医学界新聞

寄稿

2011.01.03

新春随想
2011


「日本病院団体協議会」6年間の足取り

邉見公雄(全国自治体病院協議会会長/中央社会保険医療協議会委員/赤穂市民病院名誉院長)


 日本病院団体協議会(以下,日病協)は,2005年7月の郵政選挙で大勝した小泉内閣が9月に「中医協の在り方に関する有識者会議」なるものを立ち上げ,中医協診療側委員の中で医師委員5名を日本医師会(以下,日医)が実質的に独占しているのを改めようとした動きが設立の契機になった。守旧派の日医役員からは,官制野合団体だと嫌みも言われたが,まんざら的外れでもない。

 当時,病院医療費が総医療費の5割を超え,当面山積する問題を内科無床診療所を主力とする日医執行部に相談してもらちがあかないと考えた保険局医療課や,医療費抑制策を錦の御旗にしていた内閣府の経済財政諮問会議,規制改革・民間開放推進会議をバックに医療改革を強力に推し進めようとした小泉内閣の絶頂期での出来事であった。

 日病協は,初め7つの団体で始まり,数か月後に4つの団体が加わって11団体となり,病院数で85%,病床数では90%を超す大集団であり,厚労省もいろいろな団体と個別交渉をする手間が省け,重要視せざるを得なくなった。それが目的の一つでもあったのであろうが……。

 2005年の9月に中医協の委員に,日本病院会の石井暎禧先生と全国公私病院連盟の私とが選ばれた。私たちの立場は,医師ではあるが医師の代表ではなく,30近い職種が働く病院の代表であり,過去の議事録を読んでも全く出てこないが,医療安全に重要な役割を果たしている臨床工学技士や,病診連携・病病連携など地域医療連携のキーパーソンであるMSWの意見も代表する,と初参加のときに申し上げた。

 不幸にも2006年診療報酬改定はマイナス3.16%と史上最悪の改定率であり,辛うじてチーム医療としての栄養管理や褥瘡ケアに加算が付いたが,ほとんどの主張は見送られた。私たちが主張した入院医療,救急医療,高度先進医療,手術やチーム医療は日医の弱かった部分であり,私たちが初めて強く主張したために1号側(支払側)や3号側(公益側)も戸惑い,厚労省も資料がそろっていなかったように見受けられた。

 しかし相撲界で3年先の稽古と言うように,2008年改定では臨床工学技士による医療機器中央管理が医療安全で評価され,MSWも退院時カンファレンス参加での退院指導地域連携が評価された。

 そして何と言っても今回の『手術報酬に関する外保連試案』第7版に基づく手術手技料の大幅アップである。外保連は,10数年前から膨大な調査と資料を出し続けてきたが中医協に無視され続け,イエローペーパーになっていた。今回やっとそれがエビデンスとして採用されたのである。外科医療の崩壊や外科医減少という社会現象の後押しもあるが,ようやく中医協が掴み金配分方式からコスト積み上げ方式という真っ当な道に立ち戻り始めたと私は評価している。

 日病協は当初,診療報酬の問題だけで集まったわけであるが,今では医療安全や日本の医療制度,医学教育や卒後研修,救急医療や外国人医療など多くの問題に前向きに取り組み,近江商人の言う「先義後利」,すなわち義に則ったことをやっていれば,利は後から付いてくるという行動形態をとる団体へと成長し,マスメディアも「病院のことは日病協に」というのが定着してきた。日ごろの活動の成果であろう。

 最後に,新春らしく今年の初夢3題。"ノーベル生理学・医学賞日本人医師初受賞""医療基本法,超党派議員立法で成立""医療にかかる消費税は0(ゼロ)税率に"

 本年が皆様にとってよい一年となりますように!!

震災17年 辛卯 正月


患者の立場から見た薬事行政

片木美穂(卵巣がん体験者の会スマイリー代表)


 2000年に広島県のすい臓がん患者が,当時,日本では非小細胞肺がんだけに承認されていた抗がん剤「ジェムザール」のすい臓がんへの適応追加を求めて声を上げました。当時の日本では,がん患者がメディアに顔を出すことは珍しかったといいます。

 2010年になり,がん患者がメディアに顔を出すことは珍しくなくなってきました。しかし,私たちが「ジェムザール」の卵巣がん治療における使用の保険適応化を求める姿は,10年前のすい臓がん患者の姿と何も変わっていません。2000年当時は「未承認薬問題」として報じられていた問題が「ドラッグ・ラグ」と名を変えて10年経っても根深く患者を苦しめていたのです。

 「ジェムザール」が最初は非小細胞肺がんに対する抗がん剤,その後,すい臓がん,胆道がん,上皮性尿路がん,再発乳がんの治療薬としても承認されたように,抗がん剤は,最初の承認以降にほかのがんの治療にも有用であることがわかり,適応追加されることは少なくありません。しかし,日本では長年にわたり「薬事承認」=「保険適応」が1対1の関係であり,治療薬の有用性がわかっても承認のプロセスを踏むという方法以外,保険の追加適応につながる道はありませんでした。

 2010年2月より「医療上必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」が始まり,学会や患者会から要望があった治療薬の有用性を検討し,企業に開発を要望する取り組みが始まりました。中央社会保険医療協議会でも有用性が高い治療薬の保険適応化を迅速に進めるための議論が行われています。その結果,2010年8月に「ジェムザール」は卵巣がんに有用であることが認められ,薬事承認前に保険適応されるなど,「ドラッグ・ラグ」が少しずつ改善されています。ただ,「ドラッグ・ラグを根本的に解決する」という議論ではないため,いのちのためにはもう一歩踏み込んだ取り組みが必要です。

 私たちがん患者会は,よりよい薬事行政を願って,2011年も積極的に各所に働きかけを行いたいと思っています。


あらためて「看護とは何か」を問う
――看護師一人ひとりの看護哲学

中山洋子(福島県立医科大学看護学部教授/日本看護系大学協議会会長)


 2010年は,私にとって激動の年であった。文部科学省の「大学における看護系人材養成の在り方に関する検討会」の座長として,厚生労働省の「看護教育の内容と方法に関する検討会」の委員として,学士課程における看護基礎教育や保健師の役割についての検討を重ね,方向性を出さなければならなかった。それに加えて,「特定看護師」問題というもう1つの課題にも直面した。「二足の草鞋を履く」という言葉があるが,私の場合,草鞋は二足どころではなく,三足も四足も履いてしまった。

 草鞋を履いてみてわかったことがある。それは,検討会の中で考え方はいくつあってもよいが,決めるときには,1つにしなければならないということである。当たり前のことであるが,この当たり前が難しいのである。決断はしたものの目先のことばかりにとらわれて看護の本質的なものを失っているのではないかと不安になった私は,原点に返って「看護とは何か」を考えたくなった。

 書棚から取り出したのは,芝田不二男先生の『看護哲学』(メヂカルフレンド社,1974年)である。40年前,私が看護大学を卒業するころに執筆された本であり,当時,看護学の学問としての独自性を熱く語っていた先生の姿を思い出す。著書の中で「看護哲学とは,全体としてのあるべき看護を考え,その上で看護に対して1つの態度をとらせようとすること」であり,「看護師はすべて看護師であるかぎり,看護哲学者でなければならない」と強調している。

 政策決定の過程では必ず妥協が必要になってくる。自分の主張だけで押し通せるものではない。しかし,「看護とは何か」を問われたとき,「看護として譲れないもの」が必ずある。そこに看護師としての「看護哲学(Nursing Philosophy)」が現れてくる。看護専門職というのは,個ではなく,いつも集団として見られてきた。反対に,問題に立ち向かうときには一枚岩になれないことが多いとも言わ...

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