医学界新聞

対談・座談会

2015.12.07



【対談】

「家庭医」って何だ?
吉田 伸氏(頴田病院/飯塚・頴田家庭医療プログラム 臨床教育部長)
藤沼 康樹氏(医療福祉生協連家庭医療学開発センター センター長/千葉大学大学院看護学研究科附属 専門職連携教育研究センター 特任講師)


 「地域を支える医療」の重要性は共有されるところとなっている。その中で,大きな役目を果たすと期待されているのが「家庭医」と呼ばれる医師だ。しかし,一口に「家庭医」といっても,想起されるイメージは,各人の住む地域や受療経験に影響され,定かなものでない。日本プライマリ・ケア連合学会で認定する「家庭医療専門医」の総数も約450人(2015年6月時点)と,決して多くはないのが現状だ。一体,家庭医とはどのような医師であり,どんな役割を果たすべき医師なのだろうか――。本紙では,日本の家庭医の先駆者で,その在るべき姿について考察を重ねてきた藤沼康樹氏と,若手家庭医の吉田伸氏による対談を企画。吉田氏の問いに藤沼氏が答えるかたちで,「家庭医」像の輪郭線をなぞっていく。


吉田 私にとって藤沼先生は,日本の家庭医のパイオニアで,1つの拠点をベースに活動される家庭医というイメージです。驚かされてしまうのが,ローカル的な発想にとどまることなく,看護学や哲学,または文化人類学など,多様な領域の知見を取り入れながら,家庭医について考察されている点ですね。

藤沼 そんなイメージでしたか。

吉田 私も一つの地域で10年間働き,また米国・英国の家庭医との交流を経て,自分なりの「家庭医」像を固めつつあります。今回は,あらためて藤沼先生に家庭医像について尋ねたいと思って,この場に来ました。

多様な学問が越境的に結びつく知の体系

藤沼 ただ,僕も海外の家庭医に言わせれば「self-taught family doctor」。あくまで“自習を頑張った医師”です。確かに,僕が若手のころは家庭医療を系統的に教えるプログラム・指導者が存在してなかったので,事実なんですけれど。

吉田 当時はそうですよね。独学を迫られる時代にあって,藤沼先生はなぜ家庭医療の道へ進んだのでしょう。

藤沼 僕の場合,家庭医療が持つ「知の体系」に興味を持ったというのが一番の理由です。だから他の家庭医と比べたら,僕自身は対人援助の志向はあまり強くないほうだと思いますよ。

吉田 え,そうなのですか。

藤沼 でも,だからこそ家庭医療に強い関心を抱いたんだろうとも感じていて。もともと僕の関心は,「人が人をケアするってどういうことか」「『患者』と言われる人はどういう存在か」とか,そういうところに向いていた。ただ,こうした問いって,現代医学のいわゆる生物医学的な学問体系とはそぐわないじゃないですか。でも家庭医療は全然そんなことない。疫学や経済学,心理学,人文諸科学など,あらゆる領域の知が越境的に結びついて成り立っている。偶然,米国家庭医療の専門雑誌を手にとったとき,「自分の求めていた知の体系がここにある!」と思い,以来ここまで進んできたという感じです。

吉田 家庭医療を俯瞰して語る藤沼先生のスタンスの原点が見えますね。

藤沼 今は「イノベーター」を自負するようにしていて,家庭医療の理論的な裏付けや,それに基づく専門的な知識・技術について伝えていく役割を担いたいと考えているんです。

内科学とも異なる射程

吉田 藤沼先生は家庭医療を知っていく過程で,家庭医療の言説に対し,疑問を感じることはありませんでしたか?

 私はもともと初期研修を飯塚病院で過ごし,救命救急センターや総合診療科では病歴聴取,身体診察や検査を行い,鑑別診断に応じた治療を進めるという診療スタイルの経験を積みました。その意味では,医師として最初にインストールされたOS(operation system)は「内科医」だったわけです。だからなのかもしれませんが,家庭医として後期研修を開始した際,家庭医療で語られるメソッドにどこか懐疑的な思いもありました。例えば,Stewartらの「患者中心の医療」で示されている解釈モデル1)。「患者さんの解釈をこんなきれいな言葉で語れるものかな」と疑っていたんです。

藤沼 僕も「患者中心の医療」を読んで心理社会的な要因を考慮した外来診療のスキルを知ったのですが,やはり当初は「どれほど診療に役立つものなのだろうか?」と思いましたよ。でも,書籍に書かれているアプローチを外来診療に取り入れてみたら,患者の反応が違う。外来診療構造の枠組みから考え直していく必要性さえ感じました。「すごい,本当に効果あるんだ!」って感動した記憶があります。

吉田 そう,実践してみると,現場の患者に当てはまっていく感覚があるんですよね。私も数年をかけ,ようやく患者中心の医療で語られていることが理解できるようになりました。それで痛感したのが,家庭医療にはきちんとしたスキルやメソッドの裏付けがあるんだ,ということです。

藤沼 患者と医療者の共通基盤の形成をめざした方法論が,明確に言語化されているんだよね。だから卓越した家庭医であれば,患者の一つひとつの所作に対し,「どのような意味に根差した行動であるのか」まで認識できる。だから診療時の患者への声掛けも,単なる接遇として発しているわけでなく,ラポール形成のための一言であったりするわけです。

吉田 まさにそうした点が「内科医」として身につけた診療スタイルとは異なる点だと感じます。

藤沼 内科学の体系とは異なる世界観が,家庭医療学には広がっているということなのでしょう。内科学は,内科的疾患の病態生理と治療を中心に考察していくもので,患者の「疾患」がポイントとなっている。一方,家庭医療学が扱うのは,疾患どころか診断自体がつかない健康問題であったり,患者の家庭や患者と相対する医師の姿勢であったりと,あらゆる方向に向かっていく。ですから,家庭医療学は,内科学と異なる射程を持つ学問体系であるととらえるべきだと考えています。

対人関係上の継続性の構築が鍵

吉田 そういう部分に,私も家庭医療の面白さを感じるようになりました。それで日本プライマリ・ケア連合学会若手医師部会などを通して家庭医の面白さを広報してきたのですね。

 ただ,多くの方にとって「家庭医」という存在がとらえづらいようなのです。もちろん皆,優れた家庭医が各地にいること自体は経験的にわかっているものの,「ではどういう能力を持つ人が家庭医なの?」と感じるようです。

藤沼 前提として,「家庭医」の能力は,核となる「core」と,個性である「own style」によって規定されています。coreは普遍的に持つ能力で,後者のown styleは医師自身の性格,地域やプライマリ・ケアの対象となる人口集団の性質,周囲の保健・医療・福祉リソースなど,多様なものに影響を受けて成り立っている。このような能力そのものの構成や,coreとown styleを切り分けて個々の能力を考えられていないと,「どこかとらえづらい」と感じてしまうのでしょう。

吉田 なるほど。

藤沼 だから家庭医の原像を共有し,それらを言語化していくとわかりやすいと思いますよ。例えば,ぱっと思いつくのが,幼児だったころは頻繁に診ていた患者が,中学生になって数年ぶりに受診したというケース。「こんにちは」ってあいさつされたりして。

吉田 「成長したなぁ」と感動する場面ですね。

藤沼 あぁ,僕はそこで情緒的な感動はないんですよ。「これがSaultzの言う『interpersonal continuity』2)かな」と感動するタイプなので(笑)。

吉田 藤沼先生らしい! でも,ご指摘になったinterpersonal continuityは,家庭医のcoreに該当するものだと思います。これは必ずしも「数週間,数か月に1回など,定期的に訪れる患者との関係性」や「ある患者の特定の疾患を治療し続けていること」を指しているわけではないのですよね。

藤沼 一部を指しているけど,全てではありません。大事なのは,「対人関係上の継続性」が基盤にあること。つまり患者の頭の片隅に家庭医の姿があり,「また困ったことがあったとき,あの医師に相談しよう」という認識が存在しているという点が重要なんです。

吉田 患者が必要なときにその医師を思い起こすかどうか,ですね。

藤沼 そう。ですから家庭医は,疾患に由来した問題が解決を見ても,医師-患者関係を終了させることはしません。むしろ,患者の健康問題の解決に必要なリソースとして「いつでも存在している」という認識を持たれるような関係性作りに努める。家庭医のcoreの一つに,こうした継続性の構築が挙げられます。

地域に腰を据える――「20年」が1つの目安

吉田 「継続性」に関連して私が関心を持っているのが,家庭医が拠点を変えることについてです。「家庭医=地域に根付いた医師」というイメージがある中,家庭医はどのぐらいの期間を一つの地域で過ごすべきなのだと思いますか。拠点を変えるに際しても,適切なタイミングってあるのでしょうか。

藤沼 なるほど。まず,卒後10年までは診療所に限らず,いろいろセッティングで系統的に学ぶのが理想です。

 その上で,いよいよ地域基盤型のプライマリ・ケアを主たる任務としようと思うなら,個人的には「20年間は1つの地域に腰を据える」ことをお勧めしたい。比喩的に言えば,「0歳のときに診た患者が,20歳になるところまで診る」経験ができるぐらいですね。

 感覚的なものですが,そのぐらい継続してかかりつけ患者を診ていると,地域の患者を人口集団として,さらに時間軸を伴ってとらえられるようになります。その経験は,家庭医としての視野を広げる印象がある。ですから20年は1つの地域を診て,それから別の地域に移るというのがよいかと思います。

吉田 20年ですか。確かにある程度まとまった時間を過ごすことで,interpersonal continuityを実感できるという面もありますからね。

 ちなみに,その視野の広がりというのは,「家庭医が地域に溶け込む」ことによる影響もあるのでしょうか。

藤沼 いや,あえて言うなら,溶けこむか否かは「関係ない」と思います。というのも僕自身,患者さんの居住地域には住まないタイプで,決して地域に溶け込んではいませんから(笑)。ですがそのことによる支障も経験していないので,地域とのかかわりの程度は各家庭医の嗜好に任せてよいんじゃないかと考えています。

 しかしこの点について,もともと英国の家庭医に相当するGP(General Practitioner)であったMcWhinneyは,書籍『Textbook of Family Medicine』の中で「家庭医は地域の一員になるように」と推奨していますね3)

吉田 私はMcWhinney同様,地域に溶け込んだほうがいいのではないかというスタンスです。同じ生活圏を共有し,自分たちの日常をよく知る医師に診てもらうことが,住民にとっての安心につながるという考え方には共感できますから。しかし一方で,それを全ての家庭医に求められないとも正直感じています。「地域に住むのが絶対!」というのは,重い決断を迫りすぎる,というか。

藤沼 文献を読んだり,海外の家庭医に話を聞いたりする限り,他国の家庭医も地域に根を下ろす医師ばかりではないようですけれどね。「Rural」と言われる田舎の地域であればまだしも,都市型の家庭医となると,そうした人はグッと少なくなるみたいです。

地域のかかりつけ患者に“責任”を持つ

藤沼 だから僕は,「住む/住まない」はともかくとして,「かかりつけとなっている人口集団を意識し,必要とするケアの性質によってレイヤー化していくこと」,それがプライマリ・ケアを担うという意味では重要なことなのだろうと考えています(図1)。

図1 プライマリ・ケアを提供する診療所や病院外来におけるレイヤー化のイメージ(クリックで拡大)
藤沼氏の作成による例。診療所や病院の一般外来に通院している患者群を,仮の健康リスクに基づいてレイヤー化した。図のように,リスクが高いレイヤーには個別の手厚い介入(ケア・マネジメント)を,リスク中等度から低いレイヤーには多職種連携による集団教育の介入(パネル・マネジメント)を行うなど,レイヤーを意識した介入の戦略を発想しやすくなる。

吉田 人口集団をレイヤー化する?

藤沼 「自施設を利用する人たちのほぼ全数について,どんな人たちがどれくらい存在し,どのようなかたちで利用しているのかを分類して把握すること」と言えるでしょう。

 家庭医は目の前の患者だけでなく,地域の人口集団の健康状態についても目を配らねばなりません。そこでレイヤー化という方法が有効で,数年に1回急性疾患でかかる人,2年に1回くらい風邪でかかる人,月に1回は慢性疾患でかかる人……などに整理できるのはもちろん,レイヤーごとに健康状態の向上をめざした効果・効率的な介入を発想しやすくなるのです。

吉田 面白いです。「地域の人口集団を診る」という認識はありましたが,それらをレイヤー化するという方法論は初めて聞きました。

藤沼 あまり言われていないことかもしれません。でも,離島や山間地域の無床診療所で活動するような家庭医なら,レイヤー化は自然と意識していることだろうと思いますよ。彼らは担当するエリアが定まりやすく,人口も固定的で年齢,性別,疾病構造なども把握しやすい環境にありますから。そうした実践を都市部で再現することが理想なのですが,まだ十分ではないのが現状でしょう。

 このような意識を持てるようになると,発展的には「本来受けるべきケアを受けていない患者」を同定することが可能になる。さらに,これまであまり関心を向けられてこなかった「状態の安定した単一慢性疾患患者や健診のみで受診する患者」といった群まで把握できる。そうなれば,それらのレイヤーに対するケアや予防的介入など,地域の健康状態の向上を狙った戦略を具体的に発想することにもつなげていきやすいと思うのですね。

吉田 フリーアクセスの医療提供体制をとる日本では,そうした層まで把握するのは難しいと思っていました。しかし,この方法なら有効ですね。

藤沼 ええ。推計でもいいから,地域のかかりつけ患者の集団について把握しようと試みるのが大切です。人口集団を通し,どんな医療がどの程度,どのような質で求められているのかを分析する。さらに,そこからアンメット・ニーズを拾い上げて,適切なケアや医療を構築することまで行う必要があります。つまり,「患者が何かを訴えてきたときに対応するのが仕事」という考え方からは脱却が必要で,「自分の担当する人口集団の健康状態に“責任”を持つ」という意識が求められるということなのです。

社会構造の変化で,地域基盤の家庭医がより重要に

吉田 藤沼先生のご指摘を踏まえると,家庭医はより広範の対象者を相手にすることになるわけですから,おのずと単独では限界を迎えることになります。必然的に,多職種との連携を今以上に密にする必要がありそうです。

藤沼 まさにそのとおりです。現状,都市の診療所や病院一般外来でプライマリ・ケアを担っている医師は,高リスク群への対応に消耗しており,中等度-低リスク群にはあまり関心が持てないか,流してしまっているだろうと予想されます。

 「じゃあ総合診療医を増やせばいいじゃないか」という指摘を受けそうですが,そう簡単にはできないでしょう。海外の医療の歴史をさかのぼっても,プライマリ・ケアを専門とする医師が爆発的に増えた例がないんです。日本だけがうまくいくとはなかなか思えません。そう考えると,不足しているケアを充実させるためには,専門職連携を促進させる,さらに看護師・保健師に権限を委譲し,裁量権のあるヘルスプロフェッショナルとして活躍できる体制を築く必要があるでしょう。

吉田 現場での感覚からも,安定した慢性疾患などリスクの低い患者であれば,必ずしも医師の介入でなくてもいいというのは納得できますね。

 ここまでお話を伺い,藤沼先生が「プライマリ・ケアを核にヘルスシステムを考えるのがいい」とかねてより指摘されている理由がわかってきました4)

藤沼 特に,今後起こる人口構造の変化を踏まえて持続的なシステムの在り方を考えると,それがスムーズな発想だと思うのです。

 人口全体に占める「子ども+高齢者」の割合の変化を見ると,1990年頃をボトムに,以降は一貫して上昇していきます(図2)。子どもと高齢者には重要な共通項があって,それは「地域とのかかわりが強い」ということ。学校・会社などの要因で地域を離れる可能性の高い他世代と比較し,子どもと高齢者はライフサイクルの中で最も地域への土着性が強くなる時期なのです。全人口に占めるそれらの世代の割合の増加が見込まれる点から,医療に限らず,社会福祉サービスも含めて,「地域」を基盤にした社会を構築する必要性があると指摘されています5)

図2 人口全体に占める「子ども+高齢者」の割合の推移(1940-2050年)

吉田 地域基盤がキーワードになる,と。

藤沼 そう。つまり,ローカル型のヘルスケアのオペレーションシステムにアップデートが求められている,というわけですね。

 ここで家庭医に引き寄せて考えると,家庭医の重要性が相当増していることがわかります。くしくも子どもも高齢者も,もちろんそれらの方々と共に暮らす家族も,家庭医が診る患者群です。何より,地域・共同体にアプローチする「地域志向性」(community orientation)は,家庭医の得意とするところでしょう。このように,今後の人口動態とそれに伴う社会構造の変化から見ても,家庭医は多職種との連携・協働の中心に位置して,地域住民の健康問題などに対応していく,それが持続発展可能なシステムだと考えられるのです。

キメラ状態にひるまない,よろづ相談医であれ

吉田 今後は多職種との連携・協働を充実させていく必要性があるとよくわかりました。しかし,こうして考えていったとき,家庭医に“しか”できないことって何になるのでしょうね。

藤沼 いい質問です。実は,「これは家庭医だけにしかできません」と主張すべきものはないのかもしれない。でも「これは家庭医としてやるべきことだ」というものはあります。

 その一つが,「multimorbidity」(マルチモビディティ)という多疾患併存状態にある患者への対応です6)。併存疾患が多い場合,全ての疾患に対し,診療ガイドラインに従った医療を注ぎ込むことが,必ずしもベストな選択ではありません。ここでは患者自身の目標も重要で,患者中心にアウトカム設定しながら医療を提供する必要があります。そこで力を発揮すべきがジェネラリストである総合診療医であり,その一翼は家庭医も担うべきでしょう。

 さらに「家庭医ならでは」を挙げるなら,「そもそも問題があるのかすらわからない“キメラ状態”の患者」へのファーストタッチです。医学的問題であるか否かも定かでないし,患者やその家族の心理社会的な問題に要因があるのかもしれない。あるいは本当に何も問題がないのかもしれない――。そういう混沌にアプローチし,その状態を言語化していき,対象者が必要なケア,サポートを受けられるように導いていく。実はこれこそ「Generalism」と呼ばれるものの基本なんだけれど,こうした対応は家庭医療を身につけた医師が得意であるべきことで,もっとも適任なはずなのです。

吉田 思い返すと,最近そうした患者さんを診る機会が多くなりました。併存疾患の多い患者さんであったり,「何が問題だかわからない」「治療は終わったのですが……」といったかたちで他科から患者紹介を受けたり。私としては,「そんなこともあるよね」と自然に受け入れてきましたけど。

藤沼 吉田先生はすでに家庭医のマインドセットを身につけているんですよ。でもその姿勢が重要で,要は家庭医は“よろづ相談医”であるべきってことです。「これは自分の仕事じゃない」なんて言ったら看板を下ろさなきゃいけません(笑)。

吉田 今日,家庭医ができることの幅広さと奥深さを再認識しました。

藤沼 僕は,英国のGP・Iona Heathの語った言葉が気に入っています。「GPの仕事は,通り一遍にやるならこれほど簡単そうに見える仕事はない。しかし,クオリティを高くしようとするとこれほど難しい仕事はない」。

吉田 いやあ,本当にその通りです。

藤沼 現在,社会から“ハイクオリティ・プライマリ・ケア”が求められているわけですから,まさにその「難しい」ことに,われわれはチャレンジしなければならないんですよ。

(了)

参考文献
1)Stewart M, et al. Patient-centered medicine : Transforming the clinical method. 3rd ed. Oxon : Radcliffe Medical Press ; 2013.
2)Saultz JW, et al. Interpersonal continuity of care and care outcomes : a critical review.ann Fam Med. 2005 ; 3(2) : 159-66. [PMID:15798043]
3)McWhinney IR, et al. Textbook of Family Medicine. 3rd ed. Oxford University Press ; 2009.
4)舟見恭子.家庭医という選択――19番目の専門医.エイチエス株式会社.2015.
5)広井良典.「コミュニティの中心」とコミュニティ政策.公共政策.2008;5(3):48-72.
6)Boyd CM. Clinical practice guidelines and quality of care for older patients with multiple comorbid diseases: implications for pay for performance. 2005 ; 294(6) : 716-24[PMID:16091574]


ふじぬま・やすき氏
1983年新潟大医学部卒。東京都老人医療センター血液科生協浮間診療所所長などを経て,2006年より医療福祉生協連家庭医療開発センターセンター長,15年より千葉大大学院専門職連携教育研究センター特任講師。専門は家庭医療学,医学教育。第21回武見奨励賞受賞。日本プライマリ・ケア連合学会理事,『総合診療』誌編集委員などを務める。家庭医としての診療を続けながら,家庭医療後期専門研修プログラムの運営や,診療所グループによる家庭医療学研究プロジェクトなどを進める。blog「藤沼康樹事務所(仮)for Health Care Professional Education

よしだ・しん氏
2006年名市大医学部卒。飯塚病院で初期研修後,同院総合診療科を経て,13年より現職。家庭医療専門医。13年から2年間,日本プライマリ・ケア連合学会若手医師部会の代表として,若手家庭医ネットワークの発展に尽力。WONCA APR Rajakumar Movement(世界家庭医療機構アジア太平洋支部若手家庭医ネットワーク)代表,日本プライマリ・ケア連合学会専門医部会国際活動班,国際キャリア支援委員会委員,国際関係委員会協力委員なども務める。

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