延命治療の中止を巡って(16)
殺人罪に問うことの愚かさ
連載
2007.05.21
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第108回
延命治療の中止を巡って(16)
殺人罪に問うことの愚かさ
李 啓充 医師/作家(在ボストン)第92回で述べたように,ロサンゼルス郡検事局が,「延命治療を中止し,患者を死に至らしめた」と,ロバート・ネジル(56歳,外科医)と,ニール・バーバー(49歳,内科医)の2医師を殺人罪で起訴したのは1982年8月のことだった。米国で,医師が延命治療を中止した行為が殺人罪に問われる初めての(そして私が知る限り最後の)ケースとなったが,本シリーズの締めくくりとして,この事件がどう決着したかを紹介しよう。
再抗告の理由
被告の2医師は,「地域医師会が法曹団体と協議のうえ定めたガイドラインに従い,家族の同意も得たうえで実施した延命治療の中止を『殺人』とされてはたまらない」と,公訴棄却を主張した。これに対し,一審の判事は被告たちの主張を全面的に認め,公訴棄却の決定を下したが,検察側の抗告後,二審の判事は,「殺人罪による訴追は妥当」と,一審の決定を覆した。「仮に本裁判となっても勝訴する可能性は高いが,陪審裁判で『無罪』の評決を得ても『判例』としての価値は低い。今後,類似のケースで医療者が殺人罪で訴追されることを防ぐためにも上級審に正式の判断を仰ぐ」と,ネジルとバーバーは,州控訴審に再抗告したのだった。控訴審決定の論理
1983年10月,州控訴審は,判事3人の全員一致で「公訴棄却」の決定を下した。判事たちは,「医学技術の進歩に対して立法の対応が遅れている分野である」ことを認めつつも,「延命治療の中止を『殺人』に問うことは不当」との決定を下したのだが,以下,控訴審決定の論理を辿ろう。まず,決定は,(1)患者の脳障害は重篤であり,回復の可能性は著しく低かったこと,(2)延命治療の中止は,予後についての説明を受けた後,家族が要請したものであることの2点を,事実関係として認定した。
次に,決定は,カリフォルニア州法が「殺人とは,邪悪な意思の下に,違法に人の命を奪うこと」と定義している点を指摘,2医師の行為がこの定義に当てはまるかどうかを論じた。2医師の行為が「邪悪な」意思に基づくものでないことは明らかであったし,議論の主眼は「違法性」(註1)の有無となった。違法性を巡っては,一・二審とも,「脳死と,患者本人が事前に文書で指示した場合,延命治療の中止を認める」と定めたカリフォルニア州の「自然死法(Natural Death Act)」との関連が問題になったが,控訴審は,「同法は,脳死と文書による事前指示の条件が揃わなかった場合,延命治療を中止してはいけないと決めているわけではない」と,同法を根拠に2医師の行為を違法と決めつける議論を退けた。
「法的義務」と患者の意思の推定
次に,決定は,2医師に,延命治療を継続する「法的義務」が存在したかどうかについて論じた。その議論は,ほぼカレン・クィンラン判決のそれを踏襲したものだったが,「治療の意義は,治療をすることで得られると期待される『利益(benefit)』と,患者に与える『苦痛(burden)』とのバランスで考えるべきである」とする立場に立ち,「医師には,回復の見込みが限りなくゼロに近い患者に対しても延命治療を続ける『法的義務』がある」とする議論には無理があると結論づけた。また,過去の判例が「患者が延命治療を拒否する権利」を認めてきたことにも言及,延命治療の中止が自動的に「違法」となるわけではないことを明確に認定した。さらに,昏睡などで意思が表明できない場合,患者の意思を近しい家族が推定することは合理的かつ現実的であるとし,患者の妻と8人の子供全員が延命治療の中止を要請する書類に署名した事実と,「夫は,カレン・クィンランのようになってまで生き続けたくないと言っていた」という妻の証言を指摘,2医師が延命治療を中止した行為に違法性はないと結論づけたのだった(註2)。
愚かな方策
現在,日本で,家族の合意を得たうえで回復の見込みがない患者の延命治療を中止した医師を殺人罪で訴追することが検討されているようだが,もし,件の医師が殺人罪で訴追されるようなことになった場合,日本では,終末期医療を巡る医療倫理の理解が著しく遅れていることを,世界に喧伝する格好の機会となることは間違いないだろう。四半世紀前,「延命治療を中止したのは殺人」と,ネジルとバーバーの2医師が殺人で訴えられた際,カリフォルニア州控訴審は「殺人罪で告発することによって,延命治療の臨床に関わる重大な決断に直面する医師たちの倫理・道徳的規範を決めようとするやり方は,愚かな方策」と,検察の姿勢を厳しく叱責したのだが……。(この項おわり)
註1:たとえば,自分の命を守るために「正当防衛」で相手を殺してしまったり,警察官が人質の命を救うために犯人を射殺したりすることが「違法」とはいえないように,人を死に至らしめる行為が自動的に「殺人罪」を構成するわけではない。
註2:ちなみに,本決定では,「殺人罪に問うことは不当」との立場から「死因」の議論には深く立ち入らなかったが,判事たちは「直接の死因は原疾患の『脳障害』であり,呼吸器を外したことを直接の死因とする議論には無理がある」ことも指摘した。
この記事の連載
続 アメリカ医療の光と影(終了)
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
PT(プロトロンビン時間)―APTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)(佐守友博)
連載 2011.10.10
-
寄稿 2016.03.07
-
事例で学ぶくすりの落とし穴
[第7回] 薬物血中濃度モニタリングのタイミング連載 2021.01.25
-
人工呼吸器の使いかた(2) 初期設定と人工呼吸器モード(大野博司)
連載 2010.11.08
最新の記事
-
医学界新聞プラス
[第5回]文献管理の決定版:Paperpileの魅力と使い方
面倒なタスクは任せてしまえ! Gen AI時代のタイパ・コスパ論文執筆術連載 2024.11.08
-
医学界新聞プラス
[第4回]病院がSNSを始めるために
SNSで差をつけろ! 医療機関のための「新」広報戦略連載 2024.11.01
-
取材記事 2024.10.31
-
医学界新聞プラス
[第4回]文献検索のための便利ツール(後編)
面倒なタスクは任せてしまえ! Gen AI時代のタイパ・コスパ論文執筆術連載 2024.10.25
-
医学界新聞プラス
[第2回]短軸像のキホン
アニメーションで学ぶ心エコー連載 2024.10.23
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。