医学界新聞

連載

2008.10.13

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第137回

ブッシュ「オーナーシップ・ソサイエティ」の末路

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2799号よりつづく

米国の金融不安,その元凶は?

 大統領選投票まであと50日と迫った9月15日,米国4位の大手証券リーマン・ブラザーズが破産申請すると同時に,3位のメリル・リンチがバンク・オブ・アメリカに救済合併されることになった。さらに,9月16日には,経営不振の保険最大手AIGに対する救済処置として連邦政府が約9兆円の緊急融資を実施,サブプライム(住宅)ローン問題がきっかけとなって始まった金融危機はますます拡大,出口が見えない不安に株価も大幅に下落した。

 共和党大統領候補のジョン・マケインが,今回の金融危機の原因を「規制の失敗とウォール・ストリート大口投資家の強欲」に求めているのに対して,民主党候補のバラク・オバマは「共和党経済政策の根本原則(フィロソフィー)」が危機の元凶としている。ブッシュ政権の下,共和党経済政策の原則は,「オーナーシップ・ソサイエティ」の名を与えられてきたが,ひと言でいうと,「個々人が資産を所有するようになれば,国家に対してステークホルダーの立場に立つことになるから,旧来の『持てる者(資本家)対持たざる者(労働者)』の対立は意味を持たなくなる。住宅・教育・年金・医療等についても,社会保障に依存する体制から個々人が『オーナー』として自己責任でコントロールする体制に変える」ことを目指す考え方だった。

 「オーナーシップ・ソサイエティ」の原則の下,ブッシュ政権が最も力を入れた政策の一つが住宅所有者の階層を広げることだったが,返済能力が優良でない(=サブプライムの)低所得者にも住宅ローンを提供するよう奨励した結果が,現在の金融危機を生じさせる原因となったことは,巷間広く伝えられている通りである(註1)。

医療分野におけるオーナーシップ・ソサイエティ

 一方,医療の分野では,「オーナーシップ・ソサイエティ」の原則は,「公的保険を拡大するのではなく,税制優遇処置などで民間保険の購入を促進することで無保険者を減らす」政策として実施された。しかし,「オーナーシップ」を拡大するという原則とは裏腹に,ブッシュ政権の下で民間保険購入層は増えず,その代わりに低所得者用公的保険メディケイド受給者が急増したことは前回も述べた通りである。また,「消費者が自己責任で医療保険をコントロールする(consumer-driven health care)」という謳い文句の下,税制優遇処置が受けられるHSA(註2)と連動した高額自己免責(high-deductible)医療保険の普及が図られたが,低所得者にはもともと貯蓄する余裕などなく,有保険者を拡大する結果にはつながらなかった。

 また,公的年金の分野でも,加入者が自己責任で年金を運用する制度の導入が図られたが,高齢者団体AARPなどが「株価が暴落するような事態になったとき,こつこつ貯めた『老後の備え』が一夜にして紙くずに変わる危険があるし,証券会社を儲けさせる結果にしかならない」と猛反対,実現されなかった。

富めるものだけがますます富む

 かくして,「オーナーシップ・ソサイエティ」の原則の下,ブッシュ政権では「市場重視(=規制緩和)」政策が優先されてきたのだが,「規制緩和」に味をしめた大口投資家の間に,株式非公開化(プライベート・エクイティ化)の動きが進んだのだから皮肉だった。例えば,医療の分野でも,2006年11月,米最大病院チェーンHCA社の株式が創業者一族とプライベート・エクイティ・ファームの手で買い占められ,株式が非公開化された。非公開化とともに,これまで一般に公表されてきた財務状態や経営計画に関する情報も一切公表されなくなり,「HCA社が何を考えどんな戦略で医療市場を動かそうとしているのか」という情報は,すべて「闇の世界」に隠されることとなった。日本では規制改革派が「株式会社病院では経営が透明化する」と主張しているが,彼らの主張とは正反対に,米国では,最大の株式会社病院チェーンの経営が「完璧に非透明化」されてしまったのである。

 さらに,2007年11月,ナスダックは「非公開株市場Portal Alliance」の設立計画を発表したが,計画の骨子は,非公開株の取引に参加できるのは資産1億ドル以上の大口投資家に限定するというものだった。ブッシュは,国民の間に広く「オーナーシップ」を拡大するのだと「オーナーシップ・ソサイエティ」の政策を推進したが,皮肉なことに,市場では,「富める者だけがますます富む」動きが促進されたのだった。

この項つづく

註1:経済評論家のナオミ・クラインによると,ブッシュの住宅政策のひな形となったのは,英国サッチャー政権が推進した公的住宅の私有化促進策だった。サッチャーの場合,居住者に低利率の住宅ローンを提供するなどして私有化を促進したのだが,「住宅を所有できないまま賃貸にとどまった階層は労働党支持,住宅の所有者となった階層は保守党支持」という政党支持のパターンが形成されたという。「オーナーシップ・ソサイエティ」が成功した場合,共和党支持層が拡大すると期待されたのである。
註2:Health Saving Account:医療費に使途を限定した貯蓄口座。「医療費限定マル優」と言えば分かりやすいだろうか。

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