医学界新聞

連載

2012.09.03

在宅医療モノ語り

第30話
語り手:スマートな紳士にお供させていただきます 靴べらさん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「靴べら」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


スマートな二人組
在宅医療の現場でも活躍中のスマートなペア。出掛けるときはいつもスマートキーさんと一緒です。両手いっぱいに荷物を持っていても,インテリな彼がいれば大丈夫。出掛けないときは,診療所の玄関の壁に引っ掛けられています。

 足元をみるという言葉がありますが,あまりいい印象ではないですね。「相手の弱点を見つけて付け込むこと」,辞書にもそう書いてあります。その昔,駕籠かきが旅人の足元から疲れ具合を見抜き,それに応じて高い値段を要求していたことが語源なのだとか。なるほど。実際,足元はヒトによく見られています。私自身もヒトの足元に注目しています。いやいや悪い意味ではなく,ですよ。

 申し遅れました,私はある在宅医に仕える靴べらです。主人のキーホルダーとして,ズボンのポケットで待機しています。私の主人も男性ですが,女性に仕える同業者は少なく,私たちはいわゆる“紳士”に仕えるのが普通です。私どもを愛用してくださる方は,かちっとした少しいい靴を履かれる方がほとんどで,身だしなみも身のこなしもスマート。えっ,うちの主人ですか? 一応,スマートな紳士をめざしていると思いますよ。

 主人との付き合いは長くはありません。主人が在宅医になってからです。在宅医療ではヒト様のお宅に上がらせていただくわけですが,訪問診療で何軒ものお宅を回ることがあり,靴の脱ぎ履きは繰り返しになります。私は玄関で靴を履くときに使われる道具ですが,靴の種類によっては必要ありません。ですから,在宅医の全員が使う道具ではなく,往診鞄に入れられることはほとんどありません。どちらかといえば個人に所属する道具です。

 主人がよく言っていました。在宅医療の現場では“足元を見られている”と。診察を終えて帰り際に玄関でドキッ。靴を履くときに気付くのです。やばい。ちゃんと靴が揃えられている。この汚い靴を誰かに揃えてもらってしまった。「誰か」じゃない。この奥さんだ。診察している間に揃えてくださったのだ。玄関から上がるとき,ザッと端は揃えておいたつもりだけど,明らかに丁寧に端が揃っている。汚い靴を触らせてしまったな。臭いは大丈夫だったかな。踵がすり減った靴じゃなかったかな。もっといい靴のほうがよかったな。なんか恥ずかしいな。足元が見られていたことに気が付くと連想が止まらず,「もう少しいい靴を履きたい」ということになります。その“少しいい靴”だと,私のような靴べら一族が役に立つのです。

 往診先で少しいい靴を主人が履こうとすると,その家の奥さんがスッと玄関に常備されている立派な靴べらを出してくださることがあります。お宅によってはサッと出てくるし,「あら,先生ちょっとお待ちになって」とゆっくり下駄箱の奥のほうを探されたり,「あら,ごめんなさい。すぐに靴べらが出ませんわ。どこに入れたのかしら」となったりします。主人のほうも,「大丈夫ですから」としゃがみこみ,焦って踵に指を添えて履いてみたり,かかとをつぶして一旦履き,つま先をトントンしながら履いたりしますが,これではお互いスマートとは言えませんよね。

 このような経験から,主人は私をお供させるようになったのでございます。玄関で立派な靴べら族が差し出されても,主人はきっぱり言ってくれます。「ありがとうございます。でも,持っていますので」。ここでスルッと私が働けば,次の訪問からこの会話と気遣いはなくなります。私の弱点と言えば,携帯性が重視されたために,体格が小柄であること。もし主人が肥満体に戻ればお腹のお肉が邪魔をして,小さな私を使ってスルッと靴を履くのは難しくなるでしょう。体型もスマートな紳士でないと私は使いこなせないのです。

つづく

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