医学界新聞

Dialog & Diagnosis

連載 青柳有紀

2015.06.08 週刊医学界新聞(レジデント号):第3128号より

 内科救急部に朝の回診に行くと,30代の女性が苦しそうな表情でストレッチャーに横たわっていました。嘔吐を繰り返しています。その他の患者さんたちは落ち着いているようです。早速,この患者さんから回診を始めることにします。

[症例]34歳女性。主訴:心窩部痛,嘔吐。胃食道逆流症(GERD)の既往があり,過去5年間,心窩部に不快感や痛みを意識した際にプロトンポンプ阻害薬(オメプラゾール)を服用していた。その他,特記すべき既往歴はない。3日前から心窩部痛が生じ,嘔気で食事もままならなくなった。地域の病院を受診し,入院加療となったが,痛みと嘔吐が増悪したため,三次医療機関である当院に転送されてきた。心窩部痛は刺し貫くような痛みで,他の部位に放散しない。体動で痛みが増悪するが,安静にしても痛みと嘔気は消えない。過去2時間に4回嘔吐した。嘔吐物は黄色がかった胃液のようなもので,血性ではない。この2日間はほとんど何も経口摂取できない状態が続いている。下痢なし。発熱なし。その他,呼吸器症状や尿路症状はない。特記すべき家族歴なし。医師の夫と二人暮らし。酒,タバコはやらない。オメプラゾール以外,処方薬やサプリメントなどは服用していない。転送元の病院での妊娠検査は陰性だった。

 入院時のバイタルおよび身体所見は以下の通り。体温37.0℃,血圧112/70 mmHg,心拍数109/分,呼吸数18/分,SpO2 99%(room air)。苦悶様表情あり。両眼瞼結膜は正常で黄疸なし。心音および呼吸音は正常。腹部に視診上異常は認めない。心窩部に限局した圧痛あり。「食道炎」の診断で,既にプロトンポンプ阻害薬の静注が開始されている。

 皆さんはこの症例についてどう思うでしょうか。「胃食道逆流症」の既往がある女性に見られた,激しい心窩部痛の症例です。担当しているレジデントは食道炎,つまり既往である胃食道逆流症に関連した合併症と判断し,治療を開始したようです。でも,何だか変な感じがしますね。

 心窩部痛は救急や外来では非常にコモンな症状で,鑑別診断も多岐にわたります。だからこそ,まずは危険な疾患から注意深く除外していくのが一般的なアプローチです。近接した解剖学的位置から,いわゆる5“killer”chest pains(死につながる5つの胸痛,)に含まれる心筋梗塞や大動脈解離といった疾患がすぐに思い浮かびますが,年齢を筆頭にこの患者に該当する危険因子は見られず,リスクは低いように思われます。同様に,食道破裂,肺塞栓(非典型的ですが),その他の緊急性の高い疾患群,すなわち胃十二指腸などの消化管穿孔,急性膵炎なども十分に考慮する必要があります。また,レジデントが下した診断名の食道炎や消化性潰瘍とともに,上腹部痛の鑑別に含まれる疾患群,すなわち急性胆嚢炎,急性胆管炎,脾膿瘍,脾梗塞,急性腸間膜虚血あるいは梗塞,腸閉塞,腎盂腎炎などの診断可能性も考えられるでしょう。

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 5“killer”chest pains(参考文献1より)

 担当のレジデントは,患者の既往歴を考慮した上で下した食道炎の診断可能性に相当自信があるのか,例えば急性膵炎のワークアップ,すなわちリパーゼなどの血清検査などは行わなかったようです。また,患者のベッドサイドに付き添っている,医師である夫が同様に食道炎を疑っており,「無駄な検査はしないでほしい」という意向を伝えていたことも,このレジデントの判断に影響したようでした。

 鑑別診断に関するベッドサイドでのディスカッションを終え,身体所見を取り始めたのですが,この間も患者さんは嘔吐をしていました。腹部の診察では触診でrigidity(筋硬直)を認めました。

「腹膜炎を疑わせる症状があります。消化管の穿孔も危惧されるため,至急外科に連絡し,手術の適応を判断します。さらに精査を続けますが,おそらく手術が必要になると思われます」

 患者さんは疲弊しながらも説明に納得したような様子です。一方で,彼女の夫とレジデントは虚を突かれたような表情をしています。追加する採血項目の確認や,引き続きベッドサイドで行う超音波検査の準備を指示しました。

「ところで,ご主人は医師でしたよね? ご専門は何ですか?」

 気になったので聞いてみることにしました。すると,彼が小さな声で言いました。

「……一般外科です」
「(!)」

 間もなく一般外科チームが到着し,腹膜炎の判断で一致しました。緊急手術が行われ,急性膵炎に続発した膵仮性嚢胞破裂と術中診断されました。急性膵炎の原因そのものについては確定できませんでした(まれにオメプラゾールなどプロトンポンプ阻害薬が急性膵炎の原因となるという報告もありますが,この症例にそれが該当したかどうかは不明です)。

 既往歴は病歴聴取の際に必ず確認するもので,診断を下す上で非常に有益な情報を与えてくれます。ただし,取り扱いを間違うと痛い目をみるので注意が必要です。

 この患者さんの既往歴には胃食道逆流症がありました。そして,過去にはそれによると思われる心窩部不快感や痛みを何度も経験していました。したがって,この患者さんが心窩部痛を訴えて搬送されてきたとき,担当したレジデントの思考はこの既往に,まさに「いかりを打つように」留め置かれたようです。このような,いったん下された診断に固執してしまう傾向のことをanchoring biasと呼びます。

 まだ経験の浅いレジデントや医学生と働いていると,臨床においてanchoringがいかに強力に私たちの思考に影響を及ぼし得るか,驚かされることが多いです。実際にこの症例では,「一般外科医」である患者の夫も,妻の既往に強力にanchorされているようでした。

 それでは,どうすればanchoringから自由になることができるでしょうか? それには,逆説的ですが,anchoringについて知り,それに対して自らが脆弱であるということを,まず認識する必要があります。その上で,例えば今回のように,既往に含まれる疾患で現病歴が説明できるように思われる症例の場合,私自身は以下のように3つの診断可能性に分けて考えるようにしています2)

① 既往の増悪
② 全く別の疾患の存在
③ ①と②の両方

 単純すぎるように思われるかもしれませんが,診断可能性は必ず上記のどれかに包含されるので便利です。

 Anchoring biasが生じる状況には他にも多くのパターンが考えられます。例えば,紹介元の前医やかかりつけ医によって下された診断,あるいは勤務シフト交代時や救急部からの申し送り時に言及される診断を過大に評価してしまうといったこともまれではありません3)。時には,病歴聴取の際に患者が主張する既往歴が単なる患者の思い込みであったりすることもあり,注意が必要です(例えば「喘息」など)。

 ドキッとした人,いますよね?

◎既往歴は診断の際に有益な情報を与えてくれるが,現病歴と既往歴に含まれる疾患が一致するような状況では,強力なanchoring biasとなり得る。
◎そうした状況においては,①既往の増悪,②全く別の疾患の存在,③ ①と②の両方,の3つに分けて疾患可能性を考えてみる。
◎バイアスに対する自らの脆弱性を認識しない限り,バイアスに対して人は脆弱であり続ける。


1)Bent S, et al. Saint-Frances Guide : Clinical Clerkship in Outpatient Medicine. 2nd ed. Lippincott Williams & Wilkins ; 2008. p 76.
2)青柳有紀,本田仁.感染症的往復書簡――2つのアプローチ.MEDSi ; 2015.p 75.
3)Ofri D. Falling into the diagnostic trap. The New York Times. July 19, 2012.

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