米医療保険制度改革(5)Public Options(李啓充)
連載
2010.06.28
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第177回
米医療保険制度改革(5)
Public Options
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2883号よりつづく)
前回までのあらすじ:2010年3月23日,医療保険制度改革法が成立,米国は皆保険制実現に向け,大きな一歩を踏み出した。
皆保険制実現をめざす米リベラル派の政策が「右旋回」を続けてきたことは前回も述べたとおりだが,single payer案に次ぐ次善の策としてリベラル派が実現をめざしたのが「public option」であった。これまで高齢者(メディケア)・困窮者(メディケイド)に限定されてきた公的保険(public plan)を一般用にも拡大し,「価格」と「質」の両面で民間保険と「競わせる」ことをめざしたのである。
公的保険の市場参入による効率改善と「逆バンパイア効果」
まず価格面での競争だが,ここ20年以上,米国では,民間保険の保険料は,物価上昇・GDP成長をはるかに上回る勢いで上昇を続けてきた。保険料が上昇を続けた理由の第一は,1980年代後半以降,「医療費を抑制する」という触れ込みの下に,保険会社が患者に提供される医療サービスの実質的決定権を持つ,いわゆる「管理医療(managed care)」が主流となったにもかかわらず,医療費は一向に抑制されなかったことにあった(医療費が抑制されない一方で,保険会社の「横暴」に対する患者・医療者の「不便・不快」は増大した)。
保険料が上昇を続けた第二の理由は,利益を上げるための手っ取り早い方法として,保険会社が「医療損失(保険料収入のうち患者の医療に使われる支出の割合)の抑制」に励んだことにあった。医療費が抑制されない状況下で医療損失を低く保つために,医療費の上昇を上回る保険料値上げが繰り返されたのである。
一方,利益を上げなければならない宿命を負っている民間保険とは違って,公的保険の存立目的は,患者に可能な限り良質の医療サービスを提供することにある。財政的には,民間保険とは正反対に,集めた保険料(税金)を最大限利用者に還元する(=医療損失を可能な限り高める)ことが運営上の達成目標となる。実際,現在,民間保険の医療損失が約80%であるのに対し,例えばメディケアの医療損失は98%とされ,医療損失に大きな「官民格差」が生じている。サービスの受け手(=保険料の支払い手)である患者(被保険者)サイドから見たとき,民間保険は,「払ったお金が医療サービスに使われる率が著しく低い」=「極度に効率が悪い」保険となってしまっているのである。
というわけで,「費用対効果」という観点から見たとき,米国が先進国の中でも最も効率の悪い医療制度を運営しているのは,民間保険を主流としていることが根本原因なのだが,「public option」推進派は,公的保険を市場に参入させることで,効率を改善するとともに,医療費を抑制する「一石二鳥」の効果をねらったのである。
さらに,「質」の面での競争であるが,民間保険の商法として特に問題となったのが,被保険者が癌など医療費がかさむ病気になった途端に,種々の理由をつけて保険を取り消してしまうあこぎな商法の横行であった(註)。「バンパイア効果」という言葉については以前にも紹介したが,「あこぎな商法で医療費支出を抑制することで保険料を低く抑え市場シェアを拡大する」という経営戦略を持つ企業が市場に参入した途端,「良質のサービスを提供することに専念する」良心的企業はシェアを奪われ生き残りが難しくなってしまう。そこで「質を低下させることで価格を抑える」商法を模倣せざるを得ないのだが,「バンパイアにかまれたら皆バンパイアになる」という意味で,業界全体があこぎな商法に専心するようになる現象を「バンパイア効果」と呼ぶのである。これと反対に,「public option」は,良質なサービスに専心する公的保険を市場に参入させることであこぎな商法の横行に歯止めをかける,「逆バンパイア効果」をねらったのである。
オバマ医療保険改革の最大かつ最後の「決戦場」
以上が,リベラル派が「public option」推進をめざした理由であった。当然のことながら,保険業界は「公的保険相手に競争させられて生き残ることなどできない」と猛反対した。「public optionは社会主義医療の始まり」とするお定まりのキャンペーンが繰り広げられるとともに,ロビイストたちによる必死の議会工作が展開されたのである。
果たして,2009年11月に下院を通過した改革法案にpublic optionが含まれたのに対し,12月に上院を通過した法案にはpublic optionは含まれず,public option導入をめぐる攻防が,オバマ医療保険改革の,最大かつ最後の「決戦場」となったのだった。
(この項つづく)
註:例えば,米最大の医療保険企業ウェルポイント社は,乳癌と診断されたり妊娠したりした被保険者に対し,保険を取り消す理由を「探し出す」コンピューター・プログラムを自動的に適用していたという(今回の医療保険改革法成立により,保険を取り消す行為そのものが違法となった)。
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