医学界新聞

連載

2016.08.22



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第38回】
“ABIM論争”に見る専門医制度とジェネシャリストの生涯学習について

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 米国では専門医制度と学会が切り離されており,専門医資格が,学会にひざまずく医師への「ご褒美」にならない配慮がされている。内科領域であれば,ABIM(American Board of Internal Medicine)がその制度設計をなしている。学会の利益相反とは独立した立場で,質の高い専門医を認定するABIM。その気高い理念と実行力のため,米国医学界はABIMに対して大いに敬意を払っていた。しかし,このABIMが最近,ケチョンケチョンに批判されている1)

 米国における専門医の歴史は長く,南北戦争時代にまでさかのぼる。医師は他者から独立したオートノミーを持っており,通常であれば犯罪的な行為が正当なものとして認められている。他者に衣服を脱げと言い,頭頂部から陰部,肛門に至るまで患者の観察と触診を認められ,毒になり得る薬を処方でき,メスで体に傷を入れる。

 その正当性を裏付けるのは,医師の能力(コンピテンシー)である。医師の能力を担保するにはどうしたらよいか。米国医師会(AMA)は葛藤したのである。

 そこでできたのが専門医委員会であり,これは1920~30年代のことであった。ABIMが設立されたのは1936年。AMAとも米国内科学会(ACP)とも,他のどの学会とも独立した存在である。ABIMは内科系の全ての専門医試験を作成し,審査する。

 かつては,専門医試験は一回きりで,合格すれば生涯の専門医資格を保証するものだった。しかし,医学の進歩は早い。20年前の専門医試験の合格は,現在の医師の能力を担保しない。よって,ABIMは10年ごとに資格の再認定(re-certification)を求めるようになった。これは1990年代のことだ。

 ぼくも米国の内科専門医や感染症専門医資格を持っているから,この再認定試験を受けた。特に内科領域は普段のオンザジョブな研さんでは知識が時代遅れになりがちだ。だから,こうした10年ごとのレビューは自分に課すトレーニングとしては適切なものだとぼくは思う。

 しかし,このへんからABIMはおかしくなる。このころ起きたのが,医学教育領域の研究の進歩だ。研究の結果,医師のコンピテンシーは単に知識があるだけでは不十分と考えられるようになった。コミュニケーション・スキル,チームワーク,患者の安全などたくさんのアイテムが医師の能力に関与する。

 そのため,2000年から導入されたMOC(Maintenance of Certification)プログラムは,単に10年ごとの知識テストだけではなく,複合的コンピテンシーの保証を要求するようになった。実診療のデータをまとめて“診療の質”改善を行わせるなど,たくさんのデューティーを課すようになったのだ。その結果,多忙な医師たちはさらに多忙になった。このような足かせを嫌い,MOCプログラムは不人気となった。ぼくも“自分の診療改善”のためのアンケートを作り,フィードバックをもらうといったMOCプログラムに忙殺された。

 確かに理念的には素晴らしい試みだが,理念が先行し過ぎてtoo muchな印象を持った。MOC基準はどんどんハードルを上げ,現場の医師にはますます不人気となった。ブログや専門誌でABIMに対する批判が相次ぎ,The New England Journal of Medicineのような一流誌ですらABIMを公然と批判するようになった。

 結局のところ,ABIMの蹉跌は,医学教育の専門的知見で頭でっかちになりすぎた“教育専門家”たちが「よい専門医と判定すること」を「よい専門医でいること」よりも優先させてしまったことが最大の問題だった。たくさんのタスクを課し,頻繁にテストを重ねれば,専門医のコンピテンシーを判定する能力は学問的には高まるだろう。しかし,MOCプログラムに忙殺された医師たちが,日常診療すらまっとうに行えなくなれば本末転倒だ。

 一般的に教育専門家は“評価”を過大評価して,評価にかかる“時間的,労働的コスト”を無視しがちだというのがぼくの一貫した意見である(第33回参照)。ABIMはそのわなにハマったのだ。

 ただし,ここからがABIMの偉いところである。ABIMのメンバーは伝統的にアカデミック領域での業績を基に選ばれていた。が,このスキャンダルを受けて,現場のたたき上げで数十年,診療一筋のRichard J. Baron氏をABIMはトップに選んだ。彼はすぐさまABIMを代表して謝罪の手紙を書き,過去のABIMの過失を認め,改善を約束し,評判の悪かったMOCプログラムの幾つかを中止した。このへんの現状認識力,反省力,改善力はアメリカの偉いところだとぼくは思う。認識,反省,改善よりも場の空気を穏やかにすることばかりに腐心する日本の諸組織とは大きく異なる。

 生涯教育は,言うは簡単だが行うは難しい営為である。特に「ジェネシャリ」としてオールレンジで勉強を続け,かつ自分の専門領域の先端性を保ち続けるのは至難の業だ。だからこそ,そのような困難な学習はより効果的に行われるべきだ。

 「効果的」という言葉には「効率性」という観点も当然含まれている。忙しい診療をスポイルすることなく学び続ける工夫が,個々人の医師,そして各組織両方に必要なのである。

 ABIMは現場で教育する,教育を受ける医師たちの最大のサポーターであるべきだ。あれをやれ,これもしろ,と過大な要求を重ねて研修医や指導医や医療機関を困らせるべきではなく,「おかげさまで,楽に知識や技術をメンテできてますわ。ありがと」と言われる存在たるべきなのだ。

 もちろん,日本でも同じ理屈は通用する。

つづく

◆参考文献・URL
1) Bob Wachter. The ABIM Controversy: Where the Critics are Right, Where They're Wrong, and Why I Feel the Need to Speak Out. Wachter's World.

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