ノース・カロライナ州で死刑執行ができなくなった理由
連載
2007.06.18
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第110回
ノース・カロライナ州で
死刑執行ができなくなった理由
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
死刑制度廃止が世界の潮流であることは紛れもない事実であり,刑罰としての死刑をいまだに存続させている国は世界的には少数派に属する時代となった。米国は,日本と同じく,先進国の中でいまだにこの少数派に属する数少ない国の一つであるが,米国における死刑制度廃止論議は,日本の読者には想像もつかないほどかまびすしいものがある。
たとえば,国全体のレベルでみると,確かに死刑制度は存続しているが,マサチューセッツ州など,すでに13の州で死刑制度が正式に廃止されている。さらに,まだ法的には死刑制度を廃止してはいないものの,実質的に刑の執行を停止している州も多いのである。
ノース・カロライナ州メディカル・ボードが下した明快な決定
2007年1月,ノース・カロライナ州も,死刑制度を実質的に停止せざるをえない状況に追い込まれたが,そのきっかけとなったのは,06年4月,内科医ロベルト・ビルブロなど5人の医師が,州メディカル・ボード(医療監察委員会)に投書を寄せたことだった。ビルブロ等は,「医師が死刑の執行に関わる行為は,『命を救う』という医師の本来の責務にもとる。医療倫理の観点から医学界として立場を明確にしなければならない」と,「刑の執行に関わる医師の役割」について,ボードが立場を明確にすることを求めたのだった。投書した医師たちは,自分たちの問題提起をボードが真剣に受け止めるかどうか半信半疑であったというが,ボードが下した決定は,投書した医師たち自身が「ここまで踏み込むとは」と驚くほど,明快なものだった。07年1月,ボードは,構成委員全員一致で,「医師が死刑執行に関わる行為は医療倫理の観点から許されない。今後,刑の執行に関わった医師は,免許取り消し・停止など,ボードによる処罰の対象とする」という結論を下したのだった。ボードは,すでに,アメリカ医師会がその倫理規定で「医師は死刑執行に関わるべきではない」と決めていたことを指摘,倫理に反する行為はこれを罰すると,その立場を明確にしたのだった(註)。
窮地に追い込まれた州矯正局
このボードの決定によって,突然窮地に追い込まれることになったのが,刑務所全般を管轄する,州「矯正局」だった。ノース・カロライナ州は州法で「死刑執行に医師を立ち会わせなければならない」と規定しているのに,ボードが新方針を決定した後,死刑に立ち会うことに同意する医師がいなくなってしまったからである(州矯正局の職員である医師たちでさえも立ち会いを拒否した)。かくして死刑執行の停止に追い込まれたノース・カロライナ州は,ボードとの妥協の道を探ったが,ボードは一切の妥協を拒否,3月,同州は,検事総長名でボードを訴えた。訴えは,「刑の執行は『医療行為』には該当しないのでボードの管轄権は及ばないことの確認」とともに,「今後,ボードが死刑執行に関与した医師を処罰対象とすることを禁止すること」の2点を法廷に求めるものだった。
ここで,なぜ,第一点が争点となるのかについて解説するが,米国では死刑執行の方法として,「致死的薬剤の投与」がもっとも一般的であり,ノース・カロライナ州も投薬による方法を実施していたからである。
通常,薬剤による死刑執行法としては,(1)メジャー・トランキライザー,(2)筋弛緩剤,(3)塩化カリウムの3薬を段階的に投与する方法が一般的であるが,この方法が「人道的」であるかどうかについて,さらに,実施段階での「間違いや事故」が多いことが,大きな議論の対象となっている。たとえば,05年,『ランセット』誌〈365(9468):1412-4〉に,米国囚人の刑死後血中チオペンタール濃度を測定したデータが報告されたが,9割近くが「手術には低すぎる」,4割以上が「意識はあったとみられる」値であったとされ,現行の刑執行プロトコールは,囚人に「非人道的な苦痛」を与えている可能性が示唆されたのだった。
フロリダ州でも……
さらに06年12月,フロリダ州で,刑の執行に際し,通常の倍以上の時間がかかっただけでなく,薬剤投与を繰り返さなければならないという「事故」が起こった。解剖の結果,「静脈針が静脈から外れていた」ことが事故の原因であったことが明らかにされたが,ジョブ・ブッシュ知事は「再発防止の体制が構築されなければならない」と,同州における死刑執行を全面停止する決定を下したのだった。今後,ノース・カロライナ州の訴訟がどのように決着するかは不明であるが,医療倫理の原則を重んじる限り,「医師は死刑の執行に関わってはならない」ことは明瞭であり,今後,同州が死刑執行に医師を関わらせることはきわめて難しいのではないだろうか。
(次回につづく)
註:アメリカ医師会の倫理規定は何の法的拘束力も持たず,いわば,一私的団体の「努力目標」であるに過ぎないが,ボードは医師免許を管轄する権限を持つだけに,その決定には大きな強制力がある。
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