災害医療と医学教育(後編)(ゴードン・ノエル,大滝純司,松村真司)
連載
2011.07.11
ノエル先生と考える日本の医学教育
【第16回】 災害医療と医学教育(後編)
ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授) 松村真司(松村医院院長) |
(2932号よりつづく)
わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。
本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。
教育の質を維持する災害時の選択
松村 東日本大震災では,地震・津波災害や原子力発電所事故のため,一部の教育病院や大学では新規の研修医採用や医学生の教育に困難が生じたようです。
米国では,2005年のハリケーン・カトリーナ被害の際に,二つの医学校(チュレーン大学とルイジアナ州立大学)が長期にわたって閉鎖になったと伺いました。その間,在籍していた医学生や研修医はどうしたのですか?
ノエル 強風と洪水の被害を直接受け閉鎖されたルイジアナ州ニューオリンズにあるチュレーン大学医学部を例にお話ししましょう。被災当初,学生は自宅に帰るか安全な場所に避難するよう促される一方,同大の医学部長は全米125の医学校に支援を呼びかけました。そして多くの医学校が,避難する必要がなくなるまで学生を受け入れると表明しました。
数か月後,チュレーン大学は学生と主な教員をテキサス州ヒューストンのベイラー大学に移動させることにしました。1-2年生はベイラー大学の教育施設,3-4年生はヒューストン市内の病院で臨床実習を行いました。こうして同大は学生たちを一つにまとめるよう努め,学生たちに他の医学校に移籍することを思いとどまらせました(実際には移籍してしまった学生も何人かいたようです)。ニューオリンズで講義と実習が再開されたのは,被害の約1年後の2006年秋のことです。
松村 なるほど,多くの支援を得て教育を継続することができたのですね。
私はこれは医師としてのプロフェッショナリズム教育にも関連する問題だと思っています。私たち指導医には,医学教育の質を一定の水準に保つ義務があり,さらに学習者の安全も確保しなければなりません。私は今回,研修医や医学生が被災地で被災者の診療に従事すべきなのか,という点に疑問を感じました。ただでさえ医療スキルの修得に忙しい研修医や医学生が,通常の研修や講義を「特別に」中断して,被災地支援に向かうことに関して利点はあるのか,先生のお考えをお聞かせください。
ノエル その問いに対する答えは複雑です。なぜならボランティアに参加するかしないかを選択する場合,その根拠となり得る事象はあまりにも多くあるからです。例えば,若い女性であれば放射能汚染地域の付近で仕事を行うのは危険です。しかも今回の場合,その危険度は地震発生から約1か月にわたって正確に判断できませんでした。
学生は教育への対価を支払っており,大学は彼らの受けるべき教育を施す義務を負っています。研修医は給与を得ていますが,米国では研修中の身分である医師や学生が危険にさらされるような選択は一般的に採りません(註1)。では,どう支援を行うかというと,集めた医師のなかから公平なプロセスによって選ぶか,あるいは行きたい人にボランティアで行くことを許可するか,のどちらかとなります。
医師の卵として訓練を受け始めた学生たちは,医師の義務と責任を理解し始めたばかりの時期にあります。責任や任務を与えられることは,彼らにとっては願ってもないことかもしれません。しかし,研修医やスタッフにどのような事態が降り掛かるのか,病院や大学として判断しかねるような異例の状況下では,どうしても混乱が起きるでしょう。このようなときにこそ,最初にボランティアを選ぶ際の基準や求められるものを明示し,専門職としては新米の医学生や研修医の個々の事情を踏まえて,強制するのではなくある程度柔軟に対応することが,医療関係の組織やそのような事態に関与している医療施設を率いる立場の人々に求められることだと思います。
被災地支援に赴く医師の業務をカバーするには?
大滝 今回,私たちは現地に派遣される医療スタッフの業務をどのように補うか,という問題にも直面しました。どの医療機関でも,普段から厳しいスケジュールで業務をやりくりしているのが実際です。米国では,被災地支援に赴く研修医や指導医のために,彼らが抜けた部分をカバーするシステムはあるのでしょうか。
ノエル 厳密に言えば,私たち米国の医療者はまだそのような状況に遭遇したことがありません。多くの医師が国際医療支援組織に属し,いつでも呼び出される可能性があります。しかし,通常はボランティアとして登録されている人数が必要な人数より多いので,自分の通常業務を交代できなかった場合には参加を見合わせ,休暇の取れるときや業務を交代できるときまで待つ場合が多いのです(註2)。
オレゴン州には日本の医学部を卒業してオレゴン健康科学大学で研修した医師が4-5人おり,彼らは今回の震災の発生直後から,日本に医療支援に行っていました。彼らは仕事をカバーする代理の医師を立てたり,あるいは有給休暇を利用したりしました(米国の医師の多くは,最大1か月間の有給休暇が取得可能です)。
大滝 医療チームを被災地に派遣する場合,地域ごとのニーズを把握し,調整することも極めて重要だと思います。ニーズ調整のためのシステムやネットワークがあれば教えてください。
ノエル 医療支援ボランティアに赴く医師の多くは,前述した支援組織によって選出されます。災害が発生すると,支援組織がどんなスキルを備えた医療者が被災地で必要とされているかを見極めます。
ニーズはその後も繰り返し見直されます。例えばインドネシアの津波の際,当初選ばれた医師は,外科,整形外科,家庭医療(米国では外科の訓練も受ける),救急,感染症の専門家でしたが,数週間後,骨折や外傷から急性・慢性疾患に治療の中心が移るにつれ,今度は総合診療医の需要が高まりました。
再建,そして復興のために
大滝 今回の震災では,東北地方は医療システムだけでなく医学教育の面でも大きな打撃を受けました。ただ災害時における医療支援や医学教育の在り方については,東北地方だけではなく,世界の医学教育において課題がまだまだあるのだと思います。私たちはこれらの課題について考え続けながら,医学教育を再建していかなければなりません。
ノエル もちろん,私は現在の日本の状況については限られたことしか知りません。しかし地震,津波,ハリケーン,そして今回の原発事故などのような不幸な出来事は今後も世界中で起こるでしょう。私たちが次になすべきことは,日本で行われた初期の対応について精査し,どのようにすればもっとよかったのかを深く分析することです。
災害で負傷した人や,避難したすべての人の情報を集約してリストを作り,どんなケアを受けどんな健康問題が発生したかを調べ,診断できなかった感染症や,不十分な妊産婦ケアによって発生した周産期死亡などの問題が,どのように起きたのかを十分に調査すべきだと思います。
今回話題に上った災害時の「専門職としての責務(professional responsibility)」の議論も起こるでしょう。また,専門職の団体は,被災地の医療の復興とともに将来の災害に備えた計画を始める必要もあるでしょう。そこでは,日本でも海外でもプライマリ・ケアに関連する団体が重要な役割を果たすと思います。日本医師会や日本プライマリ・ケア連合学会などの専門職団体は,災害への準備を計画する組織をつくり,その対策を政府に働きかけていくべきだと私は思います。
(この項おわり)
註1:米国の研修医採用時における契約期間は原則1年間で,研修医と研修病院は1年ごとに雇用条件や研修内容について明記された契約書に署名する。これは法的契約であり,研修医がその契約を守らなくてよい“正当な理由”には,「病院が義務を果たさなかった場合」「研修医が身体的・精神的健康を害して義務を果たせなくなった場合」などが存在するが,それらに該当しなければ,「専門職の責務」として勤務を続行する義務を負う。
このような契約下での勤務となるため,もし地震による建物の被害や放射線被ばくの可能性によって研修病院の環境が危険になっていれば,研修医は研修病院が安全な労働環境を提供していない,と訴えることも可能となっている。また,被災地で医療を提供するために研修医が派遣されることは,病院と研修医の間で事前に合意した研修内容とは異なるとして争うこともできる。
米国は多くの側面で日本より「法令優先社会」であり,研修病院はACGME(卒後医学教育認可評議会)に認証された研修プログラムを,そのまますべての研修医に対して提供する義務を果たさなければならない。
註2:被災地支援を対象としたものではないが,米国の臨床研修には研修医自身が病気になったり,家族に不幸があったりした際に研修医が互いにカバーし合う,「Jeopardy program」というバックアップシステムが存在するので,ここで解説する。
このプログラムでは,インターンとレジデントが常時3人ずつ「Jeopardy」という枠に配属され,「第1のJeopardy」を担当しているインターンとレジデントは,プログラムから呼び出される以外には,通常,診療義務はない。期間は1週間で,病棟業務に従事していない診療所あるいはコンサルトのローテーション時に割り当てられる。このほか,「第2,第3のJeopardy」としてインターンとレジデントが2人ずつ指名される。彼らも診療所あるいはコンサルトをローテーション時に担当するが,Jeopardyとして呼び出されなければ,ローテーション先で学習し診療に携わる。
各インターン・レジデントは,1年に1-2回このJeopardyに割り当てられる。ただし,Jeopardyにカバーしてもらえるのは,ICU/CCUや病棟業務など当直や緊急呼び出しのあるローテ-ションに限られ,診療所やコンサルトをローテーション中にはJeopardyで補充されることはない。
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