医学界新聞

連載

2008.02.18



〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第121回

緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2767号よりつづく

「National Burden Rate」?

 医療費も含めて日本で社会保障の財源が論じられる際,「国民負担率」(国民所得に占める租税と社会保険料の割合)なる数字が議論の出発点となることが最近の流行りとなっているようである。しかし,ここで私が読者の注意を喚起したいのは,この「国民負担率」なる言葉,日本以外では一切使われていない事実である。たとえば,私は,米国で暮らすようになって20年近くになるが,当地で,「国民負担率」に相当する言葉が社会保障制度を巡る議論に使われるのを聞いたためしがない。

 聞いたためしがなかっただけに,ずっと,「国民負担率」は英語で何というのか知らなかったのだが,「National Burden Rate」と訳すのだと知ったときには,あまりに滑稽で,恥ずかしさすら覚えるような訳だったので,つい,吹き出してしまった。逐語訳の和製英語であることは間違いなかったし,「National Burden Rate」と聞いて「国民所得に占める租税と社会保険料の割合」という元の意味を連想することができる米国人など一人もいないことは容易に想像できたからである(実際,当地の米国人たちに「National Burden Rateと聞いてどんな意味を考えるか?」と聞いたところ,返ってきた答えで一番多かったのは「障害者や失業者など,国家の重荷となる人々が人口に占める割合か?」というものだった)。

 さらに,「National Burden Rate」をグーグルで検索すると,このフレーズが登場するのは,ほぼ例外なく日本から発進された情報を扱うサイト(たとえば,日本で発行されている英字新聞)のみであり,日本以外の国では使われない言葉であることは,サイバースペースでの使用現況を見ただけでも明らかなのである。

misleadingな語感

 いったい,誰が,何を意図して,他の国では一切使われることのない「National Burden Rate」なる珍妙な概念を発明したかはさておくとして,日本で社会保障の財源を論じるに当たって「国民負担率」なる概念が議論の出発点となることの最大の問題点は,この言葉が,国民に対し,事実とはかけ離れた誤解や,必要のない恐怖心をかきたてる,misleadingな語感を内包していることにある。

 たとえば,図に,主要先進国の国民負担率を示したが,この図を見た途端に,「フランスやスウェーデンでは,給与の6割,7割を税や保険料で天引きされるのだから大変だ」と,事実とは大きくかけ離れた思い込みを抱く人が多いのも,「国民負担率」という言葉が,「個々の『国民』が実際に『負担』するお金の『率』」という,misleadingなイメージを醸し出すからに他ならない。

 前回も述べたように,先進国のほとんどが,国民負担率が5割を超える「大きな政府」を運営している事実があるにもかかわらず,日本で,多くの人が,「大きな政府を運営する国」=「国民が重税に喘ぐ国」という誤った先入観を抱くようになったのは,「国民負担率」なるmisleadingな語感を有する言葉を意図的に流行らせた人たちがいたせいだったと言っても言い過ぎではない。換言すると,「国民負担率」という言葉は,日本の社会保障論議を誤った方向に導くことで,「小さな政府を運営する国」=「国民の負担が小さないい国」という,迷妄な固定観念を蔓延させることに威力を発揮してきたのだが,この「小さな政府=善」とする議論の延長線上で医療費(特に公的給付)も抑制され続け,いま,日本の医療が崩壊の危機に瀕する事態を招いたのだから,この言葉を流行らせた人たちの罪は大きい。

 実は,国民負担率は,その語感とは裏腹に,国民の負担の実際を正確に反映する指標とはなりえない。国民負担率の数字が,国民負担の実際と大きく乖離しうることは,国民負担率31.9%と,日本(39.7%)以上に小さな政府を運営している米国で,国民の負担が日本よりもはるかに重い事実を見ればそれだけで明らかなのだが,次回は「国民負担率が大きくなると個々の国民の負担も重くなる」とする議論が詭弁であることを,国民負担の実際を日米で比較することで検証する。

この項つづく

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