医学界新聞

寄稿

2011.04.25

寄稿

方言をめぐる医療コミュニケーションの在り方

今村かほる(弘前学院大学文学部准教授)


 日本語は地域差の大きい言語であり,各地に方言が存在する。これまでわれわれは,方言は他の土地の人には通じない不便なものだから,全国どこでも通じる「共通語」(標準語としていた時期もある)を身につけ,必要なときには使えるように教育されてきた。

 このような教育に加え,昨今では超高齢化・核家族化などの社会変化により,各地の方言は大きく変容している。若い世代に方言が通じない,同じ地域に住んでいても高齢者の話す方言がわからないという状況が生まれ,一方で,公的な場面や教育・医療・介護などの現場では,共通語を使用することが「相手を尊重することである」と信じられるようになった。

 だが,共通語は万能ではない。多くの人々に用いられるがゆえの,細かいニュアンスを欠き,迂遠な言い方しかできないという欠点が見落とされているように思われる。

 例えば,津軽方言では,痛みを指す単語が複数ある。「イデ」はぶつけたときのような一過性の痛み,「ヤム」は持続痛,「ニヤニヤス」は腹部の鈍痛といった違いによってこれらの言葉は使い分けられており,津軽出身の医師であれば,「イデノガ ヤムノガ ドッチダ?」と聞く。

 このように,方言のなかには医療現場において大事な判断材料ともなり得ることばもあるのだが,方言のわからない若い医療従事者が増えることは医療現場において問題にはならないのであろうか?

医療現場で方言が問題になるとき

 医療コミュニケーションにはいくつかのレベルがあり,方言によって生じる問題もこのレベルに沿って分類することができる。

1)意味伝達レベル
 まず挙げられるのが,意思疎通自体が問題となるレベルである。津軽では,地元出身の看護師にとって重要な仕事のひとつが,医師と患者との間に立ち,いわば「通訳」の役割を果たすことであった。

 ここで津軽の周辺部にある整形外科での例を挙げたい。ある患者が「ボンノゴガラ ヘナガ イデ(ぼんのくぼから背中にかけて痛い)」と訴えたところ,それを聞いた他地域出身の医師は「お盆の頃から背中が痛い」とカルテに書き込んだ。しかし,そばにいた津軽出身の看護師は事実の誤認に気が付き,患者のぼんのくぼあたりに手を当て,「ここが痛いんですね? 先生,ここらへんが痛いと言っています」と注意を促し,誤認をまぬがれたことがあったという。

 しかし,先述したように,同じ地域に住みながら方言のわからない若者が増え,このような「通訳」ができなくなりつつあるのだ。

 例えば,実習中の看護学生が「具合はどうですか?」と患者にたずねたところ,「今日サ 何ダガ イパタダダ」という応えが返ってきた。学生は「イパタダ」を「一般的だ」と聞き,「問題ない」という判断をした。だが,「イパタダ(エパタダとも)」は<普通でない,変わっている・変だ>という意味である。つまり「問題がある」のだ。

 このように,人間は「自分の知らないことば」を「自分の知っていることば」に近づけて理解しようとし,置き換えてしまうことがある。医療現場では,これが事実誤認によるミスにつながるのではないかと懸念される。

 また,患者にとって,ことばが通じないということは,間違った理解・判断をされ,適切な治療がされていないのではないかという不安や恐れにつながる。これらは大きなストレスの原因となるとともに,信頼関係の基盤そのものを揺るがすものになりかねない。

 なお,弘前市内の医療施設で働く看護師37名を対象に行ったアンケート調査では,97%の看護師が「津軽では方言の理解が必要だ」と考えていた。さらに津軽で医療・看護の仕事をするのに「重要」だと判断される方言について尋ねたところ,上位20語は,ツヅラゴ(帯状疱疹)・コエ(疲労)のような病名・症状語彙,マナグ(眼)・ボノゴ(ぼんのくぼ)のような身体語彙,カチャクチャネ(心理的に複雑な状態)のような感覚・感情語彙,シタバッテ(そうだけれど)のような応答語彙であった。

2)対人的配慮のレベル
 医療コミュニケーションでは,配慮のレベル(よりよいコミュニケーションのレベル)の問題もある。津軽の都市伝説とも言えるような事例だが,他の地域出身の医師(または看護師)が患者との距離を縮めようと方言を使ったが,「ノダバレ(腹ばいになりなさい)」と言うべきところを,誤って「クタバレ(死ね)」と言ってしまったというものがある。

 各地での聞き取り調査によると,患者である地域住民には,「医師に無理にその土地の方言を話してもらいたいとは思わない。共通語でわかりやすく,丁寧に説明してくれるほうがよっぽどありがたい」という意見が多かった。患者が医師に求めていることは,症状について理解してもらうことだけではなく,その症状によって苦しんでいる自分自身を理解し,受け止めてもらうことであろう。

コミュニケーションスタイルの地域差

 さらに各地域のコミュニケーションスタイルの違いにも目を向けたい。

 小林は,これまでの先行研究から「対人的な表現法」に関する5つの地域差をまとめ,発想法の地理的特徴について次のように述べている(文献1)。

近畿を中心とした西日本および関東
⇒口に出す,決まった言い方をする,直接的に言わない,主観的に話さない,相手を気遣う,という傾向が強い

東西の周辺部,特に関東を除く東日本
⇒口に出さない,決まった言い方をしない,直接的に言う,主観的に話す,相手を気遣わない,という傾向が強い

 医師から「何かわからないことはありませんか?」と尋ねられた際に,理解していなくても,何も言わない地域があり,一方で理解していても,何か言わなければと考え,発言する地域があるということである。

 つまり,地域的発想・コミュニケーション手段の違いは,「医師が必要とする患者の情報を得ることができるかどうか」という問題だけでなく,「患者が医師に疑問点を尋ねられているかどうか」という問題にも直結する,大きな問題なのだ。

複雑化することばの使われ方

 また,現代のコミュニケーションが難しい理由のひとつに,ことばの使われ方が「複雑化している」ことが挙げられる。

 「痛くないですか?」のような否定疑問文での問いかけに対して,痛くても痛くなくても「はい」にあたる肯定的な表現形式を用いる方言もあれば,「いいえ」にあたる否定的な表現形式を用いる方言もある。

 それに加え,共通語や英語教育の影響によってことばの使われ方が流動化しているため,「はい」や「いいえ」にあたる方言形の表す意味が世代によって異なっていたり,共通語における語形選択にも影響を与えたりしているのだ。

 つまり,われわれは「共通語か,方言か」という二者択一の単純な言語生活をしていないということである。

 しかし,これまでどおりの全国一律の教育では,地域差が存在することに医療関係者や教育関係者が気付かない。それこそが問題であろう。

方言を使ったコミュニケーションの理解を深めるために

 どんなに共通語化しても,(特に高齢の)患者にとっては方言が最も自分の状態・感情を訴えやすい言葉であるには違いない。地域に根差した方言のなかには,それ以外の言葉では言い換えることのできないものがある。そもそも患者には自分の言葉で表現する権利があるとも言える。患者の話す方言を,医療従事者が理解することが患者を尊重することにもつながっていくのだ。では,われわれには何ができるだろうか?

 われわれは,津軽・富山・岐阜・広島の各地での臨地調査を基に開発した「保健・医療・福祉に利用できる方言データベース」をweb上に公開した(文献2)。データベース化することで,部分一致による検索や発音,よく使う文例も紹介することが可能となった。

 また,医療現場における問診の模様を,共通語によるものと津軽方言によるものの2種類で映像化を行った。これらを,方言でのコミュニケーションの視点から共通語でのコミュニケーションを見直すことを目的として,大学の講義で運用している。

 共通語より敬語の形式が未発達な津軽方言では,「です・ます」といった丁寧語を使うことで,必要な敬意を表すことが多い。そのため,「患者さま,いかがなさいましたか?」調の教科書では適正とされる敬語を使っても,津軽の対人関係においては適正ではない。「標準語を使ってお客扱いするな」「気持ち悪い」などと言われることが現実としてあるのだ。

 「表現の適正さ」における地域差が全国各地に存在することを,医学・看護・福祉教育分野においても認め,共通語一辺倒のコミュニケーションスタイルを,方言のコミュニケーションスタイルから見直すことがよりよい関係性をつくることになるのではないだろうか。


参考文献
1)小林隆.対人発想法の地域差と日本語史.日本語学会2009年春季大会抄録.2009
2)http://ww4.tiki.ne.jp/~rockcat/hoken/index.html


今村かほる氏
昭和女子大文学部卒。1992年同大大学院文学研究科博士後期課程修了。94年より弘前学院大学文学部講師を経て,99年より現職。主な著作物には,「地域学」8巻掲載『医療・福祉と方言』(北方新社),「看護学雑誌」73巻6号掲載『「方言」がもつ医療コミュニケーションの可能性』(医学書院)などがある。