医学界新聞

対談・座談会

2015.06.01



【座談会】

多機能化と施設間連携で,精神疾患患者を地域へ

窪田 彰氏(医療法人社団草思会理事長/クボタクリニック院長)
佐久間 啓氏(あさかホスピタルグループ 理事長/あさかホスピタル院長)
福田 祐典氏(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所所長)=司会
青木 勉氏(総合病院国保旭中央病院 神経精神科・児童精神科主任部長)


 精神疾患患者の地域移行・生活支援が叫ばれて久しい。その政策的背景には,2006年に国連総会で採択された障害者権利条約がある()。日本でも2013年に,「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」が施行され,地域社会での共生実現に向けた障害福祉サービスの充実が図られることとなった。しかしながら,精神疾患患者が地域に定着し生活していくためには,退院促進支援,障害福祉サービスの充実だけでは十分とは言いがたい。そこで本座談会では,医療・保健・福祉の各サービスをうまく統合し,それぞれ異なる立場で地域移行支援に取り組む4氏の経験から,患者を真に地域で支えていくための課題や方向性を探った。


求められる支援を行った,結果としての“多機能化”

福田 窪田先生は地域で患者さんを受け入れる側として,診療所やデイケアなどの各種サービスを展開されていますね。地域にかかわるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

窪田 勤めていた都立墨東病院(東京都墨田区)に1978年に日本で最初の精神科救急ができたことが,コミュニティケアに携わるようになった発端でした。当時,地域には精神科の支援施設がほとんどありませんでした。そのため,退院した患者さんの憩いの場として始めたクラブハウス「友の家」を足掛かりに,共同作業所などを作っていきました。その縁で墨田区に精神科診療所を開業し,デイケアも始めたのです。

福田 最近では,デイケアやアウトリーチ活動を実施している診療所も増えましたが,そのころは珍しかったと思います。なぜデイケアを始めようと考えたのですか。

窪田 精神疾患の患者さんって,人とのかかわりを避けて暮らしてきた人が多いですよね。ですが,社会の中で生きていくには,人や町に慣れなくてはいけない。そこで,外来患者さんが参加しやすいグループ活動の場として,デイケアを活用することを考えました。

 今考えると,それが診療所にとっても大きな転換期でした。デイケアの設置によってコメディカルの雇用が増え,訪問看護などを実施する職員の余力が生まれたのです。そして職員や患者さんの要望を基に,訪問看護やナイトケア,訪問診療,相談支援,就労移行支援……,と活動の幅を広げていきました。町の中に利用できる診療所やサービスが複数でき,自分でサービスを選んでライフスタイルを作れるようになったことで,患者さんたちに“ここは自分たちの町だ”という意識が芽生えたことも良かったと思っています。

福田 その都度必要な支援を提供していった結果,多職種による多機能型の診療所に発展したわけですね。

 佐久間先生は,長期入院患者の多い精神科病院からのスタートだったと伺っています。現在は入院施設だけでなく介護施設などもお持ちで,入院から地域生活支援まで幅広く行われていますが,そこに至るまでの経緯を教えてください。

佐久間 私は米国で公衆衛生を学び,父が経営していた病院へと戻りました。当時の病院は患者さんを閉じ込めておくだけの収容型の病院で,自分が考えていた医療とはかけ離れた現実がそこにはあった。そんなとき,Ian R. H. Falloon先生のイタリアのワークショップで,統合型地域精神科治療プログラム(Optimal Treatment Project;OTP,)を学び,病院改革に必要な理論と方法論を併せ持つと感じたのです。そしてOTPの概念を取り入れた「ささがわプロジェクト」を2002年に開始し,地域移行支援事業に着手しました。分院であるささがわホスピタルの閉院にあたり,最終的に1日で94人全員を退院させてしまったのは,多少強引だったかもしれませんが(笑)。

  OTPのエビデンスに基づく治療方針1)
OTPでは患者・家族などの援助者を含めた治療チームを形成する。心理教育,ストレスマネジメント,認知行動療法を通して,患者主体の支援を行いながら,援助者が治療的役割を果たせるよう援助していく。

福田 1日で全員を退院させたのですか。患者さんやご家族から不安の声などはなかったのでしょうか。

佐久間 実際には閉院の1年以上前からプロジェクトは始まっており,退院後も治療や支援を継続すること,病状悪化時は病院で対応することなどを繰り返し説明して理解を得るよう努めてきました。また,閉院した段階では,病院の建物が精神障害者地域生活支援センターと居住施設からなる集合施設に変わっただけでしたから,患者さんは同じ場所で生活しながら医療サービスを受けられたことも安心材料になったと思います。その後,プロジェクトを進める中で,支援に必要なサービスを徐々に増やしていきました。

 2014年に自院で加療を継続していた統合失調症患者さん61人を対象に調査を行ったところ,分院を閉院した2002年からの12年間で,患者さんが再入院していた平均期間はわずか約14か月(10%)でした。

福田 地域で過ごしている期間のほうが圧倒的に長いのですね。ところで,精神科の施設ができるときには地域で反対運動が起きることがありますが,お二方ともそういった問題はなかったのでしょうか。

窪田 墨田区で支援を行うようになって30年以上が経ちますが,今までに反対運動が起きたことはありません。資金不足で,やむを得ず小さな拠点を増やしていったことが良かったのかもしれません。拠点が小さかったために地域の人にあまり抵抗感が生じなかったのです。そして時間が経つとともに,「精神疾患の人も自分たちとあまり変わらないのだ」ということを理解してもらえるようになりました。

佐久間 私も大きな反対運動は経験しませんでした。近隣地域に向けてささがわプロジェクトの説明会を開催したことと,地域移行を段階的に進めたことが良い方向に作用しました。プロジェクト実施後に地域の人から寄せられた声のうち,約3分の2は精神障害者に対する漠然とした不安などでしたが,残りの3分の1は手伝いの申し出や,患者さんのあいさつやゴミ出しに対するお褒めの言葉であったことはうれしく思います。

地域連携型の精神科医療体制への転換で,長期入院がゼロに

福田 一方で,青木先生はずっと総合病院に勤務されており,患者さんを地域へと送り出す側です。退院を進めていくことが重要だと考えるようになったのはなぜでしょうか。

青木 私が病院に勤務し始めた当初から,病院には30-40年入院している患者さんが多くいました。そうした患者さんに,「先生,いつになったら家に帰れるんですか」と泣きつかれても,何もしてあげることができず,もどかしく思っていたのです。

福田 患者さんに何もしてあげられないのはつらいですね。

青木 ターニングポイントになったのは,2002年のカンボジアとバンクーバーへの訪問でした。カンボジアは政治的事情から保健医療サービスが一度全て崩壊した国なのですが,そこで精神科医療サービスを一から立て直すお手伝いをしました。一方,バンクーバーは精神科サービスの先進地域です。病気から回復した人をピアサポーターとして雇用し,患者さんを支えるシステムが構築されており,参考にしたいと感じました。この二つの国と地域への訪問が,“理想の精神医療とは何か”を問い直す良い機会になりました。

 帰国後,院内の精神科サービスの改革を任され,病院に付設されていたデイケアやOTセンターのコメディカルの方たち,病棟・外来の看護師と多職種プロジェクトチームを組織し,勉強会を始めたのです。その中で,“やはり地域移行が大切だ”と皆が肌で感じるようになり,病院としてめざすべき方向性を共有できました。

福田 実際にはどのように地域移行を進めていきましたか。

青木 院内で各種ワーキンググループを作り,急性期における多職種チームの介入を開始しましたが,医師不足による医療体制崩壊の危機を経験し,自己完結型から,地域連携が可能な精神科医療体制構築へと方針を転換しました()。そして,救急・治療抵抗性・児童精神・

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