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第3179号 2016年6月20日


The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第36回】
グランド・ラウンズのすすめ

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 本稿執筆時点で,専門医制度改革の議論がかまびすしい。特に問題視されているのが内科領域である。もっとも,議論の中心は基幹病院や連携施設といった施設基準の問題である。もっと言うならば各医療機関の医師配置や,地域と都会,大学病院とそれ以外の病院での医師数ヘゲモニー争いへの問題転嫁である。「専門医としての内科医に求められる力量」の議論は後回しになっている。

 日本内科学会が掲げる内科専門医制度の理念については,ぼくはおおむね賛成である。その目標として,専門研修後の成果(outcome)には「病院での内科系のサブスペシャルティを受け持つ中で,総合内科(generalist)の視点から,全人的,臓器横断的に診断・治療を行う基本的診療能力を有する内科系サブスペシャリストとして診療を実践する」とある1)。「病院での」とわざわざ断っているのがちょっとなあ,と思うが文章全体は悪くない。悪くないどころか,とてもいい。

 というか,お気付きだろうか。これって本連載で展開してきた「ジェネシャリ」そのものではないだろうか。

 日本の臨床領域でぼくが特に弱いと感じているのが,内科領域である。その理由はいくつもある。外的説明能力が低い(うちの医局ではこうなってます),EBMが上手に運用されていない,製薬メーカーとの適切な関係が保てていない(利益相反),診断が苦手,ポリファーマシーに流れがち……と問題点を挙げればきりがない。

 そうした数ある問題の一つに「自分目線で考えすぎ」というのがある。どのような問題も自分の専門領域の鑑別ばかりを考えすぎ,それ以外は全て捨象される。専門領域外の診療はやっつけ仕事になる。あるいは診療を拒絶する(オレは○○科なので,××の患者は診ません)。他科へのコンサルテーションも丸投げになりがちで,他領域の問題について積極的に学ぼうとしない。

 「自分目線」でものを考える癖がつくと,その考えのフレームの外に出られなくなる。「井の中の蛙」だ。他者の目線・考え方を積極的に取り入れる好奇心を持てば,自科の診療でのイノベーションやパラダイムシフトも起こりやすい。他者へのまなざしがしっかりしており,その価値観を尊重できれば真の意味での多職種連携も成り立ちやすい。

 リソースに乏しいセッティング,例えば診療科の少ない小規模病院やへき地においてもジェネシャリが活躍する可能性は高い。「私は左の小指しか診ない」というスーパースペシャリストは活躍しづらいのだ。

 専門性が先鋭的な大学病院や各種「センター」でも同様である。がんセンターの患者でも,めまいや不安,不眠や便秘,その他もろもろの問題は起きる。「センター」にあらゆる領域の専門家をそろえておくのは不経済である。コモンな問題,当直時に発生しやすい問題などは,全ての内科医が全領域においてきちんと対応できるのが望ましい。

 なぜ専門医制度改革が必要かというと,今の日本の専門医の臨床能力が低いからである。内科の全科当直もできないような内科医が珍しくない。こういう現状は打破すべきだ。よって,現在の内科専門医の価値観を基準に専門医制度を整備してはならない。苦い現実を直視し,現状維持の圧力を排さねばならない。内科学会の理念は実に正しい。だから,施設基準など「箱」の問題に引っ張られ過ぎて理念そのものを引っ込めることがないよう,できるだけプラグマティックに実務部門の柔軟性を保ってほしい。

 専門医教育を受けるのに5年間もかかるのがけしからん,という意見がある。「モラトリアム」だというのだ。

 短見である。

 現在の医学生は,かつてと異なり忙しい。たくさんの「医師として必要な」教育を受けている。まだまだ発展途上な医学部教育だが,10年前,20年前よりもずっとましになっている。10年後はさらによくなっているだろう。

 翻って,われわれの医学部時代はどうか。面白くもない講義が連続し,それすら出席しないで部活動だけに熱中する不真面目な学生は多くなかったか。見学,見物に等しいポリクリばかりではなかったか。学部の6年間を「モラトリアム」で過ごしていたのがわれわれの世代ではなかったか。初期研修制度ができてから日本の若手医師の臨床力は,あらゆる意味でかつての若手よりも優れている。それでも内科診療力はまだまだだ。だから10年後は「昔の内科医っていけてなかったけど,だいぶましになったよな」と振り返る時代であるべきだ。

 内科学会の理念は素晴らしいと褒めたけれども,内科学会の現状は悲惨としか言いようがない。学術集会での発表は質が低過ぎて座長をするのがつらい(例外はあります)。タッチアンドゴーのスタンプラリーとしてしか存在理由を求めていない「専門医」も多い。

 さて,内科学会や専門医制度といった「上」の話は置いておいて,各医療機関にぜひ採用してほしい習慣がある。M&M(morbidity&mortality)とグランド・ラウンズだ(grand roundsは必ず複数形にしろ,というコメントを聞いたことがあるが,いろいろ調べるとgrand roundと単数で使うことも多いみたいですね)。

 内科医全てが講堂に集い,各スペシャリストが他領域の内科医にレクチャーをするのは実に素晴らしい習慣だと思う。ぼくは「アメリカでは」という言い方を好まないが,よい習慣は輸入すべきだ。朝やっているのも好ましかった。日本ではなぜ疲れて集中力の落ちた夕刻に講演や会議をやるのか,ぼくにはいまだに理解できない。これじゃ育児中の医者は参加したくてもできない。一億総活躍社会はどこいった?

 内科学会でもスペシャリストが先鋭的な講演を行うが,カッティングエッジ過ぎて一般医には「使えない」。よって,物知りにはなれるかもしれないが,明日からの診療は変わらない。

 しかし,血液内科医に「ぐっと質の高い血算の読み方」とか,呼吸器内科医(など)に「本当にふか~い血液ガスの読み方」とか,循環器内科医に「ひと味ちがう心電図の読み方」とかを学ぶと,それはジェネシャリの横の幅にぐっと厚みを加えてくれる。「ジェネラリストもこの辺までは上がって来いよ」という「基準」も示してもらえる。惰性に流れがちな一般診療に喝を入れてくれる。

 ジェネシャリの大切な要件は「他者の言葉」への感受性だ。その道具として,グランド・ラウンズはかなり役に立つツールなのだ。施設基準にこういうソフト面の充実も求めたい。

つづく

参考文献・URL
1) 一般社団法人日本内科学会.専門研修プログラム整備基準(内科領域).2015.
 http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/08/2015-program.pdf

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