医学界新聞

連載

2015.06.29



還暦「レジデント」研修記

24年ぶりに臨床に戻ることを決意した還暦医師の目に映った光景とは。
全4回の短期集中連載でお伝えします。

【第2回】
24年のブランクを埋めるために

李 啓充(大原綜合病院内科)


前回よりつづく

 前回までのあらすじ:震災復興の一助になればと臨床復帰を決意したものの,どうやって24年のブランクを埋めたらよいのだろうか?


 いかに天理よろづ相談所病院・総合診療部で厳しい卒後研修を受けたとはいえ,私の臨床経験は,米国に渡る前の10年間に限られていた。震災復興のお役に立とうと思うなら,24年のブランクを埋める再トレーニングを受ける必要があることは明らかだった。

中高年医の「再」研修受け入れ先は見つかるのか

 前回も述べたように,そもそも私が福島に深い思い入れを抱くようになったきっかけは,医学部同級生の村川雅洋君(震災時の福島医大病院長)から学会に招待されたことにあった。そこで,「張本人」に責任を取ってもらうべく,震災数か月後に福島で開かれた学会で卒業以来の再会を果たした際に,「福島の医師不足解消の手伝いをしたいから,貴君の病院で研修させてほしい」と持ち掛けたところ,村川君は迷惑そうな顔をしてあさっての方向を向いたきり,返事すらしてくれない。病院として年寄りの「再」研修医を迎え入れた経験がなかったから逡巡したのか,同級生として個人的に私の人格を熟知しているが故に「危ない人間は入れたくない」と思ったのかは知らないが,研修を受けさせてくれそうにないことは疑問の余地がなかった。

 その後,日本を訪れるたびに,出会った病院関係者に「臨床に復帰するので再研修の機会を与えてほしい」と頼み続けたが,社交辞令として好意的な返事をいただくことはあっても具体化に至った例はなく,時間ばかりがいたずらに経過した。「知り合いやコネに頼る作戦は誤りだった。白紙の状態から自力で研修先を探さねばならない」と痛感した私は,ロートル医師の臨床再研修を受け入れている医療機関をインターネットで検索し始めた。

 探せばあるもので,私のようなブランクのある中高年医の「再」研修を受け入れている施設をいくつか見つけることができた。その中でも,私の目をひいたのが,地域医療振興協会のプログラムだった。実績があるだけでなく,しっかりした制度を運営しているという印象を受けたからである。

医師不足が深刻な地域医療の現場へ

 そこで,同協会ホームページの申し込み欄を通じて再研修応募の手続きを取り,面接の日取りを設定した。面接時に,「研修の原則はオン・ザ・ジョブ・トレーニングであり,過疎地の病院で臨床の実務をこなしながら指導を受ける」との説明を受けた後,「系列病院に私の情報を流し,受け入れる意思がある病院に手を挙げてもらう」段取りが決められた。幸いなことに,24年のブランクがあるというのに,3病院から再研修のオファーをいただくことができた(逆に言うと,医師不足が深刻だからこそ,私のような医師でも「欲しがった」のだろう)。手を挙げてくださった3病院を実際に見学させていただいたが,いずれも真摯に地域医療に取り組んでいることはすぐにわかった。最終的に,市立恵那病院(岐阜県)でお世話になることを決めたのだが,同病院を選んだ理由は多分に恣意的なものであり,決して他の2病院が劣っていたわけではなかった(地域にブロードバンドのインターネットがまだ通じていない=レッドソックスの試合をオンラインで見ることができない,という理由で私の選から漏れた病院もあった)。

 市立恵那病院の前身は国立療養所恵那病院。恵那市に移譲されたのとほぼ同時に,その管理運営が地域医療振興協会に委託された。病床数199に対し常勤医師数は14(2015年4月現在)。24年のブランクを抱える60歳の医師を「労働力」として欲しがるくらいだから,その勤務の過酷さは赴任する前から容易に推察された。

 昨年4月,いよいよ恵那病院に赴任する際,私は留守宅を預かる子どもたちに「仕事がつらくて耐え切れなかったら3日で帰ってくるからよろしく」と言い置いて,人生で一番長く住んだ街ボストンを後にした。さすがに3日で逃げ帰ることはしなかったが,約1年に及んだ赴任中,ずっと「過労死の危険」におびえ続けることとなったのだった。

この項続く

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