熱が家族の歴史を刻みます 電子体温計さん(鶴岡優子)
連載
2011.02.14
(前回からつづく)
在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「電子体温計」さん。さあ,何と語っているのだろうか?
今ドキの体温計は種類が豊富 予測式で1分以内に計測し,そのまま実測式に変わる腋下用のモノが主流。手技の問題もあるだろうが,同時計測しても結果には幅があり興味深い。よって子どもなどはしつこく計測し電池を消耗させる。 |
私はこの家の2代目の電子体温計です。リビングのテレビのすぐ横が定位置で,薬の袋が立ててあるカゴに入っています。つい最近まで長老の水銀体温計さんもご一緒していました。しかし,昨年の暮れ「有害ごみの日」にお別れしたんです。あの日は本当に悲しかった。彼はこの家の子どもたちが小さいころから仕事をしてきたので,よくそのころの話を聞かせてくれました。小さな兄弟は「熱っぽい」と言っては,彼を奪い合って計測したそうです。37℃を超えれば,もう立派な重病人。温かくしてすぐに布団に入りました。そういえば水銀さんの37℃のところだけ,色がついていましたね。「おかゆにしようか?」。まだ若かったお母さんが優しく声をかけてくれます。「水枕にする?」「おまんじゅう食べたい?」とほかの兄弟も優しくお世話しました。その後もこの家の子どもたちは,何度も熱を出しながら成長し,結婚してそれぞれに家庭を持ちました。
初代電子体温計の私の父が,この家に来たのは20年前。娘さんが出産で里帰りされたときに「妊婦がいるし,周りの家族も風邪をひかないように気をつけなくちゃ」と買ってこられました。出産後も娘さんは赤ちゃんが熱を出すたび,「保育園にも職場にも連れていけないからお願い」と実家に帰ってきました。ジイジとバアバになったご夫婦は,孫の体温を1日に何度も私の父に測らせたそうです。その赤ちゃんが今年成人式。わが体温計一家も,こちらのご一家も,世代交代するわけですね。
私がこの家に来たのはジイジの血液の癌がきっかけです。医療者が発熱に敏感で,バアバはそれ以上に敏感でした。毎朝定時で検温チェックです。38.4℃,食欲もありません。連日医者が来て抗菌薬の点滴をした後「ひと山越えましたね」。医療者のこのひと言が本当にうれしかったとバアバは振り返ります。実はバアバ自身も持病があり,そのうちご夫婦一緒の訪問診療になりました。医者は鞄から聴診器やパルスオキシメーター,血圧計などを出して,このご夫婦を診察しました。でも体温計だけは,往診鞄の中のものでなく,この家の私が使われました。その後もいくつか山を越え,3年たったある日の朝,バアバや子ども,孫たちに囲まれて,ジイジはひとり天国に旅立ちました。
葬儀や片付けが終わると,地上に残されたバアバもひとりです。まさに,咳をしてもひとり。体がだるい,食欲がないと,今日も検温を繰り返します。ピピッピピッ。耳が遠くなったバアバには電子音は届かず,10分後に私は腋の下から外されました。36.6℃。24時間つながる主治医の連絡先を知っていますが,ちょっと電話はかけづらい数字です。この前の診察で「37.5℃以上でなければ,そんなに問題ないよ」と言われたばかりです。「私は平熱が低いからね。本当はこれでもう熱があるってことだよ」。そうつぶやきながら,バアバは玉子酒を作っています。お風呂も控えるつもりのようです。体温計の私だけでも,「今,あなたは熱がある」と認めてあげようと思いました。違和感もたず家族になったつもりで。「熱があってもひとり」じゃ,ちょっと気の毒ですから。
(つづく)
鶴岡優子
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。
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