スタチンのリスクとベネフィット(李 啓充)
連載
2009.04.13
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第149回
スタチンのリスクとベネフィット
李 啓充 医師/作家(在ボストン)「紙か髪か」の真理
小松左京の傑作「紙か髪か」を読んだのは,中学生のときだった。このSF短編を今もよく覚えているのは,世の中から紙が消え,文明そのものが危機に瀕する事態に,原因となった細菌を退治するためには人間にとって大切な「ある物」を失うという副作用を我慢しなければならなかった「ジレンマ」の滑稽さが,強く印象に残ったからである(大切な「ある物」が何であるかは,題名から明らかだろうが……)。
やがて大人になった私は,某週刊誌で野球コラムの連載をするようになった。大リーグにおける筋肉増強剤使用をテーマとしたとき,私は「筋か金か」というタイトルをつけたが,小松左京の「紙か髪か」を意識してつけたタイトルだったのは言うまでもない。筋肉増強剤として使用されるアナボリック・ステロイドは基本的に男性ホルモンであるので,筋肉がモリモリになる一方,副作用で精巣が萎縮する事実を指摘,ドーピングに走る選手の卑劣さを揶揄したのだった(註1)。
小松左京の「紙か髪か」にしても,筋肉増強剤の「筋か金か」にしても,薬剤使用のベネフィットには必ずリスクが伴うという真理が「落ち」の根幹をなしているのだが,今回は,高脂血症治療薬スタチンについて,最近話題になったリスクとベネフィットとを紹介しよう。
驚くべき知見と副作用
まず,ベネフィットから論じるが,昨年11月,スタチンのベネフィットについて驚くべき知見が報告され,当地では,三大テレビがもれなくニュースで取り上げるほど大きな話題となった。なぜ驚かれたかというと,高脂血症がない人でも,ロスバスタチンを投与すると心筋梗塞や脳卒中の発生率が半減するという結果が発表されたからである。もっとも,このスタディの対象患者は「高脂血症がない(LDLコレステロール130mg未満)」とはいっても「CRPが高い(2 mg以上)」患者に限定され,スタチンの「抗炎症作用」がご利益をもたらすことが示唆されたのだった(註2)。このスタディの結果を受けて,当地では「心筋梗塞・脳卒中の予防効果を期待して(高脂血症がない)健康な人にもスタチンを投与するべきか否か」という議論が巻き起こったが,いまのところ,医師の賛否は半々に別れている(註3)。
次にリスクに話を移すが,これまであまり知られていなかったスタチンの副作用を二つ紹介する(註4)。まず,第一は,認知障害だが,「言葉が出てこない」とか「集中できない」といった程度であることが多く,あまり注目されてこなかったもののようである。しかし,アトロバスタチンによる女性の認知障害を20数例経験したというニューヨーク・プレスビテリアン病院内科副部長のオルリ・エティンギン医師は「この薬は女性をstupidにする」と断言してはばからない(註5)。
これまであまり知られてこなかった副作用の第二は性障害である。カリフォルニア大学サンディエゴ校准教授のベアトリース・ゴロムによると,被験者に「性的快感」のレベルを数字で答えさせたところ,男女ともスタチン投与後に快感が低下する傾向が認められただけでなく,快感低下の程度はLDLコレステロール減少の程度と相関したという(LDLコレステロールが最大に減少したグループでは快感のレベルが「半減」した)。日常の診療において患者が性的快感の変化を自発的に主治医に報告することはまず考えられず,この副作用がこれまでまったく注目されてこなかったのも不思議はないだろう。
ゴロムは,スタチンの副作用のほとんどはCoenzyme Q10の低下とそれに伴うミトコンドリアでのエネルギー産生低下で説明が可能だとする仮説を提唱しているが,「オーガズムを得るためには多大のエネルギーを要する」という,聞きようによっては非常に含蓄に富む言葉でスタチンによる性的快感減少を説明している。
「紙か髪か」という選択を強いられる状況にリアリティを持たせた,小松左京の作家としての力量には感服せざるをえないが,さしもの小松左京も,「心筋梗塞・脳卒中を予防しようと思ったら,stupidになったり不感症になったりすることを覚悟しなければならない」リアリティが現出することになるなど夢にも思っていなかっただろう。
(つづく)
註1:このコラムは某週刊誌での連載をまとめた『レッドソックス・ネーションへようこそ』(ぴあ社)に収載されている。
註2:N Engl J Med 359: 2195-2207, 2008
註3:http://www.nejm.org/clinical-directions/jupiter-statins-trial/
註4:American Journal of Cardiovascular Drugs 8: 373-418, 2008
註5:2008年2月12日付ウォールストリートジャーナルより。
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