番外編:寿司の技術は1年で学べるか? 医者の技術は?
連載
2016.05.23
The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言
「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。
【第35回】
番外編 : 寿司の技術は1年で学べるか? 医者の技術は?
岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)
(前回からつづく)
堀江貴文氏(ホリエモン)が,寿司職人は数か月でノウハウが学べると発言し,議論になったそうだ1)。これは興味深い命題だと思う。これをぼくは「徒弟制度は必要か」と言い換えたい。
よく,「独学か,否か」という質問のされ方をするけれど,本当の意味での「独学」というものは存在しないとぼくは思う。一人で勉強するにしても教科書を読むなどするわけで,その教科書には書き手がいる。間接的には教育を受けているのだ。通信教育はその延長線上にあり,課題に対するコメントなどのサービスが付く。「寿司アカデミー」はさらにそのようなものの延長線上にある。だから,「独学か,否か」はさしたる問題ではない,あるいは程度問題である,と考える。
問題は,「徒弟制度か,そうでないか」である。この違いは結構大きいとぼくは思う。徒弟制度の最大のメリットは,「地雷踏みゲームの習得」だと思う。
*
「寿司アカデミー」は基本的に「塾」と同じである。塾とはどういう場所かというと,「こうやればうまくいく」という最短距離のショートカットを全部教えてもらえる場所である。受験というのは制限時間内に与えられたタスクをいかに十全にこなすか,というタイムリミットのある学習活動だ。そのため,「あれもやってみて,これもやってみて」といろいろな勉強を試しながら最適解を探すといったまどろっこしいことはしない。「こうやればうまくいく。うまくいく方法を習得せよ」が塾の基本戦略である。実を言うとぼくは塾に通ったことがないんだけど,うちの学生や研修医たちとの対話からはそうであろうことが推察される(間違ってたら,反証お待ちしています)。
「アカデミー」も制限時間内にミニマム・リクワイアメントを満たし,客のニーズに合致した寿司を作る技術を伝授してくれるような場所だと認識している。ぼくは「寿司アカデミー」なるものに入ったことはないし,おそらくホリエモンもないと思うけど,おそらくはそうであろう。そういう「ここが正しい道だ」を教えてくれる学習法の最大のメリットは,効率の良さである。最小限,最短の努力で最大限のリターンが得られるのだ。
で,デメリットは「これをやると地雷を踏む」という失敗のパターンをほとんど教えてもらえないことだ。まあ,コモンな問題についてはFAQ(Frequently Asked Questions)という形で教えてもらえるかもしれない。しかし,たまにしか起きないけれども,こいつを踏んだら極めてリスクの高い地雷については,教えてもらえない。理由は簡単だ。失敗のパターンを十全に教えるのは時間がかかりすぎるからだ。そのためには考えられる全てのパスウェイを教え,その失敗に至る道を教えなければならない。短期間では能率が悪すぎる。だから「成功する一本の道」だけを教えるのがずっと効率的なのだ。
*
一方,伝統的な「徒弟制度」では,ありそうな失敗のパターンを徹底的に教え込まれる。それは先代,先々代,さらにはその先代から延々と伝えられてきた,重層感のある失敗のパターンの記録と記憶の伝授である。一個人が「独学」で経験しきれないほどの重要な知見だ。それは繰り返し繰り返し,魂をもって伝えられる伝授だ。
ぼくは内科研修医1年目(インターン)だったとき,3年目のレジデントからしつこく「オーダーしたラボはチェックせよ(check the lab)」と教えられた。毎日のように言われた。オーダーしたら結果の出た検査は必ずチェックする。異常値は全てプロブレムとして認識する。異常値はいつから異常なのか,過去のデータと照合する。非常にシンプルな営為である。
ところが,後期研修医クラスでもこれがちゃんとできていないことが多い。例えば,血小板の異常を見ていない後期研修医は非常に多い。血小板は増加していても減少していても,それは重要な知見であり,いろいろな診断,予後に関する情報を与えてくれる。しかし,多くは白血球と赤血球ばかり見ていて,血小板を無視している。無視していない医者も,その重要性を認識しないのでそのまま忘れてしまう。それが習慣化されているので,いざというときに重要な疾患,例えば血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)のような疾患を見逃してしまう。見逃すべくして見逃してしまう。
これは初期研修医のとき,上級医にこのような「地雷を踏むなよ」というしつけを受けていなかったせいだ。なるほど,知識として「検査をチェックする」はどの医者にとっても常識だろう。しかし,知識として「知っている(knowledge)」と「できる(attitude)」と「やっている(practice)」は同義ではない。これがKAPギャップというやつだ。徒弟制度はこのようなKAPギャップを埋めるのには最適である。アカデミーではKまでしか教えてくれない。いつでもできる,やっている,オレが見ていないところでもやっている,オレがいなくなって,独立してもやっている……こういうレベルでの「失敗のパターン」教育は重層的な教育である。
寿司ネタの吟味の方法はネットで調べればわかるかもしれない。しかし,一見吟味できるようだけど,実は失敗する……みたいな情報は案外ネットでは見つからない。情報は成功でも失敗でも等しくネットに出ている,という反論もあるかもしれない。そんなことはない。そこには出版バイアスというものも存在するのだ。うまくいった知見のみが論文化され,うまくいかなかった(効果が証明されなかった)研究は論文化されにくく,出版もされにくい。学術集会でも「なんとかが奏効した症例」という通俗的なタイトルはしばしば見るが,「なんとかで失敗した症例」というタイトルにはまずお目にかからない。
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失敗は内的に共有される。それが「徒弟制度」の最大のメリットだ。ただし,ぼくは徒弟制度を全面的に支持しているわけでもない。代々伝わる教えが形骸化して意味を失っていることもあるし,そもそも間違いが伝えられて伝言ゲームになっていることも珍しくない。「アカデミー」に対する徒弟制度のメリットは明らかだが,徒弟制度でありさえすればよいわけではなく,そのメリットが保証されているわけではない。
つまり結論としては「徒弟制度は必要だ。だが徒弟制度であればよいわけでもない」。月並みですね。
(つづく)
◆参考URL
1)新井克弥.寿司の技術は1年で学べるか?――ホリエモンの提言を考える.BLOGOS;2016年2月22日.
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