「精神医学」と「精神看護」の出会い
中井久夫氏を囲んで
対談・座談会 中井久夫,宮本真巳,新道幸恵
2001.04.16 週刊医学界新聞(看護号):第2433号より

看護できない患者はいない
中井先生との出会い
──中井先生は,このたび『看護のための精神医学』(医学書院)を出版されました。この本は,かつて『系統看護学講座・成人看護学・精神疾患患者の看護』(1984-1992,医学書院)に書かれたものが基になっており,同書は諸般の事情から絶版となっていますが,その内容を知っている方の間では「幻の名著」とまで言われておりました。
今回発刊された『看護のための精神医学』,はこの「幻の名著」を基にして,さらにその2倍以上の新記述を加えて構成されています。
そこで本日は,この本に書かれている中井先生の発想が,看護あるいは看護教育にどのような形で活かせるのか,といった点についてお話しいただけたらと思います。
そもそもこの企画は,本日ご出席をお願いしている宮本先生に「かつて素晴らしい精神科看護の教科書があった」とお聞きしたことがきっかけでした。まずお二人の先生方と中井先生とのかかわりからお聞かせいただけますか。
中井 宮本先生がおられなければ,この本は日の目を見なかったわけですね(笑)。
宮本 私は昨年まで横浜市大の看護短大にいましたが,その前は東京都精神医学総合研究所におり,さらにその前は都立松沢病院で看護士をしていました。現場にいたその時期に,中井先生の教科書と出会っています。
もともと私は社会学が専門でしたが,大学院では精神衛生学を学びました。その頃に,土居健郎先生が主催されていた症例検討のゼミに中井先生が出ていらして,先生のご発言に何度も感銘を受けた経験を持っています。
新道 私と中井先生とのかかわりは,神戸大学医学部附属病院の看護部長に赴任し,教授室へご挨拶にうかがった時が最初でした。それ以来1997年に先生が退官なさるまで,ずいぶん助けていただきました。
特に1995年の阪神大震災の時には,患者さんやスタッフのメンタルヘルスの面でご支持をいただきまして,中井先生なくしては看護部長の役割を十分果たすことができたかどうか疑問です。
また私自身,母性の心理社会的側面といった点でメンタルヘルスに非常に関心を持っていましたので,当時から先生にお話をうかがうのを楽しみにしておりました。
そして,『最終講義──分裂病私見』(みすず書房)に収録されている先生の最終講義も聴かせていただきました。
中井 古いことからお話しますと,私の若い頃には,病気の人か看護職に不適格者と言われたナースが精神科に回るという傾向がありました。
そこで,精神科の看護はこれではいけないと思い,看護職の方にも精神科のことをわかっていただこうと,できるだけ看護の方とお話しするようにしていたのです。
●精神科の位置
精神科の病いには,「原因不明の病気が多い」「軽い病気が登場しない」という特徴がある。
原因不明の病気が多いのは,(1)中枢神経(と言っても「こころ」と言ってもよいが)が複雑だからだが,(2)生理学的・生化学的に原因がわかった病気は,精神科から外へ移されるからでもある。だから精神科では,かえって医療の基本的骨組みが生きてくる。おもしろいことだ。医者と看護者が近いのもそのためである。
(『看護のための精神医学』より抜粋)
医者が治せる患者は少ない
──すると,先生はもともと看護に力を入れていたというか,興味を持っていらしたのですね。
中井 昔は「インターン」という制度がありましたでしょう?
いろいろ問題もあって廃止されたのですが,当時は看護婦さんのすることを全部インターンがやったんです。
今の看護婦さんのすることはできませんけれども,60年代のことだったらできます。看護婦さんが「便掘り」なんかを躊躇すると,時には僕がすると……
宮本 摘便ですね(笑)。
中井 はい。それを僕が率先してやると,ナースは「おお!」と驚く……。
そういうことを実際にやってきた,ということが1つあります。
それから東大の分院では,夜はドクター1人,ナース1人なんですね。ナースを1人では置いておけないので,とにかく深夜勤の方が来られて,患者さんが眠ったのを確かめる頃までは,ドクターはナースの詰め所にずっといました。
つまり,医者が手伝いをしないと看護が立ち行かなかった。
宮本 この本の中で一番印象に残っているのは,「医者が治せる患者は少ない。しかし,看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護はできるのだ」という文章です。とても勇気づけられました。
多くの看護職の読者の方々もそう言っていますが,その裏には先生ご自身の看護体験があったわけですね。
●看護できない患者はいない
看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。
病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。
(『看護のための精神医学』より抜粋)
「カルテ」と「看護日誌」を比べると
カルテには何もない時のことは書いていない
中井 私が医学部にいた頃の教科書には,診断は書いてあっても,治療については1行ぐらいだったり,「ない」とか,フグ中毒に至っては,「砂に埋めて顔だけ出すという方法が古来行なわれている」と書いてあるんです(笑)。私は非常にがっかりしました。
医者のカルテと看護日誌を見比べたらよくわかりますが,医者のカルテは,何かあった時のことは書いてあるけれども,何もない時のことは書いてないわけです。しかし,看護日誌はそういう時のことも書いてあります。
今回のこの本の中にも分裂病の経過について書いていますが,私の分裂病の経過研究は看護日誌を利用しているんです。カルテも読みましたし,僕自身の記録もありますけれども,看護日誌がなかったらできませんでした。
精神疾患患者の身体症状
宮本 中井先生の『系統看護学講座』や,その少し前に出版された『精神科治療の覚書』(日本評論社)を読んで,精神疾患患者の身体症状について大変考えさせられました。
「それ自体は病気とはいえないようなちょっとした身体症状であっても,実は精神症状の推移と非常に密接な関係があり,むしろ精神病の治療にはそういう見方が役に立つのだ」ということを指摘されていました。パッと視野が開けたような感じがしました。
中井 工夫をして,分類をしないようにしたのです。身体症状だとか精神症状などの分類を一切やりません。
無差別的であること,時間を追うこと,この2つをやって,セオリーを棚上げしてしまったわけです。
新道 「最終講義」でもそのことに触れられていましたね。
中井 ええ。時間経過に沿って無差別にやらないと出てこないんです。
宮本 看護の世界でも,問題解決志向を強調する人たちは,経時的な記録に批判的です。しかし,やはり看護記録の原点は経時記録ですね。
中井 看護日誌とカルテの差というものをすごく意識しました。これは,医者と看護職の役割を象徴していると思います。
「普通のこと」への着目
新道 この本を貫くものは,人に対するやさしさだという気がしました。
「精神分裂病という特定の疾患を持った患者さん」ということではなくて,本当に普通の人間対人間の関係であって,「人間を診る」というやさしさがそこにあります。
患者さんとの普通のつきあいがまずあって,その関係の中で人と人との関係の“予測”ということをなさっている。
──“普通”と言えば,専門家というのは得てして「特異症状」に注目しすぎてしまいます。本来は「非特異(一般)症状」のほうが重要だともおっしゃっていますね。
中井 発病の時は特異症状が出てきますが,それは早く消えて,あとは非特異症状が続きますね。
精神病院では特異症状が重視されます。薬で特異症状を取ればそれで「治った」と考えがちですが,特異症状がなくなった時から本当の回復が始まる,と考えるべきではないかと思います。
新道 「特異症状が終わったらすぐに治癒だと思ったら間違いだ」「非特異症状が消えてはじめて治癒と考えられる」という考え方が随所にありますね。それはむしろ,医師に読んでいただきたいところではないかと思ったりしたのです。
中井 この本のタイトルを「看護のための」としたのは,看護婦さんのほうがよく知っていたら困るから医者も買うかなと思ったからなんです。
──他にも,例えば『心理臨床大辞典』(培風館)などの中にもたくさん引用されています。
中井 それは知らなかった。心理臨床の人も読んでいるということですね。
新道 今まで「看護のための医学書」というのは,「医学を簡単にした」という感じの本が多かったような気がします。私たち看護の発展を期待している者としては,医学書に「看護のための」と書かれている本には,少なからぬ抵抗があります。
しかし,先生はこの本の冒頭で「精神科では医者の領分と看護が非常に近い。どこで線を引くかが話し合いの対象になるくらいである。だから,この本は医学教科書を簡略にしたものではない」とはっきりとおっしゃっていますね。看護の立場に立って書かれた内容豊富な本で,親しみが持てます。
●理解できなくても包容はできる
急性分裂病状態を無理に「理解」しようとする必要はない。折れ合おうとする必要はない。できないことを無理にすると徒労で有害なだけだ。しかし人間は理解できないものでも包容することはできる。(略)
患者にたいするときは,どこかで患者の「深いところでのまともさ」を信じる気持ちが治療的である。信じられなければ「念じる」だけでよい。それは治療者の表情にあらわれ,患者によい影響を与え,治療者も楽になる。
(『看護のための精神医学』より抜粋)
●危険な治療者にならないために
精神科は,はしっこの科目に見えるかもしれない。実際は,医学の最も基本的伝統に忠実な,中心的臨床である。精神医学はともかく,精神科看護はたしかにそうである。
したがって,精神科看護は小手先や口先の技術ではない。精神科にはいろいろの流派の精神療法があって,競いあっている。この狭い意味の精神療法は後に述べるが,広い意味の精神療法に支えられなければ,害はあっても益はない。広い意味の精神療法とは,患者に対する一挙一動,例えば呼び出す時の声の調子や,薬を渡す手つきへの配慮を含むものである。これがわかっていなくて狭い意味の精神療法に熟練した人は,医者であろうと看護者であろうと,患者に対してかなり危険な治療者である。
(『看護のための精神医学』より抜粋)
有害なものから除けてゆく
宮本 先ほど「非特異的」とおっしゃいましたが,症状が1つひとつよくなっていって,それらを拾い上げてつなげていくと,まるでジグソーパズルが完成するような感じで回復のイメージができ上がるわけです。そのことに,看護者は──医者もそうなのでしょう──とても触発されます。
というのは,「やはり分裂病は治らないのではないか」という悲観論が日本では強かったと思います。若い人たちもついそれに影響されて,なんとなく無力感に陥ってしまう。「こうすべきじゃないか」と思っても,「20年も前にやってみたけれども,うまくいかなかった」と言われると,そんなものかと思ってしまいます。
そうやって皆で無力感に陥るフシがあるわけですが,そこに羅針盤というか,イメージを与えていただいたと思います。
中井 「分裂病というのは永遠の謎」だとか,「つかみどころのない病気」だとかいう悲観的な思いこみは,僕には全然なかったですね。つかみどころのない現象などあるものか,と思うのでね。
私はサイエンス分野の出身だから,「それじゃあ,まずグラフに書いてみよう」ということになって,グラフと年表を書いてみると,つかみどころがないというようなことはないのです。
僕が確信的に思っているのは,「回復の邪魔をしていると思われるものから除けていく」ということです。そうして,最後に何...
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中井 久夫(なかい・ひさお)氏 神戸大学 名誉教授/甲南大学 教授
1934年 奈良県に生まれる。京都大学医学部卒業。東京大学分院(神経科),東京都下青木病院,名古屋市立大学医学部,神戸大学医学部精神神経科教授を経て,現在,同大学名誉教授,甲南大学文学部人間科学科教授
著書:『分裂病と人類』(東京大学出版会.1982),『精神科治療の覚書』(日本評論社.1982),『中井久夫著作集──精神医学の経験』(全6巻別巻2,岩崎学術出版社.1984-1991),『記憶の肖像』(1992),『1995年1月・神戸』(共編著.1995),『家族の深淵』(1995),『昨日のごとく』(共編著.1996),『アリアドネからの糸』(1997),『最終講義──分裂病私見』(1998),『西欧精神医学背景史』(1999.以上みすず書房)
訳書:カヴァフィス他『現代ギリシャ詩選』(1985),『カヴァフィス全詩集』(1988/1991),『リッツォス詩集 括弧』(1991),ヴァレリー『若きパルク/魅惑』(1995),サリヴァン『現代精神医学の概念』(1976),『精神医学の臨床研究』(1983),『精神医学的面接』(1986),『精神医学は対人関係である』(1990),『分裂病は人間的過程である』(1995),ペリー『サリヴァンの生涯』1(1985)/2(1988),ハーマン『心的外傷と回復』(1996/1999),『エランベルジェ著作集1-3』(編訳.1999-2000.以上みすず書房),エレンベルガー『無意識の発見』上/下(共訳.弘文堂.1980-1981)

宮本 真巳(みやもと・まさみ)氏 東京医科歯科大学 教授

新道 幸恵(しんどう・ゆきえ)氏 青森県立保健大学 学長
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