がんを知り,がんを制す(野田哲生,大津敦,間野博行)
対談・座談会
2013.01.21
【新春鼎談】
がんを知り,がんを制す
野田哲生氏(がん研究会がん研究所所長)=司会
大津 敦氏(国立がん研究センター東病院臨床開発センター長)
間野博行氏(東京大学大学院特任教授・ゲノム医学講座/自治医科大学教授)
「奇跡が起こった」。2010年のASCO(米国臨床腫瘍学会)で報告された,EML4-ALK陽性非小細胞肺がん患者のがんが分子標的薬クリゾチニブでほぼ完全に消えた症例は,がんにかかわる多くの医療者・患者に驚きと希望をもたらした。
ゲノム医科学の進歩は,がんの原因となる遺伝子の相次ぐ発見を導き,ついにがんの正体をこの目でとらえるところまで来ている。遅れが指摘されるわが国の創薬も「早期・探索的臨床試験拠点整備事業」や「医療イノベーション5か年戦略」など,国レベルの支援ネットワークが始動。がんを制するための環境がまさに整いつつある。がんとの戦いの歴史の新たな1ページがいま開く。
■がん薬物療法は新時代へ
野田 2000年代以降,がん薬物療法は分子標的薬の時代と言われています。2012年の日本国際賞を受賞したラウリー,ドラッカー,ライドンの3氏が開発にかかわったイマチニブは,初の画期的な分子標的薬として慢性骨髄性白血病(CML)治療に革命をもたらしました。イマチニブを筆頭とする分子標的薬の成功は,がんを理解することががんを制することに必ずつながるという事実を,研究者のみならず患者・市民の目にも明らかにしました。さらに現在も,新たな分子標的薬の開発が進んでいます。
それではまず,分子標的薬の創薬における最近の動向をお聞かせください。
分子標的薬が個別化治療を現実のものとした
間野 分子標的薬とは,ある分子を標的としてその機能を制御する薬剤一般のことを指します。現在がん領域で分子標的薬と呼ばれているのは,基本的にタンパク質を制御する薬剤です。制御に用いる物質にはいろいろな種類があり,分子量数百程度の低分子化合物から抗体のようなタンパク質もあります。
標的となるタンパク質は,以前はがん遺伝子やがん抑制遺伝子の研究で明らかになった細胞増殖に関するシグナル伝達系から,重要そうなものを順に対象としていました。しかし最近では,「なぜそのタンパク質が標的となるのか」という知見をまず確固とした上で創薬を行う流れになっています。
野田 創薬の速度も,大きく加速していますね。
間野 ええ。イマチニブでは,標的酵素BCR-ABLを産生するフィラデルフィア染色体の発見から薬事承認まで約40年かかりましたが,2011年に米国で承認されたALK阻害薬クリゾチニブでは,標的であるEML4-ALKの発見から承認までたった4年です(表)。
表 加速する分子標的薬開発 |
野田 その背景には何があるのですか。
間野 ゲノム医科学の進歩が最大の理由です。ヒトの全ゲノム配列の決定が,一般の大学・研究所レベルのラボでも行える時代になりました。がん患者の実際のサンプルを用いた研究が広く可能となったことで,がん発生や転移のメカニズムが“分子の言葉”で語られる時代になってきています。
大津 分子標的薬の出現は,本当の意味での「個別化治療」を現実のものとしました。従来の殺細胞性タイプの抗がん薬でも,感受性因子の検索などでより有効な投与法の研究は進められてきましたが,なかなか個別化には至りませんでした。しかしながら,BCR-ABLでもEML4-ALKでもその遺伝子変異を有する患者のみが投与対象になるので,分子標的薬が現実の個別化治療を臨床にもたらしたことは間違いありません。
がんの“アキレス腱”を探せ
野田 間野先生が発見された標的EML4-ALKとその阻害薬クリゾチニブは,近年開発された分子標的薬のなかでも特に画期的だったと思います。その発見の経緯について,教えていただけますか。
間野 EML4-ALKを見つけた研究の根底にあったのは,「第二のイマチニブを作りたい」という思いでした。数ある分子標的薬のなかで,なぜイマチニブだけがあれだけ優れた有効性を持つのかを考え,おそらくイマチニブの標的であるBCR-ABLがCML発症に至る本質的な原因遺伝子だという仮説を立てたのです。言わばがんの“アキレス腱”のような遺伝子変異を抑えれば,目覚ましい治療効果が得られると考えました。
そこで,がんの本質的な原因を見つけるためのスクリーニング法を開発し,死亡者数の最も多いがん種である肺がんを対象に解析を始めました。その結果,運よく短期間でチロシンキナーゼの活性型融合遺伝子EML4-ALKを一部の肺がんで発見できました(図1,2)。
図1 EML4-ALKの発見から創薬まで |
図2 FISH法で検出されるEML4-ALK融合遺伝子 |
野田 結果として,発見された標的がBCR-ABLと同じような融合遺伝子であったことは驚きでした。
間野 そうですね。CMLの場合,ABLと呼ばれる酵素がBCR遺伝子と融合して活性型になって病気を発症します。それと同様に,EML4-ALKでもALKと呼ばれる酵素が染色体転座の結果EML4遺伝子と融合して活性化されることがわかりました。そこから,EML4-ALKの活性を抑えることができれば,イマチニブと同様極めて優れた治療効果を得られるのではないかと考えました。
大変幸いなことに,その時点で既にALKとMETのチロシンキナーゼ阻害効果が確認されていたクリゾチニブが第I相臨床試験に入っていました。われわれの発見を踏まえ,EML4-ALK陽性の肺がん患者もクリゾチニブの臨床試験に追加登録したところ劇的な治療効果があったのです。その後,EML4-ALK陽性肺がん患者を中心とした臨床試験が開始され,第I,II相試験の結果だけで米国FDA(食品医薬品局)から承認されました。
野田 融合遺伝子が原因となるがんは,血球系の白血病やリンパ腫,間葉系の骨肉腫などでは多いものの,固形がんではほとんどないとかつては言われていました。
間野 確かにそのような印象を持たれていた時期もありました。しかしながら,BCR-ABLでも白血病全体で考えれば変異を持つ患者数は約5%です。またEML4-ALKの陽性者数も非小細胞肺がん全体から見ると4-5%です。ヒト正常細胞の増殖に関係する遺伝子は,さまざまなパートナーと融合することでがんの原因となりますが,それは高頻度ではないもののがん種を超えてある程度の割合で生じていると私は考えています。
野田 今後も融合遺伝子の発見が期待されますね。
間野 はい。2012年2月には,RETと呼ばれるチロシンキナーゼがKIF5B遺伝子と融合してKIF5B-RETとなり極めて強い発がん性を持つことを,がん研究所の竹内賢吾氏らと国立がん研究センターの河野隆志氏らの日本の2グループがほぼ同時に報告しています。KIF5B-RET変異を有する患者を対象にした医師主導臨床試験も,がん研有明病院では既に始まり,国立がん研究センター東病院でも計画されているので,クリゾチニブのような劇的な治療効果が繰り返されることを期待しています。
薬剤耐性に打ち克つための研究も進む
野田 ただ分子標的薬も含め抗がん薬には,使用期間が長引くにつれ,必ず腫瘍に薬剤抵抗性が生じるという問題があります。
間野 確かにクリゾチニブでも,投与を続けると一定期間後に多くの方が再発しました。われわれはその原因を探るため,治療前後,つまり「薬を使う前」と「薬が効かず再発した後」のサンプルを比較するという研究を開始しています。
野田 なるほど。がん再発後に特異的な二次変異を同定できれば,薬剤耐性の原因を明らかにできるわけですね。
間野 ええ。最初にクリゾチニブに耐性を示した日本人患者の肺がんを解析したところ,実際耐性期にだけ生じた変異があり,しかもそれはゲフィチニブに対しEGFR陽性肺がんが耐性変異を獲得する場所やイマチニブに対してBCR-ABL陽性白血病が耐性変異を獲得する場所と,全く同じ領域のアミノ酸二次変異でした。
幸運なことにEML4-ALKの場合,ゲートキーパーと呼ばれるそういった変異があっても有効な薬剤をつくりやすいようで,2012年10月の時点でそのようなALK阻害薬が既に5種類臨床試験に入っています。
野田 再発患者への大きな福音ですね。一方,抗体薬を高機能化することで,耐性を克服するような工夫も行われています。
大津 そのような薬剤の一つとして,T-DM1が臨床の間近まできています。これは,乳がん治療に大きなインパクトを与えたHER2阻害薬トラスツズマブにリンケージを作り,強力な細胞毒性薬DM1(エンタンシン)を抱合させた薬剤で,HER2結合後に細胞内に取り込まれる過程でDM1が放出され抗腫瘍効果を発揮します(図3)。トラスツズマブ抵抗性の乳がんにおける二次治療として既存薬より有意に無増悪生存期間が延びたことから,治療コンセプトとともに大きな注目を集めています。
図3 抗体と細胞毒性物質との抱合薬“T-DM1” |
左:T-DM1は,抗HER2抗体トラスツズマブに強力なトキシンであるDM1(エンタンシン)を抱合した薬剤である。HER2陽性細胞に抗体部分が結合し,細胞質内に取り込まれた後リソソームでの分解でDM1が放出され,微小管の重合を阻害することで高い効果を示す。 |
右:HER2陽性転移性乳がん患者を対象とした比較試験(EMILIA試験)でカペシタビン(cap)+ラパチニブ(Lap)を有意に上回る成績が示され,HER2陽性胃がんでも現在比較試験中である。 |
野田 現代のナノテクノロジーを応用した薬剤というわけですね。DM1を用いた抗体薬の高機能化は,どの薬剤でも可能なのですか。
大津 抗体によって構造が異なるため,複合体の合成が難しいものもあるようです。理論的には構造の問題さえ解決できれば効果があると考えられるため,高度な技術が要求されますが,合成手法の研究が進めばこういった高機能化は広く導入されるようになると思います。
分子標的薬の「併用」という新たな治療戦略
野田 耐性の出現を回避するという考え方では,細胞増殖におけるシグナル伝達系での阻害箇所を垂直もしくは水平方向に増やして併用療法を行う手法にも現在注目が集まっています。
大津 いくつか臨床試験段階にも入ってきていますね。なかでも特に注目されているのはBRAF阻害薬ベムラフェニブを用いた臨床試験だと思います。
野田 BRAFとベムラフェニブについて,まずは教えていただけますか。
間野 BRAFはRas-Raf-MAPK経路と呼ばれるシグナル伝達系(図4)の構成要素であるセリンスレオニンキナーゼで,1992年にその活性型変異が発見されました。この成果はヒトのがんゲノム配列の決定が創薬に直接役立つことを証明した最初の例だと思います。
図4 Ras-Raf-MAPK経路 |
大腸がんと悪性黒色腫でBRAF活性型変異が高頻度に見つかることがわかり,その酵素活性をブロックする薬剤の開発が行われました。そのなかで最初に臨床応用されたのがベムラフェニブです。悪性黒色腫での初期の奏効率が7割以上という目覚ましい治療効果を挙げ,2011年に米国FDAから承認されています。ただ,投与当初の奏効率は高いものの,短期間で耐性が生じることや,果ては悪性黒色腫の治療薬であるにもかかわらず,副作用として皮膚の扁平上皮がんを高頻度に発症することがわかってきました。
野田 そのメカニズムは解明されているのですか。
間野 まだ,完全には明らかになっていないのですが,BRAF阻害薬の副作用で生...
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