米国肝移植ルールの公正さをめぐって(5)ミッキー・マントルの肝移植(李 啓充)
連載
2009.12.21
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第165回
米国肝移植ルールの公正さをめぐって(5)
ミッキー・マントルの肝移植
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2857号よりつづく)
前回までのあらすじ:マントルが正面からアルコール依存症と立ち向かうためには,長年に及ぶデナイアルを経なければならなかった。
マントルがベティ・フォードでアルコール依存症治療を受けたのは1994年だったが,その後亡くなるまで,彼は,一滴も酒を口にしなかった。しかし,せっかく心を入れ替えて酒をやめたものの,末期の肝硬変が劇的に改善するはずもなく,翌95年5月末には肝障害の悪化で入院を余儀なくされた。
入院後の6月7日,「肝癌のために肝移植が必要」と発表され,ファンは大きな衝撃を受けた。それだけでなく,発表からわずか24時間後の翌6月8日に肝移植が行われ,今度は全米の医療界に衝撃が走ることとなった。
「幸運」と裏腹の「副作用」
通常,待機リストに載せられてからドナーが見つかるまでには数百日かかるのが「相場」であるだけに,「超有名人だったから特別扱いされたのではないか?」とする疑念が生じたのも無理はなかった。移植を実施したベイラー大学医療センターは,「コンピュータ・プログラムがマントルをレシピエントとして選んだのであり,人為的作為は一切なかった」と特別扱い疑惑を否定,「マントルは本当に運が良かっただけ」と説明した。
移植からひと月後の7月11日,退院の記者会見が行われた。すっかりやせ細った姿でメディアの前に現れたマントルは,移植が受けられたことに対する感謝の念を述べるとともに,今後は移植普及のために力を尽くすと表明,早速,ファンにドナー登録を呼びかけた。
さらに,マントルは,「ファンは,ずっと,僕にロールモデル(見本)であるよう求めてきました。今の僕は,『決してこうなってはいけない』というロールモデルです。絶対に僕のようにはならないでください」と,不健康な生活を送ったことについての反省を強調したが,「神様は僕に,素晴らしい肉体と野球の才能をお与えくださいました。それなのに,僕は,……」と言ったきり,言葉を続けることができず,涙にむせんだのだった。
「移植を受けられてよかった。助かってよかった」と喜ぶと同時に,その涙にもらい泣きしたファンは多かったのだが,ファンにとって,このときの記者会見がマントルの「見納め」になった。というのも,移植後,術前には見つからなかった癌が驚くべき早さで全身に広がり,不幸な転帰をたどったからだった。
24時間でドナーが見つかった「幸運」に恵まれたのとは裏腹に,移植を受けることができたおかげで使用された免疫抑制剤が癌の進行を早める「副作用」をもたらしたのだから皮肉だった。退院から2日後の7月13日には両肺への転移,8月7日には腹腔への播種が確認され,移植からほぼ2か月後の8月13日,帰らぬ人となったのだった。
「客観的重症度」だけで優先順位を決める新ルール
マントルの肝移植がきっかけとなって,米国では移植ルールの「公正さ」を巡る一大議論が巻き起こった。以下,当時の議論のポイントをまとめよう。
1)マントルは,24時間という,信じがたい早さでドナーが見つかったが,有名人だからということで,特別扱いを受けたのではないか?
2)マントルはアルコール依存症だった。依存症は治癒する疾患ではないし,飲酒癖がぶり返す確率も高い。依存症患者に貴重な臓器を提供するのはいかがなものか?
3)移植後わずか2か月で亡くなってしまったのでは,せっかくの臓器が「無駄」になったと言われてもしかたがない。レシピエントの順位を決める際に「重症度」だけでなく,その「予後」についても考慮すべきではないか?
以上の議論を踏まえた上で制定された新ルールはMELD(Model for End-stage Liver Diseaseの略)と呼ばれているが,実施されるようになったのは,マントルの死から7年が経った2002年のことである。新ルールでは,原則として,クレアチニン,ビリルビン,INR(プロトロンビン時間)という,3項目の検査値だけに基づく「客観的」基準で,重症度(=優先順位)の判定を行う仕組みとなっている。
主治医による臨床評価等,「細工」の余地が生じ得る「主観的項目」が排除されただけでなく,患者が誰であるかなどという情報も一切影響を与えることがないようにされたのである。さらに,予後・依存症に関する議論についてはこれを表面上シャットアウト,「客観的重症度」だけで優先順位を決める原則を貫いた。
さて,本シリーズの冒頭で,今年,アップルCEOのジョブズが比較的短い待機期間の後に肝移植を受けたことについて,「特別扱い」疑惑が生じたことを紹介した。新ルールの下,米国の肝移植は,本当に「公平」に行われるようになったのだろうか?
(この項つづく)
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