医学界新聞

寄稿

2012.09.03

【特集】

日々是勉強!
“Lifelong Learner”としての
町医者の「心得」


 吾十有五にして学に志し,三十にして立ち,四十にして惑わず,五十にして天命を知る……(『論語』施政篇より)

 年を重ねても,向上心と探究心を持ち続けた孔子は「生涯学習の祖」とも呼ばれます。医師も同じく,日々の臨床に追われる中でも,学びの機会を常に意識し,知識をブラッシュアップし続ける“Lifelong Learner”(生涯学習者)であることが求められます。本特集では,地域住民の健康を一手に担う診療所やクリニックで働く6人の医師が,学習のモチベーションを継続させ,多種多様な訴えに対処できるノウハウを蓄積していく「心得」を紹介します。

福井 謙
亀井 三博
小田倉 弘典
伊藤 伸介
牧瀬 洋一
藤原 靖士


福井 謙(関クリニック(宮城県多賀城市))


心得その壱 “ついでの相談”には「何でもどうぞ」と笑顔で答える

 外来診療ではよく「先生,ついでだから聞くけどね」や「今回のことと全然関係ないんですけど……」といった“ついでの相談”がある。内容は「このイボ,何ですかね?」などさまざまだ。その際,外来が混雑していたり私自身が疲れていたりすると,つい適当な答えを返してその場を流してしまう。しかし,実はこうした“ついでの相談”に笑顔で「何でもどうぞ」と向き合うことが,町医者が学習を継続していくのに必要な態度であると感じている。

 一般に町医者が対応する問題は幅広く,ある特定の領域を学習し続ける専門科と同じ学習法では,いくら時間があっても足りない。また町医者は患者や地域のニーズを把握し対応していかなければならないため,そのニーズに合わせた学習が必要になってくる。

 そこで“ついでの相談”である。これは町医者にとって効率的で患者のニーズをとらえた好都合の学習資源だと言える。

 例えば私のクリニックは宮城県にあるが,東日本大震災での福島第一原発事故後,風邪の子どもを連れてきたお母さんから「ついでに甲状腺も診てほしい」と言われることがある。ここで私は,甲状腺エコーについて学習する機会を得た。

 このような学習法を続けていく入り口として,患者さんがどんな質問でもしやすい雰囲気作りがまず重要だと思う。私は忙しくて疲れているときでも,できるだけ前に向き直って「何でもどうぞ」と笑顔で言うように心がけている。

その弐 心のギアチェンジ

 私は生涯学習が医学的知識を深めるだけのものだとは思っていない。医師のパフォーマンスには,知識,技術だけではなく,性格や人間性,精神的健康なども関与しているという。そういった意味で医師の学習,つまり後の行動変容につながる行為には,いわゆる「医学を学ぶこと」以外にも,家族と過ごす時間,または休日の過ごし方なども含まれていると思う。例えば,地元の祭りに参加することは地域の文化を理解するよい機会になる。

 そのため私が大事にしているのが“心のギアチェンジ”である。在宅の患者さんを看取った日でも,その後地元の祭りがあればギアチェンジをして,普段踊りなんてしないのに輪に加わって踊ったりする。踊ると少し気分が晴れ,明日へのモチベーションがまた高まる。このようなギアチェンジで私は何事に対しても積極的な学習者になることができる。

◆もうひと言

 町医者は面白い。楽しい学びが多い。ちょっとした心がけで,特に学びの計画を立てなくても日々学ぶことに事欠かない。


小田倉 弘典(土橋内科医院・院長(宮城県仙台市))


心得その壱 自らの知識,学習方法さらに学習意欲を批判的吟味する

 現在,開業医は専門医からの転職組が多く,何らかのサブスペシャリティを持つことが多い。私の場合は循環器分野だが,当初この分野では系統的に学習を継続する一方,それ以外の分野では場当たり的にその都度手近なリソースに当たるという感じだった。しかしこの勉強法では根本的にダメなのである。リソースがついメーカーのパンフレット,講演会などバイアスの多いものに偏りやすい,それまで自分が身につけた診療スタイルが独善的かもしれないのに,それを善しとしてしまいアップデートさせるのが難しい等々,からである。こうした陥穽に陥らないために常に自分の今の知識あるいは学習方法がこのままでよいのか,時に俯瞰する姿勢が大切である。

 さらに進んで,自分の学習意欲とそれに相対する怠惰への勧誘をも俯瞰してみるとよい。人間とは元来怠け者である。一方学習せずにはいられない存在でもある。学習意欲は,仕事に役立つ以外に,充実感,他とのつながり,競争心などさまざまな動機に支えられる。他方,怠惰への誘いもさまざまである。自分の中でどの部分が強いのか弱いのか,絵巻物の視点のごとく斜め45度から眺めてみると面白い。学習動機はなるべく多重であるほうが長続きしやすい。

その弐 学習したことを「作品化」する

 上記の陥穽から這い上がる策として,能動的学習がある。UpToDate®で調べる。雑誌,成書を系統的に読む……でもこれは疲れる。続かない。どうするか? 何につけ,持続可能性の鍵は「楽しさ」である。人間,楽しくないと何事も続かない。学習においては得たものを形あるものに作り上げる,「見える」化して作品化することである。私の場合は,日々の診療上の疑問をいろいろ調べたら,それをEvernoteに全部放り込んでいる。ただし記載は自分に対するクリニカルパールと考え,せいぜい1-2行にまとめ,そのソースをコピペする。また自分のサブスペシャリティ分野はブログを日々更新している。このようなことを半年もやると,それなりにかなり膨大な自分にとっての「作品」と化してくる。これらを時に眺めたり訪ねたりするのは本当に「楽しい」。そしてやめられなくなる。

その参 他医師,他職種とつながる

 プライマリ・ケアの現場は,日々complicatedなケースの連続である。このようなケースに対応するのに従来型自己学習ではとうてい対処できない。他の医師,他職種とのディスカッション,情報交換(を大切に思うこと)は必須である。SNSやメーリングリスト,病診連携の勉強会,ケアプラン会議などの参加が鍵である。コミュニケーションに関する問題には,コミュニケーションをもってしか対応はできないのである。


牧瀬 洋一(牧瀬内科クリニック・院長(鹿児島県曽於郡))


心得その壱 日常臨床を「知の探求」の場に

 出身大学・地域の病院勤務経験後,開業17年,ネットを利用し始めて14年ほどである。 英語論文の紹介を主とするブログである「内科開業医のお勉強日記」(旧アドレス)は8年間ほど続けている。同様のメーリングリスト投稿まで含めれば12年以上。語学や学力の難にも臆面なく,ネット上でこういった情報提供を続けてきた。稚拙なレベルながらも,英論文を自ら翻訳し,自分なりに考えることが,私の日課である。

 これまでの医学的仮説や常識を覆す報告や,逆に是認・確認する報告を,コンカレントに入手できる時代に感動し続けている。メタアナリシスやシステマティック・レビューなどで一般の羅列的和文教科書にはないエビデンスや仮説を知る体験は,研究の場から離れている田舎の開業医には得がたいもので,臨床にも直結する糧にもなる。

その弐 他人の考えをそのまま受け入れることは,他人の人生を生きること

 医療・健康も他の分野と同様,誤謬に満ちた情報がメディアや市井にあふれている。意図的誤情報から誰も意図しないデマ,市中に固着する民間伝承的なものまでさまざま。あふれるインチキ情報は,言語的に,直感的に,教条的に影響を人々に与える。人は他人が与える知識だけを受け入れ始めると,いつの間にか無批判にそのドグマまで受け入れてしまう。

 以下は,故スティーブ・ジョブズの言葉の一部だが,この言葉に共感する。

 人生の時間は限られているのです
 だから他人の人生を生きてそれを無駄にしないでください
 ドグマに引っかかってはいけません
 他人の考えに従って生きるということだからです

 他人の知識をそのまんま自らが思考することなく,考えをまとめることなく受け入れてしてしまうことは,他人の“ドグマ”に生きることであり,他人の人生を生きることになる。自ら情報を収集し,自分で思考し,情報発信することは自分自身を生きることだと思う。

その参 怒りを知の探求へ

 「くそ役人」というタグは,私にとって,最大の動機付けだ。現実無視・現場軽視,エビデンス軽視の上,ネコの目のように変わる医療関連施策。欧米の医療施策関連論文・ステートメントと矛盾するわが国の行政や各関連学会や権威者にも,その非合理性に触れるたび怒りがわき上がる。

◆もうひと言

 情報の受け手だけになるな。与えられた情報・ドグマにのみ踊らされるのは,自分の人生を生きてないということ。情報を自ら入手し,情報を整理する力を持とう。


亀井 三博(亀井内科呼吸器科・院長(愛知県名古屋市))


心得その壱 人間ビデオテープになる

診察中の亀井氏。患者さんとの何気ない会話が,難しい症例を解くヒントになる。
 鑑別診断に困ったとき,難しい症例に出会ったとき,不思議と浮かぶのは教科書の活字ではなく,患者さんたちの顔,病歴である。診断の理論では説明のつかないあの瞬間。私にとって最高の教師は日々出会う患者さんたちである。

 私は「人間ビデオテープ」になって,できるだけ詳細に病歴を聞くことを心がけている。診断に直接結びつかない情報も含まれているかもしれないが,病歴を読んだとき,まるで映画のように場面が浮かべば理想である。全く診断が思いつかないこともある。そういうときもできるだけ詳細に記録をとどめておく。そして月日が診断を教えてくれたとき,どれがノイズでどれが鍵となる兆候,病歴であったか初めて明らかになる。既往歴もまた貴重な病歴の宝庫である。“Listen to the patient”である。既に診断がついている病気について症状経過を聴くことで,さまざまな症候の出現頻度,重み付けを学ぶことができる。まさに,「ビデオテープでもう一度」である。

 患者さんたちが持ちかけるさまざまな相談はどんなに些細と思えることでも聴くようにしている。「なぜだろう?」と不思議に思うことで,興味を持って聴くことができる。そして疑問をさまざまな媒体,例えばUpToDate®などで調べる。わからないときはその出来事を記載しておく。もし診たこともない所見があったら,または有名な所見を目の当たりにしたら,デジカメで記録に取っておく。このときはカメラ小僧になるのである。病歴と所見,その積み重ねは100例を真の100例の経験にしてくれる。

その弐 道場主になる

 病歴を収集し,所見を記録していく。しかし町医者の場合,それらが批判の目にさらされることがない。ともすれば独り善がりの症例集になってしまう危険もはらんでいる。それを防ぐのに役立っているのが,若い人たちと学ぶことである。学生実習を引き受け,研修医を受け入れることで,自分の診療にpeer reviewする機会を作ってきた。

 若い人を教育するのではなく共に学ぶ,その発展系が「亀井道場」である。学生たちに集まってもらい,その道のプロの技を診る。道場主として,後ろに控え恥をかくことなく,プロの技を盗んできた。患者さんたちにも協力をお願いし実際のプロの診療をライブで見てきた。町医者はそれらの技を翌日の診療の場面で試すことができる。毎日訪れる数十人の患者さんたち。朝から晩まで自分の病歴聴取,身体診察の技を確認し磨いていける,素晴らしい道を選んだ喜びを噛みしめる瞬間である。

◆もうひと言

 医者は一生勉強しなければならない,と勤務医時代は自分に強いてきた。研修医のころはハリソンを読めという指導医の言葉に従い,ことあるごとに苦行僧のようにハリソンを開いていた。おかげでそのころのハリソンは見る影もなくなっている。

 しかし町医者になって,一生勉強の意味が変わってきた。日々学んだことがすぐに応用できる。そして何より自分の勉強が患者さんの,ご家族の笑顔につながるのが実感できる。医者は一生勉強ができる幸せな仕事であることを皆さんにお伝えしこの稿を終える。


伊藤 伸介(はざま医院・院長(愛知県名古屋市))


 私は呼吸器内科専門医として15年の病院勤務の後,高齢になった父を手伝って開業した。あらかじめ将来の開業を視野に入れ,糖尿病や高血圧など呼吸器疾患以外の疾患についても他科任せにせずできるだけ自分で診療する努力は続けてきたが,各種専門医のいる総合病院では十分といえるほどの経験を積めないまま,ある程度の年限で勤務医を辞する決意をするしかなかった。

 果たして開業後は,専門外の内科疾患はもちろん,小児や,身体症状化して内科を訪れる精神科的疾患なども診ることになった。ところが彼らに近隣の病院専門医受診を勧めても,応じる場合が意外に少ない。せがんでまで専門医を受診するよう説得する労力に比べて,自分で勉強して引き受けるほうが楽に思ったことから,種々の勉強を始めた。

心得その壱 できるところから知識の拡充を

 まず試みたのは,紹介に応じて病院に行ってくれた患者に対し,自分のつけた診断と専門医からの返事を比較することであった。教育的内容に富んだ返事はコピーしてノートに収集した。次に,NHKラジオの健康相談番組を網羅的に録音して聴いた。産婦人科,眼科,泌尿器科,整形外科などの相談は開業医としての底辺知識の拡充にずいぶん貢献してくれた。また解決したい疑問と遭遇した場合,疑問解決ノートを作り不明点の記録を始めた。

その弐 EBMの考え方を体得しよう

 そうこうしているときEBMと出会った。患者の問題を定式化し情報収集と吟味を行い,それをまた患者に適応させていく作業である。幸いなことに地元で,インターネットを利用したテレビ会議方式でのEBMの勉強会が月に一度あることを知り,終了までの約7年間ほぼ欠席することなく参加。約50項目についてevidence basedに問題を解決する作業を体得できた。

その参 “続ける”という努力

 最も一般的な方法ではあるが,地元医師会主催で行われる勉強会もあなどれない。開業して16年,ほぼ毎回,年8回ペースで出席し,出席回数は単純計算で8×16=136回になる。後半の約8年は世話人を仰せつかっているが,各回のテーマが重ならないようにする,内科以外の知識の拡充に努める,協賛メーカーが希望するテーマに牽引されないようにするなど工夫してきた。

 こうしたことを続けてきても,どうしても触れられない分野があることに待ちきれなくなり,数人の開業医に呼びかけ知りたいテーマについて講師(専門医)を招聘し,水平な関係で徹底討論する勉強会を発足した。自らが先導しなくてはいけないため負担が大きく,そのうち自然消滅するだろうと思いながら続けてきたが,13年間,36回続いているのは熱心に参加してくださる仲間のおかげと感謝してやまない。

◆もうひと言

 日々進歩する医学,代わる代わる訪れる新しい問題を抱えた患者,一度覚えたことも曖昧になって忘れてしまう自分。これが現実でありどう考えても完璧に備えて診療を行うことは不可能である。こんな状況に絶望せずに,むしろそれを楽しむスタンスでいたい。どんな患者でもどんとこいと余裕のある体制で医療を提供できる努力を続けることは苦しくもあるが,楽しくもあるのではないだろうか。物知りになれることは楽しいことである。


藤原 靖士(奈良市立月ヶ瀬診療所・所長(奈良県奈良市))


心得その壱 行けたら行くじゃいつまでも行けない

 若手の先生が「その勉強会,当直の都合がついたら行きたい」と言うのに対し,ベテランの先生が「『都合がついたら』じゃいつまでたっても行けない。興味があるなら『都合をつけて』行く,でないと」と返していたのを見た。

 確かに『行けたら行く』程度の興味なら,大して重要ではないのかもしれない。本当に自分にとって興味があるものなら,なんとかやりくりして行く姿勢が必要だろう。その機会を逃したら,その話を聞くことは二度とないかもしれない。

 伊豆半島で勤務した5年間。ちょっとした勉強会でも片道1時間以上かけないと行けなかった。今の私の状況ではその当時よりは参加が容易になった。でも,いつ学びに出かけることが難しい状況になるかもしれないという強迫観念があり,興味ある勉強会を見つけたらできるだけ足を運んでいる。

その弐 とにかく書くことだよ

 飯島克己先生(埼玉県・いいじまクリニック)に「とにかく書くことだよ」と言われていた。「論文を書け」という意味かと思い,荷が重いと感じていたが,そうではないようだ。

 頭に浮かんだことや経験したことを書き留め,考えてまとめる。さらに人に伝えられるように文章にする。この作業で自分の頭の中が整理され,他の人に伝えることもできる。 いわゆる「振り返り」と「言語化」か。

 書き留めたことはメーリングリストやSNS(最近ならfacebookか)などに書き込むこともある。他の人が読む場所に書くと意識することで,日常の診療・生活の中でネタを探すアンテナが立つ。

 日々経験するケースでわからない診断や対応などは,個人情報に留意しながら,メーリングリストなどで相談してみる。投稿しようと文章にまとめるだけで,自分で結論が見えてくることもある。自分なりに解決しても,投稿すると他の人の意見でさらに勉強になることが多い。

その参 家庭医は夜作られる

 前沢政次先生(日本プライマリ・ケア連合学会初代会長)が「プライマリ・ケアのチームワーク作りの『3会の法則』」を提唱している。勉強会・症例検討会・飲み会だ。そのまま生涯学習の「3会」と私は思っている。

 実際に,学会や勉強会後の飲み会で,いろいろな人と知り合えたり楽しかったりするだけでなく,自分が形作られているという実感がある。そこから「家庭医は夜作られる」という言葉を思いついてぶち上げたのは,5年前の家庭医療学会冬期若手医師セミナー,懇親会乾杯の挨拶だった。

 しかし,なぜ,ジェネラリスト・家庭医で「飲み会」の役割が大きいのかはよくわからなかった。

 最近気付いたのは,五十嵐正紘先生(元自治医大教授・地域医療学)の「全体を扱う」という言葉だ。分化していく専門医は,事象から切り分けて自分の扱う範囲についての専門となる。ジェネラリストは,切り分けられて捨てられるもの,通常・既成の枠組みの中にないものも扱うことが多い。学会発表・論文・書籍という形になったものは,できあがるまでの段階でいろいろとそぎ落とされている。

 飲み会での会話の中で,これまで気付かれていなかったりそぎ落とされていたり言語化されなかったことに気付き,それを感じ考えることによって,ジェネラリストとしての成長があるように思う。

 学会やセミナーの後の懇親会に参加しないで帰ってしまう人が多くなったような気がするが,もったいないと思う。枠組みにはまったこと以外の学びの場を失ってはいないか?

◆もうひと言

 私がやっていることが有効なのかわからない。医局にも属さず専門医資格もなく,田舎の医師一人の無床診療所で20年近く仕事しながらこんな感じでもがいている。

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