医学界新聞

連載

2011.06.20

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第200回

アウトブレイク(14)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2931号よりつづく

前回のあらすじ:下院・政府改革委員会委員長ダン・バートンは,「各種ワクチンに含まれる水銀系保存剤チメロサールが自閉症の原因」と信じ,その使用禁止を求めて公聴会を開催した。


 米国において,「チメロサールが自閉症の原因」とする説が唱えられるようになったのはそれほど古いことではなく,1999年のことである。その後,これまで多くの研究によって「チメロサール犯人説」は否定されてきたのであるが,いまだに,「(チメロサールも含めて)予防接種が何らかの形で自閉症の発症に関与している」と信じる米国人は多く,子どもに予防接種を受けさせない理由の一つとなっている。予防接種に対する信頼が損なわれるようになったのはなぜなのか? 以下,チメロサールが自閉症と結び付けられるに至った経緯を振り返ってみよう。

エチル水銀とメチル水銀

 そもそも,チメロサール(=エチル水銀チオサリチル酸ナトリウム)は,抗菌薬が登場する前の時代に「感染症治療薬」として開発された薬剤だった。臨床試験の結果,感染症治療薬としての有用性は否定されたものの,諸種医薬品に「保存剤」として加えると細菌汚染を効率よく防ぐことができる(註1)ことがわかり,1930年代以降,ワクチンや抗血清などの生物製剤に添加されるようになったのだった。しかし,使われ始めたのは許認可体制が厳格でなかった時代であったこともあり,毒性(特に神経毒性)について詳細に検討されたことはなかった。

 一方,有機水銀の毒性についての知見が集積されるようになったのは1960年代以降のことである。特に,水俣病の惨状が,フォトジャーナリスト,W・ユージーン・スミスらによって米国に紹介されたことでその「恐ろしさ」が知れ渡り,食品医薬局(FDA)や環境保護局(EPA)がメチル水銀の摂取許容量を設定するようになったのだった。

 「安全」との了解の下に,漫然と使用されてきたチメロサールの安全性が再評価されるきっかけとなったのは,1997年の「FDA近代化法」制定だった。選挙区で水銀の環境汚染問題を抱えていたニュージャージー州選出下院議員が,同法に「水銀を含む医薬・食品についての安全性評価を2年以内に行うことをFDAに義務付ける」条文を書き加えたのである。

 かくしてFDAは安全性検討を義務付けられることになったのだが,水俣病の原因となったメチル水銀と違って,チメロサールは同じ有機水銀とはいっても,「エチル水銀」化合物であった。安全性について検討しようにも,エチル水銀についての毒性データは乏しく,摂取許容量についての基準も存在しなかった。そこで,仕方なくメチル水銀の許容量を「参考」としたのだが,生後6か月までの間に乳児が予防接種を通じて暴露されるエチル水銀の量(最大187.5マイクログラム)は,「EPAが定めたメチル水銀の許容量を上回る」ことが判明した。

「安全」に重きを置いた慎重策が裏目に

 体内に蓄積されやすいメチル水銀と違って,速やかに排泄されるエチル水銀に同じ許容量を当てはめることに問題があったのは言うまでもないが,FDAとしては,「安全と証明するデータがない」以上,安全性についての結論を出すことは容易ではなかった。そこで,米小児科学会(AAP)および疾病管理予防センター(CDC)に対し,チメロサールの安全性についての判断を仰いだのだが,データがないところでの判断を求められた両団体は,「安全」に重きを置き,慎重策を採ることを優先した。1999年7月,製薬企業に対し「ワクチンからのチメロサール排除」を勧告する共同声明を発表したのである。

 一方,通常自閉症の症状が明らかになる「1-2歳」という時期は頻回に予防接種を受けなければならない時期と一致することもあり,自閉症児を持つ親の間には,「正常に発育していたわが子が自閉症となったのは予防接種のせいではないか?」とする素朴な疑念がもともと根強く存在していた。しかも,1998年に「MMRワクチンが自閉症の原因である」と示唆する論文が英国で発表されたこともあって,当時,「予防接種が自閉症の原因」とする説は特に強い関心を集めていた(註2)。

 AAPとCDCが「チメロサール排除」を勧告する共同声明を出したのは,「万が一」を考えた上で安全性に重きを置くことを優先したからだったのだが,自閉症児の親の多くは,「自分たちが疑っていたとおり,予防接種には危険な物質が含まれていたことを両団体が認めた」と,受け止めた。「安全性に対する信頼を損ないたくない」とする意図で出された共同声明が,逆に「信頼を大きく損なう」結果をもたらしたのだった。

この項つづく

註1:予防接種の草創期,多人数用バイアルが細菌に汚染されたせいで,接種を受けた子どもが感染死する事故が後を絶たなかった。チメロサールは,細菌汚染を効率よく防ぐ効果があった上,ワクチンの効力を阻害しなかったので,格好の「保存剤」となった。
註2:前回,下院・政府改革委員会委員長バートンが,その地位を利用する形で自閉症関連の公聴会を開催したエピソードを紹介したが,彼は,チメロサールの問題が起こる前は,「MMRワクチンと自閉症の関連」を追及していた。

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