ワーク・ライフ・バランス(7)(ゴードン・ノエル,大滝純司,松村真司)
連載
2012.01.09
ノエル先生と考える日本の医学教育
【第21回】 ワーク・ライフ・バランス(7)
ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授) 松村真司(松村医院院長) |
(2956号よりつづく)
わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。
本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。
前回までのあらすじ:多様なワーク・ライフ・バランスが可能となるにつれ,医療システムと医師の意識の変化が求められてきている。
大滝 今後,多様な形態で勤務する医師を社会が支えることはさらに重要となるでしょう。一方で,医師が自分や家族の生活を重視する傾向が強くなると,医師という職業自体が尊敬されなくなる恐れがあると感じています。
ノエル 発展を遂げた今日の社会は,良くも悪くも過去とは異なります。約100年前,人類の大多数は農業や牧畜に生涯を捧げていました。搾乳を待つ牛や卵を産む鶏に休みはないため,これらは時刻に関係なく従事が求められる仕事です。また家族もそういった仕事を受け入れていました。
今日,農業分野の従事者は大きく減少し,重工業分野でも多くの労働がロボットに取って代わられてきています! 多くの業界で,労働時間は固定したものへと変わりました。しかし専門職の場合,高度な仕事の質を保つことが期待され,依然,勤務時間終了後の休息にあまり注意が払われていません。米国の専門職の多くは長時間働き,質の高い仕事を行っていますが,それは専門職が自身に対して持つ期待値の表れでもあります。
もう一つ,医学は競争が激しい領域だということも忘れてはなりません。医学部への入学は優秀な学生に限られ,良質な研修プログラムは競争率が高く,フェローシップを得るのはさらに困難です。医師は献身的によく働きますが,患者ケアに完全な答えはなく終わりもありません。だからこそ,医師が熱心に働き,医療が受けやすい環境を構築することが,医師への尊敬の源泉になり続けてきたのです。
米国社会で医師に対する尊敬の念を最も脅かすものは,ワーク・ライフ・バランスよりも一部の医師が診療に対して求める高額の報酬あるいは,無保険者の診察を拒む悪いイメージかもしれません。医師のイメージを悪化させるのは,怠惰よりもむしろ欲深さにあると考えられます。
再び地域に溶け込む医師たち
大滝 ワーク・ライフ・バランスを重視する医師が,多様な形で社会に貢献していくことも,医師が社会の尊敬を集め続ける上で大切だと思います。それぞれの医師の社会貢献を,周囲にアピールしていくことも必要でしょう。
ノエル 1965年以前の米国の医師は,収入面では中流階級で,その献身が故に地域の尊敬を集めていました。労働時間の境界線はあいまいで,真夜中に病院に戻って患者をケアし,ほとんど休まずいつでも病気の子どもを診療し,分娩もこなしたものでした。かつての中小の都市の医師たちは患者の家族をよく知り,医師の子も患者の子と同じ学校に通っていたものです。
1970年以降,メディケアなどの医療保険により医師はより高い給料を得ることが可能となりました。今日,医師は高級な居住地区に住み,子どもを私立の学校に通わせています。地域とかかわりを持たず,地域にいる自分の患者の家族のこともよく知らないかもしれません。ただ,現在のパートタイムで働く28-42歳の若い世代の医師たちを見ていると,むしろ彼らのほうがかつての医師よりも地域に溶け込んでいます。収入は若干少なめですが,子どもたちと多くの時間を共に過ごし,ボランティア行事に参加し,子どもの野球やバスケットボールチームのコーチもしています。地域に知り合いを持ち,地域の活動にも参加できるようになったのは,勤務時間が短くなったからなのです。
高い職業倫理を醸成するには?
松村 多様なキャリアや価値観への対応が迫られていくなかで,患者への尊敬の念や自らを律する態度を医師自身が醸成していくには,これまで以上に努力が必要だと思います。若い医師たちの職業倫理を保つためには,どうすればよいのでしょうか。
ノエル こうした議論は今に始まったことではありません。米国では医学部の入学者選抜試験で,科学への適性のほかさまざまな資質を検討します。志願者の責任感やコミュニケーションスキル,そして志願者が考える医師像などから,その人の倫理感を判断することはある程度可能です。選抜の過程では,志願者を大学で指導した教員や社会人であれば会社の上司,そしてボランティアやスポーツで一緒に活動した人たちからの推薦状も審査します。多くの大学では,志願者1人に対し2人の教員が2時間に及ぶ面接を行っており,中には現役医学生が面接官となる大学もあります。
それでもなお,志願者の欲深さや自己中心性,寛容性の欠如などを見抜くことは実はできていません。入試委員が求める医師の資質はよく知られているので,志願者は自身を完璧な未来の医師候補者に見せることができるのです。医学生から,貧困者へのケアに無感情で,大酒家やヘビースモーカーといった破滅型の患者に対し敵意を持つ同級生がいると聞かされると,私はがっかりします。それでも入試の面接では,心が広く人々への尊敬と献身の心に満ちていると,面接官を思い込ませてしまうのです。
入試の時点で優れた価値観を持つ志願者を見つけることは確かに,適切な倫理観を持つ医師を育てる主要な方法です。しかし医学部入学後,そのような価値観を支え,そして実際に行動として実践させる外部環境をつくるのは,指導医と研修医です。プログラムディレクターとしてのわれわれの仕事は,適切な資質を備えた研修医・指導医を選び,学生全員が基準に達するよう支援することです。
私が思うに,優れた患者ケアを実践できる医学生や研修医を養成するのに最も重要なことは,彼らの面倒をよく見ることです。学生や研修医,そして指導医を人間らしく扱わずに,彼らに豊かな人間性を持てと言うのでは,矛盾があります。
労働の時間数ではなく経験が医師を育てる
松村 これまで日本では,医療職に限らず,多くの人々が滅私奉公,すなわち文字通り私的な部分を犠牲にしても公に対して優先的に働くことを美徳としてきました。時代遅れかもしれませんが,私自身,若い時期に献身的に診療に打ち込むことで学んだことが多々あり,若く体力のある時期にそのような経験をすること自体は,あながち否定すべきではないと思っています。
ノエル 長時間労働がより多くの経験を可能とし,若い医師はそれに耐え得るというのは,確かに試みるべき仮説の一つかもしれません。ただ,新人が仕事に時間を要する理由の一つは,経験が少ないことにあります。彼らはまだ仕事を能率よくできず,文献を頻繁に調べなくてはなりません。オレゴン健康科学大学の研修医も,研修開始当初はとても大変だと言います。多くの患者を診察し,入院時記録や入院後の経過記録,退院時要約や検査や処置の指示といった研修医に求められるタスクは,3年目くらいになると容易に感じられるようですが,それは経験を通じ学んでいるからです。
ジェネラリスト志望の医師では,仕事に慣れるのにレジデンシー修了後3年を要すると言われています。米国では医学部3-4年次から診療業務に深くかかわり始めますが,そこから研修の最終段階であるフェローシップまでを考えると,一人の医師が能率よく診療するスキルを身につけるには8年程度かかることになります。
米国では多くの学生が23-24歳で医学を学び始めますが,30代や場合によっては40代になって医学部に入学する人もいます。そうした人々でも多くは自分より若い学生と同じ厳しい訓練に耐えることができます。どの世代であろうと,学生は研修で求められる資質や厳しさをよく理解し,肉体的も精神的にも消耗の激しい生活を何とかこなすことができています。
松村 東日本大震災後,困難に遭遇しても秩序だって忍耐強く行動する日本人を,世界中の人々が賞賛しました。医療職も不眠不休で活動を続けていました。このような高い職業意識は,結果として得られた態度なのか,それとも私たち日本人の特性かはわかりません。ただ,多様なワーク・ライフ・バランスを実現したなかでも高い職業倫理を醸成し続けるには,医師の選抜方法,卒前・卒後の臨床教育,生涯教育のすべてを時代に適した形で進化させていかなくてはならないのですね。
*
ノエル この項の最後に,付け加えたいことがあります。私はパートタイムは"楽"と読者に誤解を与えたかもしれません。しかし調査では,出産後もフルタイムやパートタイムで働く女性はとてもよく仕事をこなし,仕事と家事以外に費やせる時間はほとんど残りません。日本の女性医師や医師同士の夫婦がパートタイムで働く場合も,担当する患者のニーズにも,自分たちの子のニーズにも毎日同時に対応に迫られる状況に直面するでしょう。
AAMC(米国医科大学協会)が最近行った,パートタイムの医学部女性教員への調査によると,残業をする人や,不平等と感じる人がいることが明らかになりました。世代交代につれ一見解消したかと思われていたこうした問題は,現在も残っているのです。ワーク・ライフ・バランスを今後も着実に浸透させていくためには,女性教員が自分たちの経験を共有し,変化を訴え続ける必要があることを忘れてはなりません。変化には困難がつきものなのです!
(この項終わり)
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