米国民が必要とする「未開地」医療(李啓充)
連載
2011.09.19
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第206回
米国民が必要とする「未開地」医療
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2943号よりつづく)
松井秀喜が所属するアスレチックスのホーム球場,オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムが大規模診療所に変身したのは,2011年4月9-12日のことだった。アスレチックスがミネソタ,シカゴに遠征して留守にしている間,球場の屋内スペースを利用して無保険者・低保険者(underinsured)を対象とする無料診療所が開設されたのである。
NPOの「遠征」による無料診療所開設
野球場を診療所に変身させたのはNPOの「Remote Area Medical(未開地医療)」(以下,RAM)。長年ジャングルで暮らした経験を持ち,人気テレビ番組「Wild Kingdom(野生の王国)」の制作・進行役を務めたこともある英国人,スタン・ブロック(75歳)が,1985年に,「未開地」に医療を提供することを目的として設立した組織である(註1)。しかし,皮肉なことに,最近は,米国外の未開地に医療を提供する活動よりも,米国内の無保険者・低保険者に医療を提供することが活動の主眼となっている。
RAMは,創設時以来の伝統に基づいて,米国内における診療所開設活動も,「遠征(expedition)」と呼んでいるが,2011年度に予定されている21回の遠征のうち,米国外はわずか3回にすぎない。以下,今年,オークランドの次に行われたテネシー州クリントン市での「第641次遠征」を例にとってその活動内容を数字で見てみよう。
*開催期間……4月30日(土)・5月1日(日)の2日間
*提供サービス……歯科,検眼(眼鏡作製),医療の3種
*サービス提供者……14州から参集したボランティア446人
*診療患者数……859人(内訳は,歯科503人,検眼・眼鏡作製357人,医療120人。複数のサービスを受けた患者もいたので,合計は患者総数を上回る)
「遠征」が週末に行われるのは,患者へのサービス提供をボランティアに頼っているため。文字通り「手弁当」(註2)で参加するボランティアが,職場で「休暇」を取らずに済むよう配慮しなければならないのである。また,ボランティアは14州からの参加となっているが,米国では,医師・歯科医師等の免許は原則として発行州でしか通用しない。他州の免許で診療するためには通常「届け出」が必要なのであるが,第641次遠征が行われたテネシー州はRAMの本部が置かれている「地元」。同州では,他州の免許を持つ医療者が届け出なしでボランティア活動ができるようRAMが運動して州法を改正,医療ボランティアを集めやすい状況が整えられていることもあって,毎年,遠征数が一番多い州となっている(例えば,2011年の場合,21回の遠征中7回がテネシー州)。
千載一遇の機会に患者が殺到
以上,サービス提供側の視点から遠征活動を紹介したが,医療を受ける側にとっても,遠征に参加するのは容易ではない。「歯科医にかかるお金がないから虫歯が痛むのを何年も我慢し続けてきた」とか,「癌の手術を数年前に受けたけれど,その後失業して無保険となったため,フォローアップしていない」とか,医療にアクセスしなければならない理由はさまざまであるが,「お金がなくても医療にアクセスできる」千載一遇の機会を逃すまいと,必死の思いで駆け付ける患者がほとんどなのである。何百マイルも離れた土地から車を運転してくる患者はまれではないし,車がないので何十マイルも徒歩でやって来るという患者もいる(アルベルト・シュバイツァーがアフリカの奥地で診療した時代と変わらない状況が,今日の米国に現出しているのである)。
また,診療を受けられるかどうかは「先着順」で決まるため,整理券の発行が始まる真夜中には,ゲートに長い行列ができているのが普通である。しかも,運良く小さい番号の整理券を手にしたとしても,番号順に患者が受付に呼ばれるのは通常午前5時から。「車中泊」で,受付に呼ばれるのをじっと待たなければならないのである。さらに,整理券を持っていたとしても診療を受けられることが保証されているわけではなく,その日の受け入れキャパシティを超えた時点で「門前払い」されてしまう。
RAMのデータによると,創設以来2010年終了までに無料サービスを提供した患者の総数は約2万3000人だが,これほどの実績を挙げることができたのは,創設者ブロックの人柄と頑張りによるところが大きい。例えば,RAMは,テネシー州ノックスビル市にある廃校を「年1ドル」の家賃で州から借り,本部建物として使用しているのだが,ブロックはこの廃校に住み着き,RAMの活動に打ち込んでいる。しかも,慈善団体役員が高額の収入を得るケースが多い米国にあって,彼の収入は正真正銘の「ゼロ」。ブロックにとっては,「虫歯が治ったので,数年ぶりで固形物が食べられるようになった」とか,「新しい眼鏡をつくってもらったのでよく見えるようになった」とか,患者が心底喜ぶ顔を見ることがかけがえのない「報償」なのである。反対に,一番つらいのは,遠征の際,最後の患者を呼び入れる瞬間だという。それより大きい番号の整理券を持つ患者たちに,「あなた方を診ることはできません」と告げなければならないからである。
(つづく)
註1:本来の設立目的に鑑み,「Remote Area Medical」に,「へき地医療」ではなく「未開地医療」の訳語を当てた。
註2:診療活動に対する報酬が支払われないのはもちろんだが,旅費・宿泊費・食費等もすべてボランティアの自己負担。
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