医学界新聞

連載

2016.10.17



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第40回】
日本の医者の“無敵感” その1 ――反省のない文化

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 相手が勝ち誇ったとき,そいつはすでに敗北している
――ジョセフ・ジョースター
(『ジョジョの奇妙な冒険』,集英社)

 医者の世界は“無敵感”に満ちている。最近,痛感したのは第65回日本化学療法学会の会長挨拶。一部だけ引用する1)

 “1990年代後半から現在まで,外科領域では耐性菌はほとんど問題になっておらず,また,現在のようなC. difficile腸炎は全くと言っていいほど発症していませんでした。このような耐性菌の状況は多少の違いはあれ,日本のすべての医療分野でも同様であろうと考えます。当初,恐れられていた VREも未だに低率のままです。唯一,黄色ブドウ球菌に占めるMRSAの割合が欧米諸国に比べて高いことが指摘できますが,果たしてこの数字が何を意味しているのかははなはだ疑問です。臨床的に考えても,医療関連型MRSAの市中感染が多い欧米に比べれば日本ではMRSAは極めて低率といえます”

 ぼくは90年代以降のMRSA腸炎に関連する論文をすべて読み込み,MRSA腸炎の存在を証明したデータが一つもなかったことをすでに指摘している2)。あるのは,抗菌薬を出した,下痢をした,便からMRSAが生えたという前後関係の羅列ばかりである。C.difficile腸炎も構造的に見逃され続けていた可能性が高い。

 MRSA腸炎が存在しない,という「悪魔の証明」はできない。しかし,あれだけの騒ぎが「日本でだけ」発生し,それが消えていった謎に対して,ろくに検証もせずに万々歳を決め込む“無敵感”には納得がいかない。

 予防接種法が施行されたばかりの1950年ごろは,予防接種の副作用は「存在しない」ことになっていた。もし不測の事態が起きたときは被接種者の「特異体質」と片付けられていた。当時からこの無敵体質はあったのだ。

 もちろん,患者にアレルギーがあることを特異体質と片付ける欺瞞は今では許されない。しかし似たような事象は21世紀の現在にも残っている。感染管理系の講演をすると「うちでは感染症,問題になってないんですけど」というコメントをよく聞く。「問題だと認識されていない」のが最大の問題なのだ。血液培養を取らなければカテ感染は認識できない。認識できなければ,「起こっていない」。

 東日本大震災後の被災地での診療で処方された抗菌薬は,ほとんどが不適切であったことがわれわれの調査でわかっている。この発表に関して多くの批判が寄せられた。いわく,「ボランティアでやってきた献身的なドクターたちに失礼な発表だ」「内科医や小児科医だけではなく,整形外科医なども参加していたわけで,気道感染症に抗菌薬が出されていたという事情もある」「レントゲン等の検査のできなかった環境下で,診断が間違っていた可能性もある」云々。

 われわれはそのような指摘について,当然あらかじめ考慮に入れている。患者から「抗生物質くらい出してください」と要望されたら断りにくかったなどという諸事情もあっただろう。だから,「ある程度」の無意味な抗菌薬処方は社会的に許容せざるを得ないとすら思う。

 しかし,である。何千という抗菌薬処方の大多数(8割以上)が不適切(inappropriate)であり,かつ許容範囲内(acceptable)ですらなかった事実を,「仕方がない」と諦めるつもりはぼくにはない。そもそも上記の問題は被災と関係ない日常診療でも付きまとうものではないか。加えて言うなら,次に大きな災害が起きてもわれわれは同じような誤処方を繰り返し,「みんな一生懸命だったから仕方がない」と嘆息する気なのだろうか。

 もしサッカーチームが負けた時「いや,アウェーだとレフェリー厳しいし」「グラウンドの環境がまずかったし」「けが人が多くて」「応援も少なかった」,だから「負けても仕方なかった」と総括したら,ファンは絶対納得しないだろう。そういうものはすべて,織り込み済みにできる,すなわち予見可能なリスクである。そういうリスクをも凌駕しないと国際大会では勝てないからだ。

 被災地で検査もままならず,専門外のドクターが集まり,多々の制限が生じる中で診療をする。だから何だと言うのだ。これらは予見できるリスクである。「不適切処方の削減を諦めて良い言い訳にする」のか,「克服すべきチャレンジとみなす」のかは,われわれプロ次第ではないのか。

 われわれが向くべきは仲間のほうではない。「みんな,がんばってるんだから文句言うな」ではない。目線は社会と患者に向かうべきだ。「今は震災後なのでわれわれの出す抗菌薬はほとんど間違ってますけど,それでいいですよね」と国民に言えるのか。ぼくは言いたくない。

 誤用の抗菌薬はほとんどが急性上気道炎に対してだった。被災地でなくても,急性上気道炎の診断は血液検査や画像検査なしで行われる。「被災地だから」は言い訳にはならない。

 それに抗菌薬処方は必ずしもリスクヘッジにならない。水の安全もままならないときに抗菌薬関連下痢症が発生したらどうなるのか。アナフィラキシーが起きたらきちんと対応できるのか。被災地だからこそ,適切な抗菌薬使用は必然である。少なくとも,大多数の抗菌薬処方は適切であるべきで,やむを得ない社会的不適切処方は「例外」たるべきだ。

 なぜ,医者は反省しようとしないのだろう。自分のやっているプラクティスを正当化してしまい,反省することを敗北することと勘違いする。反省は敗北ではない。根拠のない無敵感こそが,敗北と同義なのだ。

 この話はもう少し続く。

つづく

参考文献・URL
1)第65回日本化学療法学会学術集会会長挨拶.
2)BMC Infect Dis. 2014[PMID:24884581]

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