米スポーツ界を震撼させる変性脳疾患(3)(李啓充)
連載
2014.02.17
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第263回
米スポーツ界を震撼させる変性脳疾患(3)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(3062号よりつづく)
前回までのあらすじ:NFLは脳震盪の危険性について科学的に調査し対策を講ずることを目的として,1994年,Mild Traumatic Brain Injury Committee(MTBIC)を立ち上げた。
MTBICの初代委員長に任命されたのは,ニューヨーク・ジェッツのチームドクター,エリオット・ペルマンだった。しかし,ペルマンは脳震盪の研究にかかわった経験は皆無であり,その専門は関節リウマチだった。なぜ,脳震盪については「門外漢」といってもいいペルマンが委員長に任命されたのかというと,その理由は,「タグリアブー・コミッショナーの主治医だったから」とされている。他の委員たちもチームドクターやトレーナーが大多数を占め,脳震盪の専門家はごく一部にとどまった。「科学的調査と対策構築という目的は建前に過ぎず,本音はPR対策」と見る向きが少なくなかったゆえんである。
MTBIC設立の本音と建前
MTBIC が実質的活動を始めたのは1995年2月だった。MTBIC設立の意義をことさらに強調したかったのか,ペルマンは,「95年以前に脳震盪を研究したデータはなく,われわれが『初めて』調べるのだ」として,まず,脳震盪を「定義」することからその活動を開始した。しかし,ペルマンの言とは裏腹に,例えば1989年には,バージニア大学のジェフ・バースが大学フットボール選手を対象として,脳震盪後,症状・機能障害が回復するまでの経過を調べた結果を発表していた(註1)。
さらに, 90年代に入ると,ピッツバーグ大学のマーク・ラブールらが中心となってNFL選手を対象とした脳震盪研究が開始され,脳震盪の前後で脳機能がどれだけ損なわれたかを計測するための「検査」も開発された。ランダムに読み上げられた数字を暗唱させたり,(例えば)Bで始まる単語を思いつくだけ言わせたり,25の点を線で結ばせたり,という簡単な検査であったが,もともと認知症患者らに使われていた検査を応用したものだった。脳震盪の病態評価において,画像検査はまったく役立たずであっただけに,客観的に傷害の度合いを計測することのできる機能検査が開発されたことの意義は大きく,ラブールは数少ない専門家としてMTBICの委員に招かれた。
本来の設立目的はPR対策と見る向きが多いと上述したが,建前の「科学的調査」に添う活動が行われなかったわけではなかった。NFLにおける脳震盪の実態調査が始められただけでなく,選手が脳震盪を起こした際には,ラブールが開発した機能検査を実施してその病態を評価することが推奨された。
絶賛されたMTBICの学術論文
かくして,MTBICは,NFLにおける脳震盪事例について膨大なデータを収集・蓄積することとなったのだが,その調査結果を「学術論文」として発表するようになったのは2003年10月のことだった。試合中に選手が脳震盪を起こした際のビデオに基づいて実験室でダミーを用いた「再現」試験を実施。頭部に加わる衝撃の程度を物理学的に解析した結果を『Neurosurgery』誌に発表したのである(註2)。
ペルマンが筆頭著者となって発表されたこの論文は,脳震盪研究者たちからもろ手を挙げて歓迎された。NFLは「患者」数とデータの多さだけでなく,資金の豊富さでも他の研究グループを圧倒しただけに,「リーグが本腰を入れて研究を進めたら脳震盪について数多くの新たな知見が得られる」と期待されたからである。実際,『Neurosurgery』誌の編集主幹マイケル・アプゾは,MTBICからの論文が掲載された号の巻頭に「Editor's Letter」を執筆,1800年前にローマの剣闘士の外傷診療で得た知見に基づいて医学を進歩させたガレノスを引き合いに出してNFLの努力を絶賛した。
研究者たちの期待に応えるかのように,MTBIC は,『Neurosurgery』誌に,次から次へと脳震盪研究の続報を発表し始めたのだった。
(この項つづく)
註1:Barth JT, et al. Mild head injury in sports: neuropsychological sequelae and recovery of function. Levin HS, et al, editors. Mild Head Injury. Oxford University Press; 1989. pp. 257-75.
註2:Pellman EJ, et al. Concussion in professional football: reconstruction of game impacts and injuries. Neurosurgery. 2003 ; 53 (4): 799-814.
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