「地域とともに歩む医療」の実現に向けて(宮田裕章,迫井正深)
寄稿
2016.01.04
【グラフ解説】
「地域とともに歩む医療」の実現に向けて
宮田 裕章(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授/東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座 教授)=執筆
迫井 正深(厚生労働省医政局地域医療計画課 課長)=執筆協力
日本は医療・福祉を含む社会システムにおいて,大きな転換点を迎えている。かつて高度経済成長をもたらした,「多数の労働人口で少数の高齢者層を支える」人口構成を前提とした社会保障制度を基礎に,世界トップランクに位置する長寿国となった。しかし今後,世界でも経験のないスピードで高齢化が進み(図1,2),さらに人口減少と,産業成長の鈍化に伴い,社会システム自体が,従来の枠組みの延長線上でのマイナーチェンジだけでは,成立することが難しくなってくるだろう。
図1 少子高齢化で大きく変わる人口構造 |
2035年:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(2013年1月推計):出生中位・死亡中位推計」 |
図2 将来推計に見る人口減少と高齢化 |
総人口は減少するものの,今後約30年間にわたり65歳以上人口は増え続ける。2045年前後には高齢者人口は減少に転じるが,高齢化率は上昇を続け2060年には40%近くに達する見込み。 |
こうした課題への挑戦は,単にネガティブな側面ばかりではない。例えば「団塊の世代」が医療・福祉を必要とする超高齢社会の初期段階においては,公的・私的を問わず多くの資金が医療福祉分野に投入されるため,雇用の創出,人々の暮らしを支える技術やシステムのイノベーションなど,次の日本を支える新しい活力を生む可能性がある。
一方で,医療・福祉のニーズが急激に高まる当面の間に無計画に資源を浪費してしまっては,その先の見通しは厳しいものになるだろう。10年後の医療・福祉の需要拡大のみを想定した制度設計では,将来世代が高齢層の社会保障負担に押しつぶされる20年後になってしまう可能性すらある。単に数年先だけを見越した改革ではなく,20年後,30年後も乗り越えられる政策を見いだすことが必要とされる。日本の医療や社会保障制度の長所を継承しつつ,変化を続ける人口構造の中でいかに新しい社会システムを新生させられるか。今まさに覚悟に基づく改革が不可欠となっている。
「量から質へ」2035年へのパラダイムシフト
上記の背景を踏まえ,2015年6月,塩崎恭久厚労相の私的諮問機関「保健医療2035」策定懇談会(座長=東大・渋谷健司氏)から提案されたのが,目下の課題解決策と「2035年」に象徴される長期ビジョンを包含した「保健医療2035提言書」である。同書はウェブサイトで一般公開され1),サマリーは海外学術誌に寄稿された2)。また同年8月にはオール厚労省体制で推進本部が設置され,提言内容の具現化に向けた検討が継続的に行われている。
「保健医療2035」が示すパラダイムシフトの一つに「量から質へ」の視点がある。今まで日本の医療は「多くの病床」「多数の従事者」と,提供する量をもって充足度を評価する側面があった。しかし今後は,限られた資源の中でいかに良質な医療サービスを提供し課題解決を行うかが必要となり,効率も重視しながらどのような質の医療を提供できるかを考えなければならない。
さらに提言書では,行政が外側から規制するのみではなく,日本の職人文化に代表される誇るべきプロフェッショナリズムを背景とした,医療者集団の自律的なコントロールを広げていく視点も提示しており,医療者の主体的な取り組みが求められる。
個の連携により,地域全体の医療の質向上へ
地域ごとの医療提供体制は,医療計画に基づき整備される。これを考える上で,基盤となるデータの収集や活用法など共通で検討すべき事項は多いが,実施については地域単位で考える必要がある。これは単に,地域における医療提供体制が現状において異なる,という理由だけでなく,地域の有する資源や人口構成の将来見通しについても相当な多様性があるという背景に起因する。
全国的には高齢者人口が増加し,生産年齢人口は減少する傾向にあるが,例えば大都市部を有する都道府県では当面の人口は増加傾向にある一方,過疎地域の多い都道府県は,全ての年代が既に人口減少の局面に向かっているなど,高齢化と人口減少が加速している所も多い(参照)。つまり,ここ10年ほどは医療福祉のニーズが全体的に増大するが,需要減と資源縮小への対応を急ぐべき地域もあるということだ。そのため,地域ごとの対策が不可欠になる。
では,医療において公益性を考慮しつつ,患者・国民に良質な医療サービスを持続的に提供するにはどうすればよいのだろうか。これまで日本は,病院や医師といった“個”の単位で医療の質を検討することが多かったが,これからは地域を加えた“面的”な視点でも医療の質を考えることが肝要になる。すなわち,病院や医師・コメディカルスタッフは医療の質を考える主体ではあるが,「地域全体の医療の質向上」という観点を踏まえて取り組むことがより重要になるということだ。
あるべき姿を共有し,地域の課題を解決する
地域差は現状の資源配置だけでなく,将来の人口構造の変化を見通した先にも存在する。ただし現時点では,都道府県ごとの資源の多寡のみが,地域医療の質を左右するわけではない。
図3は,専門医制度と連携した全国の病院4500か所の症例データが登録されているNCD(National Clinical Database)の分析結果で,4種類の手術について,地域を過疎化率別の3群に分けてリスク調整死亡率を示した分布である。大都市部であれば治療成績が良好というわけではない。膵頭十二指腸切除術や肝切除術のように,むしろ過疎地域のほうが全体として良好な成績を示す例もある。「限られた資源を生かしながら最大の成果を得る」という視点から見れば,複数病院が競合する都市部よりも,選択肢の限られた過疎地域のほうが病院同士の連携が効果的に機能し,役割分担や集約化によって良好な成績が得られている場合があるからだと考えられる。
現時点では,施設の役割分担やネットワーク機能の改善で,地域全体としてより良質な医療サービスを提供できる可能性がある。一方で,各地域が努力を重ねた先には,医療需要や資源の量,必要とされるアクセス環境といった“伸びしろ”に影響を及ぼす場合が出てくる。したがって,地域の現状と課題を把握し,質・コスト・アクセスなどの観点から「自分たちの地域はこのような医療を実現させたい」というビジョンを共有することが重要になる。
医療費が増大している現状では,特に行政は財政削減が目標になりがちである。しかし医療を提供する側は,患者・国民にどのような質の医療サービスを提供したいのかというビジョンを確認し,その実現に向けて持続可能性も含めた制度やシステムを設計・管理する必要がある。さらに,地域がめざすべき目標設定に基づき,継続的な改善を行っていかなければならない。
連携や分業で,医師の労働負荷も軽減できる可能性が
公共的な側面が大きい日本の医療システムでは,医療提供者側の努力だけで良質な医療サービスを提供し続けることは困難だ。システムの在り方については,医療提供者,行政,保険者,企業,国民(患者)などの連携の中から発想されるべきものと考える。ところがこれまで医療提供者は,高い専門性を有するが故に大きな責任を背負いながら最前線に立ってきた。
労働負荷の軽減は多くの臨床現場において解決すべき課題になる。そこで「保健医療2035」は,「医療現場主導」を明示し,医療提供者にさらなる責任を負わせるのではなく,優れた取り組みに敬意を払い,臨床現場の苦労が報われる仕組みづくりを提起している。
ここで留意しなければならないのは,単純な人員増が必ずしも有効とは限らないことだ。図4の,心臓外科における年間症例数と死亡率の関係を見ていただきたい。多くの高難度手技において,安定した治療成績を収めるためには一定量の経験が必要とされ,心臓外科手術も同様の結果が確認された。日本の心臓外科の手術総数は,医師を増やしたからといって増加するわけでない。したがって,もし眼前の雑務を含めた労働負荷の軽減のために心臓外科医を増やした場合,十分な経験を積めない医師が増加することになり,若手医師のキャリアを構築できないだけでなく,習熟度不足の外科医の手術を患者が受けるという不利益を被ることにつながってしまう。こうした実情を踏まえ日本の心臓外科領域は,労働負荷軽減に向けては他職種との連携や分業,発散した労働環境を機能集約する方向で取り組みを始めている。
図4 冠動脈バイパス術(CABG)における年間症例数と死亡率の関係 |
単純な人員増加は最終的なアウトカムの向上につながらない。安定した治療成績のためには一定量の経験が必要になる。日本の心臓外科領域は他職種との連携や分業,労働環境の発散から集約にシフトしている。 |
患者・国民は権利と責務のバランスの中で医療にかかわりを
これまで患者・国民は,現状における価値の最大化の観点から,医療サービスを受ける立場としての権利がクローズアップされてきた。しかし,高度医療に特化して見ると,全ての人の身近な環境で,最高の質の医療を,それも少ない負担で実現するのは困難である。たとえそれが現状成立していても,多くは医療現場の極めて高い労働負荷や,赤字国債という将来世代が引き受ける負債によって機能していることになる。
例えば「身近に高度医療を行う診療科があると安心」という住民のニーズをくみ,多くの需要は見込めない地域に高度医療を行う診療科を設立したとしよう...
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