医学界新聞

連載

2011.05.16

ノエル先生と考える日本の医学教育

【第14回】 ワーク・ライフ・バランス(2)

ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授)
松村真司(松村医院院長)

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2923号よりつづく

 わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。

 本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。


 前回のあらすじ:これまで医師の労働環境が議論に上ることが,ほとんどなかった日本。研修医がまさに病院住み込みの「レジデント」として長時間働き続けていたかつての労働環境を,大滝氏,松村氏が自身の経験から振り返った。

ノエル 日本では2004年から新臨床研修制度が開始されましたが,新制度下での医師の働き方についてお聞きします。研修医は現在でも病院や診療所で極力長い時間を過ごしているのでしょうか,あるいは,医業以外に時間を使うことが奨励されているのでしょうか。

現在の研修医の労働環境は?

松村 新臨床研修制度では研修中のアルバイトは禁止され,研修に専念できる賃金が支給されるようになったと聞いています。新制度の功罪には議論がありますが,この一点は評価できると私は思います。ただ,今でも患者さんが急変したり,状態が悪くなったりすると,若手医師は主治医として夜遅くまで働くのが普通です。また,当直の翌日が休日となる施設は少数派で,他の職種では行われている作業時間管理も,以前とあまり変わらずほとんど行われていないのではないでしょうか。

大滝 2007年5月14日付の朝日新聞によれば,研修医の時間外労働は1か月当たり平均73.3時間で,40.5%では月80時間を超過していたそうです。私が研修医だったころと比べると労働時間は減ったのかもしれませんが,一般的な基準からみればまだまだ多い数字だと思います。医師の中でも研修医は自己学習する時間が多いので,それらをどこまで労働時間とみなすのか線引きが難しい面もあります。

ノエル どこまでが労働時間か,すなわち診療以外の時間に研修医がどう過ごしているかを知ることは困難です。

 それでもやはり,規制が可能なのは研修医が病院で過ごす時間のみです。米国では,研修医の労働時間には「週平均80時間以内かつ連続勤務24時間以内,週1回は24時間以上の連続した休暇をとること」などの規制が研修病院に課され,この制限を超過する研修プログラムは研修を管理しているACGME(卒後医学教育認可評議会)によって閉鎖に追い込まれます。しかし,研修医が自宅で過ごす間に何をしているかは問いません。運動をするのか,楽器を演奏するのか,あるいは医学書を読むのか。その部分に関しては彼ら次第です。

男女とも,労働への意識が変化してきた

松村 初期研修修了後は,選んだ進路(診療科)によって労働環境に大きな差があります。以前の「女性医師の問題」でも話題になりましたが,やはり生活を犠牲にする傾向が多い診療科を,女性医師はやむを得ず敬遠しているように思います。また最近の若い人は,性別にかかわらず自分のライフスタイルを重視する人が増えてきている印象を受けます。

ノエル その点は欧米も同じです。というのは,性別による"差"を作ることは認められないため,男女でスケジュールを変えることはできないからです。夫婦の労働時間が等しい場合,妻は夫にも子どもの面倒を見ることを要求します。それは私の世代ではまれなことでしたが,現在ではどこでも見られることです。米国では7割近い女性が仕事を持っていますから,医療の分野に限らずどの職業でも家事育児の分担を夫婦で行っています。ここまでくるのに長時間を要しましたが,米国では男女とも仕事と家庭のバランスのとれた生活を求めるよう意識が変わったのです。

松村 日本でも,"ワーク・ライフ・バランス"という考え方が話題になってきています。政府は2007年に仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章を作成し,取り組みを開始しました。また以前に比べると,過重労働と健康の関連への一般社会の関心も高くなっています。過重労働でメンタルヘルスを害する人が多いため,バランスをとった生き方は性別・年齢にかかわらず重要という社会的コンセンサスが得られ始めています。

大滝 研修医のストレスとその影響については,筑波大の前野哲博先生らのグループが2004年度に行った調査研究(註1)が参考になります。研修開始時と2か月後の研修医の様子を比較したところ,4人に1人が新たに抑うつ状態になっていたそうです。抑うつ状態になった群はそれ以外と比較して,質的および量的な負担感や対人関係の困難が多くみられました。研修医のストレス予防のためにもバランスのとれた生活は重要になるでしょう。

"ワーク・ライフ・バランス"への道

松村 ノエル先生,米国でのワーク・ライフ・バランスはどのように話題になってきたのでしょうか。

ノエル 米国では「女性」が変化の先駆けでした。つまり,女性にも男性と同等に教育の機会を与えることが法制化され,医師不足をきっかけに医学部定員を8000人から1万6000人に倍増させる必要が生じたことが変化を起こし,仕事と家庭のバランスを考えるようになっていきました。

 かつて医学部と研修制度を支配していた男性医師は,変化に対応することには消極的でした。しかし,入学資格のある女子学生を男子学生と同様に受け入れることが大学に要求されるようになった結果,女子学生の人数は大きく増加しました。そして次第に,医師という専門職でも女性が家庭を持つことを認めざるを得なくなり,「女性も男性と同じ労働時間勤務するのは当然」という見方は変わっていったのです。変化のきっかけとなる公民権法改正から約40年経った今では,米国ではこのような見方すらなくなりました。研修医の勤務時間数にしても,その後の医師としての診療や教育に従事する時間数にしても,男女の別なく同等です。医学の道に女性が多く進むようになったことによりもたらされた変化の恩恵を,男性も受けているのです。

新しい医師像を求めて

松村 ただ,自分にとっては若いときに一生懸命研修をしたことが今の臨床能力の基礎を形作ったり,自信につながっていたりする側面があります。その点で医師は,一概に他の業種と同様に考えることができないのではないでしょうか。

 私は,臨床経験をある時期集中的に積むことも必要なことではないかと思います。一方,臨床にかかわる医師を増やすためには,多様な働き方を認めていくことも大事です。このジレンマをどのように克服していけばよいか,悩むところです。

大滝 日本では,理想とされている医師像の一つに「赤ひげ」があります。「赤ひげ」というあだ名を持つ医師が主人公になっている時代小説に由来し,恵まれない人たちを相手に困難の多い環境で苦労に耐えながら,献身的に診療を行う市井の医師を意味しています。このような理想の医師像が,医師への信頼や尊敬の基礎になり,診療に対する満足や納得につながっていると感じることがあります。そのような医師像がある中で,ワーク・ライフ・バランスを考えるというのも,今の医学教育に生じているジレンマの一つなのでしょう。

ノエル 私も学生や研修医のころは,常に病院にいてめったに休暇をとらず,芝居を見に行くこともなく,患者の治療に身を捧げる医師に憧れを抱いたものです。そうした医師は当時の私たち若手の手本であり,自分の家族や友人を診てほしいと願うような医師たちでした。

 しかし,いざ医師の仕事を始めてみると,私は表面的な見方しかできていなかったことに気付きました。かつての男性医師(と少数の女性医師)とその家族が払ってきた代償を,私はわかっていなかったのです。"ヒーロー"のように思えた彼らは,わが子のことをよく理解していないことがしばしばで,多くが自分の配偶者と疎遠になっていました。世間一般の人々の生き方や,世の中の動きもあまりよく知らない人々が多かったのです。孤独な医師もたくさんいました。友人と交流する時間もわずかだったのです。

 いま,われわれ米国の医師はもっとバランスのとれた生き方を選ぶ医師を評価します。幅広い社会経験をし,一市民として医療以外の面でも地域社会を形成する一助になろうとする,そして人々の暮らしや地域の学校の改善に進んで取り組むような,そんな医師です。診療現場の医師たちには,論文執筆や研究を奨励すると同時に,自分の子どもの成長と幸福にもかかわっていくように勧めます。世の中は,私が医学部に進学した約45年前とは大きく変わっているのです。

松村 そうですね。これからの社会で理想とされる医師の在り方については,私たちだけではなく,社会の多くの人たちと対話をしながら合意を得ていかなければならないと強く感じます。

つづく

註)前野哲博,他.新臨床研修制度における研修医のストレス.医学教育.2008;39(3):175-82.

※次回は,緊急シリーズ「災害医療と医学教育」を予定しています。シリーズ「ワーク・ライフ・バランス」は,その後に再開します。

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