医学界新聞

寄稿

2015.01.19



【寄稿】

医療を進化させる,障がい者スポーツ研究

田島 文博(和歌山県立医科大学リハビリテーション科教授/みらい医療推進センター長)


 障がい者スポーツはリハビリテーションの一環として生まれ,1948年にルードヴィヒ・グットマン卿が開催した脊髄損傷対麻痺者のスポーツ大会が起源とされている。日本では社会福祉法人「太陽の家」創設者の中村裕先生(九大)が普及に努め,1961年大分県身体障害者体育大会の開催,1975年極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催,そして1981年大分国際車いすマラソン大会の開始に尽力し,日本の障がい者スポーツの基礎を築いた(写真1)。

写真1 障がい者スポーツ創始者Sir Guttmann氏(左)と,障がい者スポーツを日本に初めて紹介した中村裕氏。

障がい者の体力維持増進にスポーツは有用

 障がい者スポーツは,今や障がい者の社会参加と切り離せない関係にある。今では信じられないだろうが,1980年代前半までは,障がい者が社会に出ることを好ましく思わない風潮すらあった。しかし現在では,街中でも車いすの方を普通に見かけるようになり,障がい者の就労や社会参加も当然のことになってきている。

 この変化には,パラリンピックでの日本人選手の活躍が少なからず影響している。その契機となったのが,1996年のアトランタ大会で,日本人選手の活躍が国民に大きな感動を与えたことだ。さらに,1998年の長野冬季パラリンピックでの競技の様子は自国開催ということもあり,一般のニュースとともに伝えられ,認知度を高めた。競技以外でも,2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致活動で,陸上パラリンピアンの佐藤真海選手が活躍したことは記憶に新しい。もはや,障がい者スポーツなしにはオリンピックも開催できないところにまで発展してきたと言っても過言ではない。

 本学は設立以来,地域医療の充実と県民健康の増進に取り組み,研究活動において成果を挙げてきた。障がい者スポーツの分野でも,同附属病院が日本障がい者スポーツ協会,日本パラリンピック委員会推薦のメディカルチェック医療機関として認定を受けている。

 この30年余りの間,本学は大分国際車いすマラソン大会を通じての医科学的検討とパラリンピアンのスポーツ医科学研究を推進し,その結果,障がい者スポーツのリスクマネジメントとメディカルチェックの重要性,さらには,メダル獲得に向けての競技性向上に至るまで,多くの役割を果たしてきた。

 例えば,1995年に,世界トップレベルの車いすランナーの動作解析を行い,効率的な車いす駆動技術を明らかにした(写真2)。その上で,三井利仁先生(和歌山県立医大)らが選手をコーチングし,アトランタ,シドニー,アテネの車いす競技で,3大会合計47個のメダル獲得の成果を挙げた。

写真2 車いすランナーの動作分析の様子(上)。写真下右のように腕を大きく振り上げると,次の駆動までの時間が無駄になり,タイムが悪化することがわかった。

 競技力向上とともに,障がい者の運動増進と体力医学的研究も実施した。障がい者スポーツは,障がい者の体力維持増進の面で重要な役割を持つ。就労障がい者を医学的に調査した結果,スポーツ参加のない障がい者は驚くほど低い最大酸素摂取量を示し,週2回程度でも何らかのスポーツを行っている障がい者では最大酸素摂取量が有意に改善することがわかっている。さらに,脊髄損傷者の最大酸素摂取量を20年以上追跡調査した結果,車いすフルマラソンを続けている選手は上昇し,ハーフマラソンの選手は維持,全くやめてしまった選手は半分に低下した(1)。脊髄損傷者にとって,運動・スポーツは健常者以上に有用であると言える。

 脊髄損傷者の最大酸素摂取量(VO2max)の変化
-■-車いすフルマラソン継続選手
-○-車いすハ

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