医学界新聞

連載

2011.05.09

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第197回

アウトブレイク(12)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2926号よりつづく

 前回までのあらすじ:1955年,ジョーナス・ソークの不活化ポリオワクチンは米国民に歓呼をもって迎えられたが,一部の製剤で不活化が不完全であったため,ワクチン禍を引き起こした。


時代により変遷するポリオワクチンの意義

 ソークの不活化ポリオワクチン(IPV)実用化に対して,アルバート・セイビンらが「生」ウイルスが残存する危険性を警告したことは以前にも述べた通りである。果たして,カッター社製剤に「生」ウイルスが残存,セイビンの警告した通りの事態が出来したのだが,彼の警告が純粋に科学的見地から行われたものであったかどうかについては「議論の余地」があるところである。というのも,「弱毒生ワクチン」の開発に大きくかかわっていたセイビンは,ソークに対して非常に激しい「ライバル」意識を抱いていたと言われているからである。

 しかも,米国におけるポリオ研究の最大スポンサー「マーチ・オブ・ダイムズ」は,すでにソークのIPVを「成功」させた後だっただけに,セイビンの経口ポリオ生ワクチン(OPV)について大規模臨床試験を実施することには消極的だった。セイビンにとって,自分が開発したワクチンを実用化するためには,小規模な臨床試験を細々と積み重ねる以外になかったのである。

 そんなとき,セイビンにとって「渡りに船」となったのが,ソビエト連邦(当時)の存在だった。セイビンはロシア領時代のポーランド生まれとあってロシア語が達者だったこともあり,ソ連の学者との親交があつかったのだが,社会主義圏の盟主たるソ連がOPVに強い関心を示したのである。かくして1956年,ソ連でOPVの大規模臨床試験が始められた。「大規模」の名に恥じず,治験に参加した児童・生徒の数は,わずか3年の間になんと1500万人(!)に達した。

 果たして,セイビンのOPVは劇的なポリオ感染防止効果を示した。経口で投与された生ウイルスが腸管で増殖,便に排泄された後,接種を受けていない周囲の人々にも「感染」して予防能を付与したため,集団を対象としたときその感染防止効果はとりわけ効率が高かった。それだけでなく,IPVと比べたときその製造コストは著しく安価であった上,投与も簡単とあって,財力の乏しい国でも国を挙げての集団接種が容易に実施できるという利点があった。しかも,ソ連が政治的プロパガンダを兼ねてセイビン株を諸外国に提供したため,OPVは60年代初めまでに急速に世界中に普及した。

 一方,当初マーチ・オブ・ダイムズが消極的だったこともあって米国ではOPVの導入が遅れた。しかし,1961年米国医師会が「OPVを導入すべし」とする声明を発表したこともあり,同年,遅ればせながら認可され,以後,IPVに代わってポリオワクチンの主流となったのだった。

 かくして50年代半ばまで「最も恐れられた疾患」であったポリオは,ソークやセイビンらの努力が実って根絶可能な疾患となり,例えば,米国において野生株による麻痺例が根絶されたのは1979年であった。以後,米国は,「毎年6-8例発生する...

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