診断エラーの予防:認知バイアス①(綿貫聡,徳田安春)
連載
2019.03.18
ケースでわかる診断エラー学
「適切に診断できなかったのは,医師の知識不足が原因だ」――果たしてそうだろうか。うまく診断できなかった事例を分析する「診断エラー学」の視点から,診断に影響を及ぼす要因を知り,診断力を向上させる対策を紹介する。
[第3回]診断エラーの予防:認知バイアス①
綿貫 聡(東京都立多摩総合医療センター救急・総合診療センター医長)
徳田 安春(群星沖縄臨床研修センター長)
(前回よりつづく)
ある日の診療
○月△日,救急外来の準夜勤の終わり際の出来事である。この日は,日勤帯から救急外来で勤務を続け,勤務開始から15時間がたっていた。間が悪いことに朝から遅刻し,上級医に怒鳴られた。食事は朝食と昼食を取り損ねたままだ。多数の患者を診続け,頭は働いていない状態だった。しかしながら疲労のピークを超えたのか,身体は非常によく動く感じがした。
新たな患者の来院に,「私もまだまだ若いな,もうちょっと頑張ろう」と診療に勇んで入った。50代の男性が息切れを主訴に救急車で来院。背景に統合失調症があり,以前は頻回に救急外来を受診していた。バイタルサインでは若干の頻呼吸を認め,SpO2が少し低いような気がしたが,その他は異常を認めない。身体所見では,胸部聴診上心音・呼吸音は正常で,胸部単純X線写真では肺野に浸潤影を認めなかった。患者に対して若干の陰性感情を抱きつつ,「身体的に問題はないため,ご帰宅ください」と,まだ苦しそうな患者に説明をしようとしたところ,深夜帯の当直医Aに呼び止められた。
診断エラーの予防には3つの対策が考えられる。認知バイアスへの介入,システムへの介入,患者との協同関係の構築である。今回は認知バイアスへの介入について解説する。
まずは自身の状況のメタ認知から
認知バイアスを受けやすい状況については研究が進んでいる。例えば,次のような状況がある1)。
身体的・精神的な疲労
疲れている,眠れていない 許容量を超えている 感情の問題 患者に対して感情が生じている 診察のフローの問題 診察時に邪魔が入っている 引き継ぎ患者の診療 診断を決めつけている |
身体的・精神的な疲労に関しては,まずは自分の身体・精神の状況の把握から始めたい。自身の状況のメタ認知に有用な「HALT method」をご存じだろうか。これらの項目に当てはまるときはHALT(止まる)必要があることから,HALT methodと名付けられた。
Hungry 空腹 Angry 怒り Late 遅刻 Tired 疲労 |
4項目はいずれも医療者の判断能力を低下させ,患者の安全に影響を与える可能性がある。海外におけるregistered nurse(登録看護師)の勤務形態を調査した研究では,エラーの発生率は,勤務シフトが12時間以上,超過勤務の発生,週40時間以上の勤務によって有意に高くなると示された2)。また,不十分な睡眠時間はシフト勤務者のエラーを増加させる可能性があり3),睡眠不足は認知機能の低下,注意力の低下,情報を一時的に保つワーキングメモリを損なう恐れが指摘されている4)。
「HALT method」に基づくチェックリストの活用を
HALT methodの実践例を挙げる。英NHSのGuy's HospitalとSt Thomas' Hospitalでは,2017年3月17日,World Sleep Dayにちなんでnew HALT campaignを始めた。医療者の勤務中の休憩を勧め,健康とwell beingの改善を目的としたワークショップとレクチャーを開催した5)。
その中に,日本の医療現場の勤務者,管理者にとって有用な提案があるので紹介したい(表1)。いずれもHALT methodを実践する内容である。
表1 new HALT campaignでの提案内容(文献6より) | |
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忙しい診療環境では,勤務者は休憩の取得を遠慮しがちである。しかしながら,食事を取ったり,トイレに行ったりすることも患者安全の一環ととらえ直してはどうだろうか。医療者が忙しく働き,切れ目なく来院する患者に休まず対応することは一見勤勉に見えるが,患者安全の観点からは見直す必要があるかもしれない。
また,夜間の救急外来診療においても可能な限り複数人の勤務者を配置してシフト制を導入したい。最低限,数時間はPHSが鳴らないインターバルを確保し,安静を得られるスペースを確保することは重要と思われる。
勤務者の体調が悪くても見た目には判断が難しいことが多い。私(綿貫)の個人的な見解として,若い医師は体調が悪くても無理する傾向がある。管理者は意識的に声掛けを行い,勤務者の体調に応じて勤務量を調整するなど,適切に対応する必要がある。
意思決定を繰り返すことも,判断力低下の原因に
続いて,決定疲労(decision fatigue)という概念を紹介したい。心理学研究では,意思決定を繰り返した後に,自己制御能力が衰えるとわかっている7)。一例では,裁判所の裁判官はセッションが重なるにつれて,複雑な判断を伴う仮釈放ではなく,簡単もしくは保守的な選択をしやすかったという報告がある。
臨床医は日々の患者ケアの中で意思決定を繰り返す。意思決定の蓄積は臨床医の能力をむしばみ,不適切な選択を起こす可能性がある。
決定疲労を避ける方略には表2がある。「判断したり決定したりすることは,高次の,大切な業務である」という言葉を,私の前職の上司はことあるごとに述べていた。実際に,救急外来やプライマリ・ケアの現場などで,不確実な病態に向き合い,判断することは非常に負荷のかかる作業である。これを第一に認識すべきである。
表2 決定疲労を避ける4つの方略(文献8より) | |
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「(必要性は薄いけれど,)念のため〇〇しておこう」という,判断を先送りする魔法の言葉がある。しかし,検査やコンサルテーションを行う前に決断できるならば,余計な情報は増やさないほうが基本的には良い。情報が増えると,その中から有用な情報を抽出する作業が必要になるからだ。検査やコンサルテーションは,あくまで判断が変わり得る場合にのみ追加するように,優れた指導医の診療から学び,向上する必要がある。
意思決定を繰り返すと,ロールプレイングゲームで例えるなら「魔法使いのマジックポイント(MP)切れ」のような状況に陥る。身体は動くのに頭が働かない。では,MPが切れたらどうすればよいだろうか? ご存じの通り,おとなしく宿屋で寝るしかないのである。寝ないで仕事を続けることもできるだろうが,効率が悪くなり,診断エラーにもつながり得る。
診療その後
深夜帯の当直医Aは,自分より2年経験の長い信頼できる医師である。見かねたAが,「君は疲れているみたいだから,もう一度私が診察してみるよ,いいかな?」と発言。言葉に甘えて仮眠を取った。
翌朝,Aを訪ねると,「例の患者さん,COPDの急性増悪だと思う。呼気時に軽くwheezeがあって,軽い労作でSpO2が下がるし。当直の内科医と相談し,入院してもらった」「小耳に挟んだけど,朝から遅刻して,食事も取らずに頑張っていたんだって? あまり無理しないほうが良いと思うぞ!」と言われ,全てお見通しのAに恐縮しきりであった。
今回の学び
・自らの状況を客観視するのに,HALT methodは有用なツール。 ・医療者が切れ目ない患者の来院に休まず対応し続ける態度は,診断エラー学の観点からは問題がある。 ・判断・決定を繰り返すことで認知能力や自己制御能力は損なわれる。回復手段は適切な食事と休息。 |
(つづく)
参考文献・URL
1)BMJ Qual Saf. 2013[PMID:23882089]
2)Health Aff(Millwood). 2004[PMID:15318582]
3)Sleep. 1988[PMID:3283909]
4)Neuropsychiatr Dis Treat. 2007[PMID:19300585]
5)Guy's and St Thomas' NHS Foundation Trust. Guy's and St Thomas' staff encouraged to take regular breaks in new HALT campaign. 2017.
6)Guy's and St Thomas' NHS Foundation Trust. HALT, take a break. 2017.
7)J Pers Soc Psychol. 2008[PMID:18444745]
8)NEJM Journal Watch. Fighting Decision Fatigue. 2016.
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