙で,夫婦喧嘩になれば武器にもなり得る代物であった。この『上部消化管内視鏡診断アトラス』は持ち運びやすく,安全でもある。

 この内容で,この価格。秀逸としかいえない。いつ買うの? 今でしょ!


《評者》 日医大名誉教授/医療法人 社団葵会南八王子病院院長

 最近のことであるが,JAMA Intern Med[PMID:32986084]に“医師の心電図診断精度”と題した78件の文献報告をメタ解析した米国Mayo Clinicからの報告が掲載されていた。それによると循環器標榜医の正診率は74.9%であった。ましてや実地医家,研修医ではさらに低い数値が示されている。トレーニングを経ての評価では平均で正診率が13%改善したと記されていた。

 今日では,心電図は臨床検査として当たり前のルーチンワークとして実施されているが,意外と利用者である医師にとって十分に活用されていない状況があるのではないか。現在の心電計の多くは自動診断が可能であり,他力本願で甘んじている医師が多いことも一因となっている可能性もある。しかし,低侵襲,廉価でかつ繰り返し記録することにより,多くの情報を提供してくれる心電図を活用しない手はないと考える次第である。

 ここに紹介させていただくGeorge J. Kleinの著作は,これまでの心電図読解テキストとは異なり,不整脈の電気生理学的背景を考慮して“臨床不整脈の心電図解読能力を向上させる”ことを目的として編纂されたテキストである。原書の序にも「不整脈の発生機転を電気生理学的に明らかにすることを主な目的としている」と記されている。内容的には心電図が提示され,多肢選択形式で正解を選ぶ方式となっているが,それぞれの所見・不整脈診断から,臨床背景・自覚症状などを参考として読者に正解を導かせることを意図している。読者の電気生理学的知識を駆使して,的確な心電図所見を見抜く能力を養うことを可能とするものと考えられる。提示される心電図は不整脈にかかわるものであるが,変化に富んだ設問があり,通読するにも退屈はしない。例えば,第2章の始めには,なんと心室起源の期外収縮が1心拍のみ記録されている12誘導心電図を示し,この症例が頻拍発作を発症した場合,最も可能性が高い頻拍はどれかという設問をしている。この設問は,提示した心電図所見を正しく診断させるのみのものではなく,従来の心電図学に関するテキストには見られないタイプのものである。読者の臨床医学的常識からの洞察力による判断を求めているものと思われる。

 このような価値ある著作に目を付け,日本語版を出版することを考えたことに敬意を表したい。監訳者は,大学の研究室に所属されていた時代から一貫して,今日まで長年にわたり,電気生理学的背景より不整脈解析を手掛け,臨床不整脈の第一線で活躍している強者である。各セクションを担当した訳者も,それぞれわが国を代表する指導的立場の不整脈研究者であり,用いられている和訳の用語にも統一性が担保されている。

 本書は,心電図学,特に不整脈に興味をもたれ専門医をめざす若手医師,あるいは,既に専門医として不整脈診療にかかわっている医師,そして,広く心電図に興味のある実地医家の皆さまにも心電図(特に不整脈)解析指南書として活用できるテキストであり,楽しみながら不整脈へのさらなる興味を募らせる一冊になると言える。