MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内
2009.12.14
MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


《シリーズ ケアをひらく》
コーダの世界
手話の文化と声の文化
澁谷 智子 著
《評 者》原 大介(愛知医大教授・言語学/手話学)
二つの文化を行き来する「境界人」の姿を活写
コーダとは,「聞こえない親を持つ聞こえる子どもたち」であり,英語の“Children of Deaf Adults”の頭文字をとった“CODA”からきている。本書は,ひと言で言うならば,耳の聞こえる人の文化,耳の聞こえない人の文化,そしていや応なく両方の文化の境界に位置せざるを得ないコーダたちが体験する異文化間ギャップに関する書であり,非常に読みやすい“コーダ学の入門書”になっている。
著者の澁谷氏はコーダ研究の第一人者であり,私の知る限り,日本にはコーダ研究に関して彼女の右に出る者は一人もいない。澁谷氏は二児の母とは思えないほど精力的に研究を行っており,2008年度からは日本手話学会会長としても活躍している。
「ろう文化」と「聴文化」の狭間で
本書には,「聴文化」「ろう文化」という用語が頻出する。「聴」とは「聴者」すなわち耳の聞こえる人たちを指し,彼らの文化が「聴文化」である(「健聴者」という価値観――聞こえる者が“健康”であり“正常”である――を含んだ用語は使用しない)。「ろう」とは「ろう者」のことであり,ただ単に医学的に聴覚に障碍のある人という意味ではなく,日本手話という日本語とは発生や文法が異なる言語を日常的に使用し,「聴文化」とは異なる規範・価値観・行動様式を持つ人たちを指す言葉である。
澁谷氏は,いみじくも,コーダを「ろう文化」と「聴文化」の間を行き来する「バイカルチュラルな存在」「多数派社会とマイノリティのあいだに位置している境界人」と喝破している。
われわれは誰しも,自分たちの民族や文化がほかの民族や文化よりも優れているという考え方(自民族・自文化中心主義:Ethnocentrism)に支配されており,他文化の中に自文化と異なる行動様式や考え方を見いだすと,それらを“劣っている”“異常である”“間違っている”と判断してしまう。著者は,コーダと自民族・自文化中心主義の関係をはっきりとは述べていないが,本書で描き出されているものは,コーダの中における,自文化の他文化への変貌,それに続くコーダ自身による(旧)自文化の否定,その過程に戸惑うコーダたちである。
親が“非常識”に見えるとき
コーダは,聞こえない親やその友人のろう者に囲まれ,「ろう文化」の中で幼少期を過ごす。しかし,学校に通うようになると,そこは「聴文化」の世界であり,コーダも必然的に「聴文化」を身に付け,その中で生きていかざるを得なくなる。そして思春期に達したコーダたちは,言語・文化的マイノリティである親の文化から,マジョリティである日本語話者たちの文化へと軸足を移していくことになる。するとその瞬間,今まで心地よかった親たちの文化は,「常識が欠けて」いる「とんちんかん」なものへと変貌してしまう。
その例として本書が挙げている,音に対する両文化のとらえ方の違いは興味深い。聴文化では,音を出して食べ物をかんだり食器で音を立てたりすることはマナーに反した非常識な行為となるが,ろう文化では特段問題にならない。外食の際,親が音を立てて食事をすることは,コーダにとって“常識”であったはずなのに,思春期のコーダは,親の(聴文化的には)“非常識”な行為を許容することができない。彼らは,親が身近な存在であればこそ,親に対して常識的な振る舞いを求め,非常識な振る舞いをする親を否定し,思い悩むのである。
著者はコーダを「バイカルチュラルな存在」と述べているが,彼らは決して生来のバイカルチュラルではなく,さまざまな葛藤を経ていや応なくバイカルチュラルになっていくのではないだろうか。否,著者が述べるように,大人になったコーダが聴者とのコミュニケーションに今なお戸惑いを感じているのならば,彼らは依然として「ろう文化」側に立ち,一般のろう文化の住人よりもほんの少し多く「聴文化」側に身を乗り出しているだけなのかもしれない。澁谷氏にはぜひとも,コーダの文化的位置に関する続編を期待したい。
A5・頁248 定価2,100円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-00953-9


看護実践・教育のための測定用具ファイル 第2版
開発過程から活用の実際まで
舟島 なをみ 監修
《評 者》井上 智子(東医歯大大学院教授)
有用
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