医学界新聞

2010.02.22

生への肯定感が緩やかに漂う

講演会「私のカラダを捨てないで」より


 「シリーズ ケアをひらく」連続講演会第2回「私のカラダを捨てないで」が,2009年12月19日,三省堂書店神保町本店(東京都千代田区)で実施された。今回の講演会は,同シリーズからともに12月に刊行された2冊の著者による対談形式で開催。『逝かない身体』の著者・川口有美子氏はALS(筋萎縮性側索硬化症)の母の介護を経験し,現在はALS患者・家族の支援活動中。『リハビリの夜』の著者・熊谷晋一郎氏は,脳性まひを持つ小児科医である。二人に共通しているのは,自分の,あるいは母の身体を肯定し,ひたすら生を受容するための歩みを続けていること。それぞれが葛藤しながら得た経験から豊かな言葉が紡ぎ出され,本となり,人々を驚きと共感の渦に巻き込んでいるのである。

 本紙では,そんな二人の想いが交錯した講演会のもようを一部抜粋してお届けする。


「まなざす」ではなく「拾う」

熊谷晋一郎氏
熊谷 川口さんの『逝かない身体』と,私の『リハビリの夜』とでまず共通して書いてあるのが,動きを「拾う」ことの大切さではないでしょうか。

 これまでのリハビリは主に,患者の動きを「正常な動き」と「正常ではない動き」とに区別した上で,より「正常な動き」に近づけようという発想で成り立っていたと思うんです。

川口 熊谷さんは「まなざしまなざされる関係」と表されていましたね。

熊谷 はい。でも,トレーナーが,こう動いてほしい,こう動くのが正しいのだというまなざしで見ていると,まなざされたトレーニーはどんどん身体が固くなり,閉じていってしまう。

 肝心なのは動きの区別ではなく,どんな動きであっても,拾われて意味付けられることなんです。私は「ほどきつつ拾い合う関係」と表現しましたが,動きが拾われ,人と人,人とモノがそれを介して連結することで,世界が広がり,生活が回っていくと思います。

川口 私の母はALSを患ってどんどん動けなくなっていったけれど,最後の最後まで身体から,汗や顔色といったものを含めた何かしらの情報を発していました。周囲はただそれを拾い,意味を探ることを繰り返すことで,母とつながっていましたね。

熊谷 そうなんです。同じ視点でとらえていらっしゃったことが,うれしかったです。

川口 ALS患者も,病名・余命の告知シーンなどでしばしばネガティブな「まなざし」で見られますが,実際の生活では,そのまなざしを受け止めて悲劇的に過ごすなんて考えも及ばないですよ(笑)。まず生きるために,食べたり飲んだり出したりしなければならないわけです。だから介護する側は失敗を恐れないでさまざまなケアを試し,介護される側はどうぞ試してみてくださいと身体を許し,両者で最善の方法を模索していく。それが「ほどきつつ拾い合う関係」だと思います。

逸脱すると,開かれる

熊谷 私は18歳で一人暮らしをして初めて,自分のケアを不特定多数の他者にお願いせざるを得ない環境に置かれました。そのとき一番自信になったのが,排泄のケアがうまくいったことなんです。排泄の自立はプライバシーを守る最後の砦だったのが,トイレの介助と,失禁の後始末まで不特定多数の人にやってもらえることがわかったとき,ようやく「ケアの社会化」という観念が腑に落ちて,これでなんとか生きていける,大丈夫...

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