医学界新聞

連載

2010.08.30

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第181回

オバマが重責を託した医師(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2891号よりつづく

 2010年4月19日,医療制度改革法を成立させたばかりのオバマ大統領が,空席となっていたCMS(註1)長官に,ハーバード大学医学部・公衆衛生学部教授の小児科医,ドナルド・バーウィックを指名した。CMSは,メディケア・メディケイドの公的医療保険を管轄する部局。年5000億ドル(約45兆円)と,莫大な額の予算を執行するだけでも大変な重責であるが,「公的医療保険の改革は,医療制度改革全体の成否を握る」といっても過言ではない。オバマが,重責を託したバーウィックとは,いったいどのような医師なのであろうか?

「競争が質の向上を妨げる」

 私がバーウィックの名を初めて知ったのは,1996年のことだった。当地のTVニュースで,医療の質を改善するための新たな試みについて,彼がコメントするのを見たときだった。

 まず,私がたまたま見たニュースが取り上げた「新たな試み」について説明しなければならないが,ニューハンプシャー,メイン,バーモントのニューイングランド三州の心臓外科が集まって「共同学習グループ」を結成,手術成績を上げるために互いに知恵を絞り合うことを試みたのである。具体的には,冠動脈バイパス手術に対象を絞り,メンバー病院を巡回してそれぞれの手術を見学。術式の細かな違いに始まって,術前準備や補助療法の相違まで,「なぜ君の病院ではそんなことをしているのか?」と,ざっくばらんに意見を交換しあった後,よいと思われることすべてを全病院で取り入れた。その結果,9か月に及ぶ共同学習終了後,「死亡率25%減少」という劇的な効果を上げたのだった(註2)。

 当時,米国は,マネジドケアが医療界を席巻する時代だった。「医療にも市場原理を導入せよ」と主張する人々が「病院に競争させることで質を向上させるのがよい」と,例えば心臓外科領域においても,病院別の手術死亡率を公表するよう圧力を強めていた。「競争によって質を高める」とする主張の背景にある考え方は,「手術死亡率を公表する→手術を受ける際,患者は死亡率が少ない病院を選ぶようになる→患者が減ると困るので死亡率の高い病院は死亡率を下げる努力をする→どこの病院も死亡率が下がるので,国(あるいは地域)全体の死亡率が下がる」と,まとめられよう。しかし,一見「もっとも」に見えるこの考え方には,実は,非常に大きな欠陥が内包されている。というのも,「死亡率を下げるための一番手っ取り早い方法は,重症患者,あるいは,(重い糖尿病などの合併症を持つ)難しい患者を避けることにある」のは常識中の常識であり,「成績を上げるために患者を選り好みする」という悪しき行為が蔓延する危険があるからである。

 これに対し,ニューイングランド三州共同学習グループは「(競争ではなく)協力し合うことで地域全体の医療の質を高める」ことができることを実証した。しかも,その効果が死亡率25%減少と「甚大」であるだけでなく,共同学習後「すぐに」現れることをも示したのである。

 私が見たニュースで,バーウィックは,「いま,米国の医療では病院間の競争を促そうとする動きが強くなっているが,競争ばかりを強調すると,共同学習グループのように『協力によって質を高める』ことが不可能となってしまう」と,警告したのだった。当時と変わらず,「医療の質を高める決め手は競争」と信じる人々は今でも多いのであるが,「競争が質の向上を妨げる」可能性を示唆したバーウィックの言葉は,私には,非常に新鮮に響いたのだった。

経済的インセンティブよりも医療者の「プロ意識」

 以上が,私がバーウィックの名を初めて知った経緯であったが,やがて,米国医療界で,当時「quality improvement(質向上)」の運動が起こっていたこと,そして,この領域でバーウィックがパイオニア的役割を果たしていたことを知るようになるのに時間はかからなかった。

 バーウィックが始めた「quality improvement」運動が普及した結果,いま,米国では,例えば,医療の質を診療報酬の多寡と直結させる「pay for performance(P4Pと略されることが多い)」がさかんとなっている。しかし,バーウィック自身は,医療施設や病院などの「組織」を対象に質を良くするための経済的インセンティブを与えることは認めても,「個々人」の医療者に対して経済的インセンティブを与える方法については懐疑的である。医師や看護師に対しては,「机の上に金を載せて,『さあ,頑張れ』」とやるのではなく,むしろ,「自分の診療をよりよいものとするためにはどうしたらよいか」という,医療者だったら誰もが持っている「プロ意識」に訴えることを強く推奨しているのである(註3)。

この項つづく

註1:Centers for Medicare and Medicaid Servicesの略
註2:共同学習グループの実際と成果については以下に詳述されている。
O'Connor GT, et al. A regional intervention to improve the hospital mortality associated with coronary artery bypass graft surgery. JAMA.1996 ; 275(11) : 841-46.
註3:'A deficiency of will and ambition' : a conversation with Donald Berwick. Interview by Robert Galvin. Health Aff (Millwood). 2005 ; Suppl Web Exclusives:W5-1-W5-9.
URL=http://content.healthaffairs.org/cgi/content/full/hlthaff.w5.1/DC1

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