医学界新聞

連載

2011.04.11

高齢者を包括的に診る
老年医学のエッセンス

【その4】
Never-ending Discussion――胃ろう造設・人工栄養

大蔵暢(医療法人社団愛和会 馬事公苑クリニック)


前回よりつづく

 高齢化が急速に進む日本社会。慢性疾患や老年症候群が複雑に絡み合って虚弱化した高齢者の診療には、幅広い知識と臨床推論能力、患者や家族とのコミュニケーション能力、さらにはチーム医療におけるリーダーシップなど、医師としての総合力が求められます。不可逆的な「老衰」プロセスをたどる高齢者の身体を継続的・包括的に評価し、より楽しく充実した毎日を過ごせるようマネジメントする――そんな老年医学の魅力を、本連載でお伝えしていきます。


 高齢化が急速に進む日本社会。慢性疾患や老年症候群が複雑に絡み合って虚弱化した高齢者の診療には,幅広い知識と臨床推論能力,患者や家族とのコミュニケーション能力,さらにはチーム医療におけるリーダーシップなど,医師としての総合力が求められます。不可逆的な「老衰」プロセスをたどる高齢者の身体を継続的・包括的に評価し,より楽しく充実した毎日を過ごせるようマネジメントする――そんな老年医学の魅力を,本連載でお伝えしていきます。

エピソード】 米国での研修中,ICU勤務でUTI敗血症の高齢認知症女性(80代後半の施設入居者)を担当した。集中治療で一命は取り留めたが,意思疎通不能で寝たきりの高度虚弱状態になった。それまで経鼻チューブからの人工栄養が行われていたため,消化器内科にPEG(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy)による胃ろう造設を依頼した。

 その日の内視鏡オンコール医であったDr. Gは患者を診察した後,薄い白髪頭を下げて言った。

 「Toru……,勘弁してくれ」

老衰プロセスの終末期とは

 高齢者の身体は加齢に伴い関節炎や聴力低下などの生理的変化や糖尿病や高血圧,心臓病などの慢性疾患,めまいや認知機能低下,転倒など高齢者特有の問題(老年症候群)を抱えていく。さらに別れや喪失体験,社会的孤独,差別,経済難などさまざまな心理社会的ストレスを日々受けることにより,彼らの心身は着実に虚弱化していく。

 可動域が車椅子やベッド上に制限され,意思決定,さらに意思疎通が不可能になるまで認知機能が低下し介護度が高まると,高度虚弱状態となる。そのような状態となった高齢者は,ある時期になると咀嚼・嚥下機能が低下し食欲や食べ物自体への興味が減退する。誤嚥性肺炎を繰り返し脱水,栄養失調が現れてくると,いよいよ老衰プロセスの終末期である。

 現時点で,筆者は老衰プロセスの終末期での胃ろう造設・人工栄養には消極的(老衰自然死に積極的)な立場をとっている。誤解のないよう確認しておきたいが,「老衰終末期」以外のケース,例えば比較的若年で認知機能や他の身体機能が比較的保たれ,食道や上気道に腫瘍などの閉塞機転がある場合や,口腔疾患や神経疾患などで咀嚼・嚥下機能が低下している場合は,積極的に人工栄養を検討すべきである。

胃ろう・人工栄養のエビデンス

 過去に行われた臨床研究では,胃ろうからの人工栄養により,老衰終末期患者のアルブミンや体重の軽度の増加といった栄養指標の改善と死亡率の低下(寿命の延長)が示唆されている(JPEN J Parenter Enteral Nutr. 2000 [PMID : 10772189])。一方,日常生活機能やQOLの改善,苦痛の緩和などのアウトカムはどのスタディでも証明されていない(Dig Dis Sci. 1994 [PMID : 8149838], Arch Fam Med. 1993 [PMID : 8111526])。

 これらのことから,老衰終末期の高齢者への人工栄養は「純粋な延命治療」だと言わざるを得ない。この種の臨床研究は倫理面やバイアスの問題があり,その計画や遂行が非常に困難である。実際過去のスタディには研究手法上の問題が多く目に付くが,それでも導き出された結果は,筆者を含め多くの臨床医の経験や見解と,そう大きくかけ離れてはいない。

そのエビデンスは患者にとって有用か

 本連載第3回(2919号)のAdvance Care Planningの議論のなかで,Surrogate Decision Making(代理決定)の問題点として「代理人の決定には患者の意向よりも代理人の願望や価値観,世間体などが影響することが多い」ことを指摘した。このことは胃ろう造設の問題にも直結する。老衰終末期の胃ろう造設・人工栄養により患者の栄養指標が改善し,生存期間が延長()すれば家族や医療者など周囲の人間は喜び安堵するだろう。ただ,既に寝たきりとなり意思疎通のできなくなった高度虚弱患者自身が,それらの恩恵を感受できるだろうか?

 人工栄養による老衰プロセスの変化と問題点

 長い人生を生き抜いてきた高齢者は自身の最期の重要な決定に参加できず,意にそぐわない形で最期の時を迎える無念さを意識の深層で嘆いているかもしれない。周囲の人間が,自分たちの不安や悲しみからの逃避や安堵と引き換えに,終末期の高齢患者の尊厳を損なってはいないだろうか。

エピソード続き】 前述した胃ろう造設・人工栄養に関するエビデンスをDr. Gが知っていたか定かではないが,老衰終末期患者の胃ろう造設は彼の道徳観からは受け入れられないものだったのだろう。日々の精進で得られた卓越した内視鏡技術を「適切でない」場面では使いたくないという消化器内科医のプロフェッショナリズムや,自分は単なる検査手技屋ではないというプライドが,人一倍強かったのだろうか。

 当時の私は周囲と同様「食べられなくなったら胃ろう」の短絡的思考に支配され,Advance Care Planningの思想からは大きくかけ離れていた。Dr. Gはそうした潮流に静かに抵抗し,主治医(担当医)機能を果たしているとはいえなかった私を,諭してくれたのかもしれない。

終末期における延命処置の道徳的な正しさとは

 本連載第1回(2912号)で概説したように,高齢者が老衰プロセスをたどって虚弱化し,高度虚弱期から終末期,そして死に至ることは「進行性の病気である老衰」の自然の流れである。また「食べられなくなったら生存できない」のは自然の摂理であり,人間にも例外なく適応されるはずである。医療技術の発展の恩恵とはいえ,胃ろう造設・人工栄養の安易な導入によって自然老衰死のプロセスを干渉・変更し(図),生命の質が低い時間を延長させることは最近ちまたで注目されている「道徳的な正しさ」を損なう行為に該当するのではと憂慮している。

終末期ケアと医療の原点

 当院では,胃ろう造設・人工栄養に関しても早い段階から患者本人や家族と話し合う機会を設けている。異なる見解を持つ患者や家族とも,話し合いを繰り返していくたびに互いの理解を深めることができる。そのかいあってか,最近では新規の胃ろう造設は行われていない。また既存の胃ろう患者や十分な話し合いの末にそれでも胃ろう造設になった患者にも,最善のケアを継続すべきなのは言うまでもない。

 超高齢社会を突き進む日本の医療現場において,今後も人工呼吸や透析など他の延命治療と同様,終末期における胃ろう造設・人工栄養の是非は議論し続けられるだろう。その際に「科学的根拠を追求する『サイエンス』と,倫理観や哲学,道徳的正しさを追求する『アート』の両方を駆使して『患者本位』の医療を行う」という医療の原点をいかに固持できるかが,この問題の核心であると考える。

つづく

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