無知と配慮の診断学(岩田健太郎)
連載
2015.08.24
The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言
「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。
【第26回】
無知と配慮の診断学
岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)
(前回からつづく)
ニュースの賞味期限は短い。本稿を書いている2015年7月7日は,サッカー女子ワールドカップでなでしこジャパンがアメリカに大敗した翌日である。世間はこの話題で持ちきりであるが,もう翌日にしてメディアもネタが尽き,どうでもよい話題をほじくり返している。あと2週間も経つと,誰もこの話題を口にしなくなるだろう。
そのなでしこの前に大騒ぎになっていたのが,感染症のMERSである。もっともMERSそのものは2012年に見つかった感染症でさほど新規性はないのだが,隣の韓国で小流行が起きたために大騒ぎとなった(そしてほどなく誰も騒がなくなった。なんとなく)。
*
「Middle East Respiratory Syndrome」というくらいだから,MERSは中東の疾患である。サウジアラビアなど中東諸国から帰国し,当地で発症する。イギリス,ドイツ,フランス,オランダ,アメリカなど,多くの先進国で患者が発見されている。フィリピンやタイなどアジア諸国でも輸入例が見つかっている。しかし,渡航先で流行したのは韓国だけの特殊な事例だ。
韓国であっても医療機関での感染がほとんどで,コミュニティーで流行しているわけではない。韓国からMERSが日本に輸入される可能性はもちろん皆無ではない。しかし,中東からの渡航者でMERSが発見される可能性のほうがずっと高いとぼくは考える。韓国での小流行はじきに収束を迎えるが,中東での発症は今後長く続く可能性が高いからだ。それが数日後のことか,数年後のことになるのかはぼくにはわからないけれど。
*
2014年には西アフリカを中心にエボラ出血熱が流行し,こちらも大騒ぎになったがやはり「なんとなく」,皆騒がなくなった。メディアもそうだが,医療機関でもガードをガチガチに上げてビビった揚げ句,誰もビビらなくなるといういつものパターンである。
もっとも,ビクビクしないのは正しい態度である。どのみち,医療をやっている限り感染症患者からの曝露リスクは常に,恒常的にあるのだから,短期的にビクビクするのは意味がない。
世界には感染症の擦れっからしのプロ以外は聞いたこともないであろう感染症がうじゃうじゃしている。ただ,それがたまたま偶然,日本に入ってきていないというだけの話だ。リスクは常にある。そのリスクを感得できていないのは,単に無知のせい(おかげ?)である。無知は常にリスクを過大評価するか,過小評価するかのいずれかの態度に導くのだ。だから,エボラ騒ぎのときも必要のない大騒ぎをした揚げ句,「本当に大丈夫かな」と言いたくなるくらいのノーガード状態にさらりと戻る。
ある感染症が話題になって診療現場が大パニックになり,過剰反応をしまくった揚げ句に急に無関心になる。ぼくらはこのワンパターンな繰り返しを何度も見てきた。エイズ然り,SARS然り,新型インフルエンザ然り。どうしてこのワンパターンから学習しないのだろう,と思う。
つまり,日常診療の段階で感染症を疑ったときに丁寧に旅行歴を尋ねる習慣を持っていれば,どのような新規の感染症が現れても,きちんと対応はできるのである。これが過小評価も過大評価もしないためのシンプルにして最大の防御だ。個々の病原体に特化したスペシャルな議論ではなく,「発熱患者に渡航歴を聞く」というジェネラルな命題にすればよいのだ。しかし,ぼくが...
この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
医学界新聞プラス
[第2回]アセトアミノフェン経口製剤(カロナールⓇ)は 空腹時に服薬することが可能か?
『医薬品情報のひきだし』より連載 2022.08.05
-
対談・座談会 2025.03.11
-
医学界新聞プラス
[第1回]ビタミンB1は救急外来でいつ,誰に,どれだけ投与するのか?
『救急外来,ここだけの話』より連載 2021.06.25
-
医学界新聞プラス
[第1回]PPI(プロトンポンプ阻害薬)の副作用で下痢が発現する理由は? 機序は?
『医薬品情報のひきだし』より連載 2022.07.29
最新の記事
-
対談・座談会 2025.03.11
-
対談・座談会 2025.03.11
-
対談・座談会 2025.03.11
-
FAQ
医師が留学したいと思ったら最初に考えるべき3つの問い寄稿 2025.03.11
-
入院時重症患者対応メディエーターの役割
救急認定看護師が患者・家族を支援すること寄稿 2025.03.11
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。